2008年12月28日日曜日

ちょっとリッチなホテル

以前に「バブルの頃」というタイトルでホテルのスケッチを載せたところ、知り合いから「面白い・・・!。シャンプーのブランドがブラバスとか・・・etc.」と、予想に反して好評だったので、久しぶりにホテルのスケッチを載せます。(外が寒いので、季節のスケッチが描けないこともありますが・・・)

時代は同じく1989年。バブル真っ盛りのころ。
各ホテルは都心にこぞってリッチなホテルを作り、ビジネスマンはツインの部屋をシングルユースで借りることも珍しくはありませんでした。
よって、私もここ「東京ロイヤルパークホテル」のツインルームに一人で泊まっています。 (なおシングルユースのときはベッドメークが違うようです。枕を見るとわかりますね)

「リッチさ」を読み取ってみてください。
入口の外には専用の新聞受け。バスルームも1.6M×2.4Mと広く、洗面カウンターはアメニティグッズであふれています。ちなみに今回のブランドは「GUCCI」でもちろん文句なし!(どうぞ拡大してみてください)
ベッドはセミダブル。TVも17インチが主流の当時では画期的な21インチ。
窓辺の高級なティーテーブルとチェアのセットも一人でビールを飲むと、逆にむなしく感じてしまいます。

いまはもうこんな部屋にはなかなか泊れません。あの頃は良かった!

2008年12月21日日曜日

舞子六角堂

地元神戸では「六角堂」と呼びますが、実は平面プランは八角形。
海に面して建っており、塔からの眺めに心も移ろう・・・・よって別名「移情閣」。
そして現在の正式名称は「孫文記念館」です。
名前の通り外部は洋館ですが、内部は完全に中華風。そのギャップが新鮮です。

でも、この建築が何よりも勝っているのはこの立地です。
目の前の光る海が建物を照らすと、屋根と六角のシルエットが強烈に目に焼きつきます。
この瞬間を見た人に、「実は八角形・・・」などとくだらない注は無用なのです。

2008年12月14日日曜日

旧乾邸のお茶会

新聞記事で妻が見つけました。「旧乾邸でお茶会・・・」
前から目をつけていた建築家渡辺節の設計した住宅でいわゆる洋館大邸宅です。
元の所有者が相続税を物納したため、現在は国の管理下にあり、保存運動が起きています。近くに白鶴美術館があり、この建物の前は通るのですが、中には入れず、いつか見たいと思っていたところでした。

早速、電話で申し込もうとしたのですが、すでに締め切りを過ぎていて、連絡がつきません。「とりあえず行くか」と楽観的に出発。
「お茶会」らしく、着物を着た女性がずらり。気後れするものの、一応事情を話し、お願いすると、快くO.Kがでました。

内部のつくりは実に凝っていて、リッチなダイニングの階段からお嬢様が降りてくる、まさに「華麗なる一族」の舞台のようです。詳しくは知りませんが映画撮影にも使われたとか。

さて庭に出て、外観をスケッチ。
実は日頃絵を描く者として感じているのは、お金がかかっている住宅ほど趣味が悪く、案外、絵にする気にならないと言うこと。
しかしこの乾邸は、一味違います。建築主の要望を全部聞いたに違いありません。ある意味いろいろな様式とディテールが混在して悪趣味寸前です。でも全体としてみると違和感が無く、神戸の海を見渡すリビングの空間など現在の建築としてもはっとする空間です。設計者の個性が全てを統一しているような気がします。

スケッチを終え、慣れない抹茶をいただき、「けっこうなお味でした・・・・」
これで一人500円は安い・・・・。

2008年12月7日日曜日

神戸郵船ビル

この建物は神戸海岸通りにあります。設計者は曾禰達蔵。
以前触れた辰野金吾、片山東熊と同じく日本初の建築家の一人です。
窓の黄色いテント庇が示すように、今は商業施設として使われています。
辰野金吾の作品のようにレンガと石のストライプ模様はなく、地味な印象です。本で調べると性格も大人で他の同期生のなかでは一歩引いた存在だったとか。
でも重厚なデザインは静かな存在感があり上品でもあります。
「建物は人を表す」のかも知れません。

2008年11月30日日曜日

瞳の先に何がある?


以前、僕が好きな人物画のベスト3に挙げた、コローの「真珠の女」をやっと観ることができました。

やはりその絵の前は黒山の人だかり。人気の高さがうかがえます。
一番惹かれたのはその瞳。横顔ではあの魅力的な表情は描けません。

さて最近通っている絵画教室。いつも開始直前に行くのですが、そうすると空いている席は端っこばかり。
横顔もそれなりに面白い構図にはなるのですが、創作意欲を刺激された今日の僕の狙いはもちろん「瞳」。
正面に陣取り、奮闘しました。

瞳の先に何がある?
そんな思いで描きました。

2008年11月23日日曜日

もうすぐ紅葉

間もなく紅葉の季節がやってきます。
夏の鮮やかな緑は少し抹茶色になり赤や黄色に染まった部分が少しずつ広がってゆきます。
この絵は四国松山。何年か前の、ちょうど今頃のスケッチです。

昨年このブログで取り上げた東福寺のように、燃えるような楓の森はまさに「感動」です。
でも、この色づき始めた山には、移ろう季節の「変化」と真赤な紅葉への「期待」があります。
そして頂上にそびえるのは松山城。この季節、この光景は松山っ子(?)にとってお国自慢の一つに違いありません。

2008年11月16日日曜日

清水寺その2

せっかく清水寺に来たからにはやはり舞台を描きたいと思って、いい場所を探索しましたが、これぞ!という構図は簡単に見つかるはずもありません。
有名観光地のポスター写真を撮るカメラマンの苦労が偲ばれます。

結局決めたのはこのシーン。三重塔から舞台まで全部が収まる、贅沢な絵です。
清水の落ち着いた佇まいと屋根の変化が面白く、自分では結構気に入っています。
でも実はこの絵はカメラで撮ることは不可能なのです。何故なら手前に大きな梢が茂っていてこのままの図は見えないのです。その点、スケッチは便利です。邪魔な枝は全部カットすればよいのですから・・・・。

2008年11月9日日曜日

清水寺

清水寺にやってきました。
観光ポスターには清水の舞台を大きく写した構図が多いのですが、スケッチするのにその真似はしたくありません。
そう思って歩いていると、舞台の柱の影から良いポイントを見つけました。

遠くの山並み、古びた塔、参道を覆う木々の緑、眼下の甍と続く光景はこのお寺ならではのものです。

観光旅行では、お決まりの背景を使った記念撮影がとても重要です。
でもたまには「自分だけの構図」を探してカメラやスケッチブックを向けてみてください。
きっと新しい景色が見えてきます。

2008年11月1日土曜日

建仁寺

騒がしかった三十三間堂に比べると、ここ建仁寺は実に静かです。
国宝「風神雷神屏風」が有名ですが、展示してあるのは、一目でそれとわかる複製品・・・。そんなことが観光客からあまり人気の無い理由でしょうか。
しかし、内部の庭園や参道はいかにも禅宗のお寺らしく、実に「静寂」です。
しかも僕がスケッチし終わるまで、騒がしい修学旅行生とカメラマンが現れなかったのが最高です。

とは言っても、実は僕の小学校の修学旅行も確か京都。もっと思いっきりはしゃいだ記憶があります。あの頃、きっと同じように大人たちを悩ませたに違いなく、えらそうなことは言えません。

でも、やはり修学旅行の特権で傍若無人にぞろぞろお寺を歩くことが、「修学」にふさわしいとは思えません。
大人と一緒に日本文化を味わうことの意味を皆で考えることが必要なのだと思います。

2008年10月25日土曜日

三十三間堂

御存知、三十三間堂です。

建築も、ずらっと並ぶ仏像も、通し矢の逸話もすばらしいのですが、その魅力を絵にするとなると意外と難しい・・・・。
というのはあまりにも横長すぎて、その迫力を描くには画面が狭すぎるのです。何度も周囲を歩いた挙句、やっと気に入ったアングルを発見して、スケッチを始めました。


ところが、有名すぎる観光地の宿命でしょうか。修学旅行生がやって来てなんと僕の目の前で点呼を取り始めました。
うるさい・・・と言いたいところをぐっと我慢してスケッチを続けていると今度は、いかにも手馴れた修学旅行専任カメラマンがやってきて、「はいこっち見て・・・・」と騒がしく、目の前で集団記念撮影。


堪忍してくれ・・・・・と、いにしえのロマンに思いを馳せることもできず、欲求不満で寺を出ました。

2008年10月19日日曜日

清楚な・・・

先週、かっこいいおじさんのクロッキーをしたせいか、人の絵が描きたくなりました。

ちょうど近くの市民施設で人物画教室が開催されていたので、意欲満々で参加しました。
久しぶりの人物画で、デッサンに手間取りましたが、何とか完成。

人物画に大切なのは「その人の何が素敵か」を感じることだと思います。
今回のモデルさんはスリムで水色の衣装がとてもさわやかでした。
そう、「清楚」というテーマがぴったりです。

2008年10月12日日曜日

神戸ジャズストリート

「神戸ジャズストリート」というイベントに行きました。
市内のあちこちで、一日中ジャズコンサートをしており、フリーチケットを買うと、どこでも、何度でも入場できるというものです。

初めて、見た(聞いた)のですが、楽しくて、なかなかに感動しました。
このスケッチは「GREEN DOLPHIN」というジャズクラブで昼間からビールを飲みながら描いたものです。
うす暗い店内で、ベースを弾くおじさんの姿が実にしぶい!
そのかっこよさについ、スケッチしてしまいました。


ジャズとはこういうものか・・・・そう言えば楽しそうにステップを踏む周りの客の平均年齢は絶対に55歳以上。
彼らの青春を垣間見た気がしました。

2008年10月5日日曜日

岩屋港

淡路島の農村風景を楽しんだ後は、船に乗って帰ろうと岩屋港に来ました。
実はここにくるのはこれで3度目。

残念ながら来る度にこの街は衰退していると感じてしまいます。
20年前に来たときは、魚市場に活気があり、そこで買ったイカの一夜干は最高でした。
10年前はターミナルの売店で同じ味を求めましたが、見事に期待は裏切られました。
今回はほとんど人もまばらで、ターミナルビルはゴーストタウン寸前・・・・。

それでも、有名な「絵島」に渡り、神戸の街を眺めると、淡路島にしかない絵になる景色が現れます。
黄土色の奇岩と青い海。
すぐ向こうに霞む白い街・・・。
世界中に自慢できる風景です。

2008年9月28日日曜日

淡路島の農村

神戸からパールブリッジ(明石海峡大橋)を渡り淡路島にやってきました。
有名な安藤忠雄さんの「水御堂」を見に来たのですが、バスは一日に数本しかない、相当な田舎です。

その田舎道をバス停に向かって歩いていると、こんな風景に出会いました。
刈り入れには少し早いのでしょうか?それでも一面に実った稲穂は本当にきれいです。
もう秋とは言え、まだまだ暑い日差の下で汗だくになってスケッチをしました。

このスケッチには、前回体験したような江戸時代の文化財は登場しません。でも素朴な田園風景には瓦屋根と板張りの農家で十分のようです。タイムスリップしなくとも、「田舎らしさ」を満喫した、すばらしい一日でした。

2008年9月21日日曜日

江戸の民家 その2

先週に引き続き生活感あふれる民家をご紹介します。
やはり江戸時代、武蔵野にあった農家(天明家)です。
かなり格式の高い家だったようで、破風のついた茅葺屋根が独特のたたずまいを見せています。
立派な門構え、前庭も中庭もあり、こっそり覗き見できる雰囲気ではありません。
でも、ご覧のように、画面に漂うほのぼのとした生活感はやはり日本の農家。「日本昔ばなし」の世界がここにあります。

2008年9月14日日曜日

江戸の民家

前回触れた「生活感」をもっとも直接的に表しているのは「民家」でしょう。「江戸東京建物園」にもいくつかの民家が保存されており、これはそのうちのひとつ、江戸時代の農家「吉野家」です。

ここでは、木々の間からその生活感を垣間見ることができます。
縁側ではおばあさんが縫い物をしているし、部屋の奥では囲炉裏に火がついているようで、その煙が屋根から立ち上っています。
農家独特の懐かしい、少し湿った農作物の匂いと乾いた土の匂い・・・。

保存されているのは建物だけではありません。まるで江戸時代にタイムスリップしかのような、のどかな農村の午後の情景そのものでした。

2008年9月7日日曜日

懐かしい・・・

このブログでは古いお寺や明治時代の有名な建物を取り上げることが多いのですが、本来のテーマが「人」であったことを思い起こすと、もっと生活感のある風景を描くべきだったのかもしれません。・・・

何故突然こんなコメントを載せたかというと、先日東京小金井市にある「江戸東京たてもの園」を訪れたからです。

ここには建築を志す人にはとても有名な「前川國男邸」など学術的に価値ある建物も多いのですが、僕が心惹かれたのは懐かしいこの路地裏の風景です。

暑い夏を少しでもすごしやすくするため、どの家も競うように鉢植えを家の前に並べます。そして地面にはもちろん打ち水。
極めつけは窓桟に干された布団・・・・。

数日後、偶然この建物園が新聞記事に載っていました。布団はボランティアの人たちの演出で、そのアイデアを出したのは建築家の「藤森照信」さんだとか。

正直言うと博物館的に作られた「保存」には抵抗を感じないのでもないのですが、思わずスケッチをしてしまったこの「懐かしさ」はまちがいなく「保存」する価値があります。
藤森さんも「生活感」が立派な文化だと認めてくれたにちがいありません。

2008年8月30日土曜日

雨のち曇り

松島といえば「日本三景」の一つ。青い空と輝く海。そして鮮やかな緑の小島・・・・。

絵葉書の写真が目に浮かびます。

前回と前々回、二つのお寺を見た後は、この「美しい風景」をスケッチして帰るつもりでした。

が、ご覧のように今日の天気は雨のち曇り。青い空などどこにも無く、お腹に水分をたっぷり溜めた雨雲が空を覆っています。ただし太陽は雲のすぐ上で、熱を発散し、その蒸し暑さはご想像のとおり。

いかに松島と言えど「晴れていなければ海は青くない」・・・あまりにも、正確な事実でした。

2008年8月24日日曜日

円通院の庭園

前回取り上げた瑞巌寺のすぐ近くにこの円通院の庭園があります。

庭園の中心は杉の巨木と苔そして重要文化財の三慧殿(さんけいでん)です。
ここには京都のお寺にあるような、枯山水や池、借景などの精妙な工夫や技はありません。
しかし東北地方らしい豊かな自然を背景とした空間は、計算された堅苦しさのない、すがすがしい、落ち着いた独特の庭園になっています。

いつもの僕ならば、建物を中心にスケッチをするのですが、今回は自然の風景ばかり・・・
絵の題材は、頭で悩まなくても、その土地の魅力が決めてくれるようです。

2008年8月17日日曜日

杉木立

去年の夏も暑かったのですが、今年はさらに暑いとか・・・そこで今日は涼しげな杉木立のスケッチを載せます。

場所は仙台から電車で30分、松島瑞巌寺です。東北地方とはいってもやはり夏、たどり着いた頃は汗びっしょりです。
国宝の本堂が有名ですが、暑さに閉口した僕にとっては残念ながら、参道の杉木立のほうが何倍も魅力的でした。

まっすぐ立ち上がる杉と網のように天空を覆う枝と葉。隙間から真夏の空気が逆光となって漏れてきます。
地面には一面の苔。薄緑色が疲れた体と心に染み渡ります。

2008年8月9日土曜日

浴衣の婦人


もう20年以上前のスケッチです。
当時「木曜会」と称し、絵の好きな連中が毎週仕事を(無理やり?)終え、集まっていたのです。モデルは仲間内で探してお願いしていたのですが、この日は、いつもと違って浴衣姿。・・・「日本の美」の崇拝者である僕の創作意欲は俄然刺激され、このとき頑張って4枚もスケッチしてしまいました。

快活で、きりりと引き締まった表情が和服と良く合います。僕の好きな時代小説「御宿かわせみ」に登場する、るいさんはきっとこんなイメージにちがいありません。

2008年8月3日日曜日

京都国立博物館その2

前回は門だけで話が終わってしまいましたが、もちろんお目当てはこの本館です。
そして片山東熊先生が門で魅せた技の冴えは当然、本館でも健在です。
両翼の列柱と3つのドーム屋根の構成は威厳があり、さすがと思わせます。
庭は広々としたヨーロッパ風の庭園でまさに宮廷の風格があります。
内装もきっと豪華ですごい・・・と期待しましたが、残念ながらこの日は内部は見られませんでした。きらびやかな宮廷生活を想像する楽しみは次の機会に譲ることにします。

この博物館にはもうひとつ楽しみがあります。本館の裏手に「堪庵」という茶室があり、うれしいことに一般公開されています。
ルネサンス様式に圧倒された後は、自然と一体となった数奇屋の空間を歩く・・・和洋の上質なデザインを同時に味わう、こんな贅沢を皆さんもぜひお試しください。

2008年7月27日日曜日

京都国立博物館その1

以前、「京都文化博物館」のコメントに辰野金吾という日本の建築界の大御所について書きました。
実は明治時代、日本人による西洋建築を作るべく、東大建築学科を卒業した記念すべき1回生は4人いました。
一人があの辰野金吾、そしてもう一人がこの京都国立博物館の設計者である片山東熊(先生)です。
彼の設計した建物にはいわゆる「国立○○○館」という昔の「宮廷」風の建物が多く、高価な材料を「華麗」にデザインする、その存在はうらやましさもあってはつい「先生」と呼んでしまいたくなります。

このスケッチも博物館の単なる「門」なのですが、彼の手にかかれば、石と煉瓦、銅版と鉄を優雅な形と端正なプロポーションでまとめ、ご覧のとおりの芸術品となります。
門だけでも絵になるという事実・・・「先生」のわざと情熱を改めて思い知らされた日でした。

2008年7月20日日曜日

水都大阪

このブログを眺めてみると、どういうわけか京都や神戸の話題が多く、「大阪」はほとんど出てこないことに気づきました。
では大阪には価値ある風景が無いのかというと、もちろんそんなことはありません。特に最近は「水都大阪」として街つくりを見直す動きが活発です。
                                                                    
そんなわけで、今日は中ノ島にある「大阪市中央公会堂」を訪れました。有名な建物なので、僕が行ったときも周りは日曜画家でいっぱい。例によって人ごみを避け、堂島川を渡り反対側に出ると、釣り人が一人二人いるだけで、実に静かです。
ゆっくりと流れる堂島川と堂々とした公会堂の姿はまさに「水都大阪」・・・・大阪も捨てたものではありません。

ただし、現実はこの画面の上には汚いコンクリートの高速道路が走っています。
街つくりはまだ半ば。残念ながら、当分「上は見ないでください」と注意書きがいるようです。

2008年7月13日日曜日

名古屋 加藤商会ビル


僕は大学時代ずっと名古屋に下宿をしていました。そのせいか、今でもこの土地には格別の愛着があります。
ここは納屋橋の交差点。重厚なアーチの橋も、この加藤商会のビルも昔からここにあった・・・・はずなのに、残念ながら、この建物はあまり記憶になく、近くの安い寿司屋で騒いだことだけが印象に残っています。人間の記憶とはいい加減なものですね。
インターネットで調べると大正時代初期のビルで、設計した人は誰だかわからないとのこと。
しかし石とレンガの素材をうまく使い分け、小ぶりな縦長のプロポーションを大正レトロの雰囲気にまとめ上げる腕は只者ではないと想像がつきます。
納屋橋のシンボルとして現代までこの建物を残した功績は絶大です。
スケッチを通して、その土地の昔と今を想うのはとても楽しいことです。これからもそんなチャンスがあればいいなと思います。
ちなみに、昔騒いだ寿司屋はつぶれていて、あの味を思い出す望みはかないませんでした。・・・・・残念!

2008年7月6日日曜日

住吉川の風景 その2

実は先日、前回描いた同じ場所を訪れてみました。10年前の続きをしようというわけです。
どうなっていたと思いますか?

今では、もう水平線に浮かぶ六甲アイランドは見えません。今度は「湾岸道路」なるものが河口のすぐ外側にその威容を誇っています。
さすがにこの「新しい時代の風景」をスケッチする気にもならず、憤りを胸に、あきらめて川沿いを北へ歩き始めました。

しばらくすると正面に「住吉」の名ににふさわしいリッチなマンションが・・・・。「オーキッドコート」という外人建築家の設計した建物です。いわゆるバブルの頃の建物で「お金をかければいい建物はできる」・・・・などと影口をたたく輩(やから)もいないのではないのですが、自分でスケッチしてみると、そんな誤解は吹っ飛んでしまいます。

背景に六甲山の山並み。水辺に茂る水草と堤の両脇の木々。石畳はこの建物への道標(みちしるべ)です。
そしてクラシカルな材料ときれいなプロポーションでデザインされたこの洋館はまるでこの角度で眺められることを予測していたかのように、風景に溶け込んでいます。

「風景」つくりの難しさと楽しさを実感した一日でした。

2008年6月28日土曜日

住吉川の風景

先週の続きです。
御影郷でのスケッチを終え、そのまま東へ歩きました。すると、住吉川の河口に出ます。
この川沿いは昔からの高級住宅街なのですが、当時「六甲アイランド」なる人口島が開発され、沖にはご覧のように、高層マンションや港湾施設が並ぶようになっていました。
干上がった川岸に置かれたユンボが象徴的です。

たぶん海を望むこの風景はずいぶんと変わってしまったにちがいありません。昔からここを知る人の憤慨する声が聞こえてくるようです。
それでも、海と空とそれなりにデザインされた人工島の組み合わせは、神戸らしい新鮮なものを感じさせます。

歩き疲れた体に鞭を打って、僕にこのシーンを描かせたのは、時とともに移ろう風景の面白さでしょうか。

2008年6月22日日曜日

御影郷

スケッチブックの横に1996年9月9日とサインがしてあるので、もう10年以上も前のスケッチです。
この時、実はちょっと長い休暇を取りました。
海外に行くお金と時間が無かったせいもあるのですが、「たまには自宅の近くをじっくり歩こう」という目標を立てました。
スケッチブック片手に、気に入った場所があれば、スケッチをして、夕暮れまで歩く。そして電車で帰り、翌日は前日歩いたところから、また夕暮れまで歩く。そんなふうにして、描いたのがこのスケッチです。

場所は阪神御影駅の南、いわゆる御影郷です。お酒の工場が続く通りに突然、風格のある立派な建物が現れました。
「菊正宗酒造」ビルです。ご覧のように、きれいな観光地とはほど遠い、くすんだ土色の風景ですが、酒造りの街らしい趣があります。
ガイドブックにもめったに載らない風景を自分の足で発見した喜びは格別です。

2008年6月14日土曜日

年賀状

昔のスケッチブックを眺めていると、時々ページとページの間にずいぶん時間が経っていることを発見します。その頃何があったのか、気になって思い出してみると、猛烈に忙しかった「あのプロジェクト」やひやりとした「あのトラブル」が甦ってきたりします。

この絵の日付は1999年12月15日。やはりこの前後に描いた絵はありません。それでは何故この絵があるかというと、僕は一年に一度、年賀状用に家族をスケッチすることにしているからです。

子供のこと、仕事のこと・・・年末ぎりぎりに完成した年賀状に記したコメントがスケッチブックの空白を埋めてくれます。

2008年6月8日日曜日

無鄰庵(むりんあん)

お寺も近代建築も「京都」らしくて絵の題材としては文句無いのですが、ゆっくり休むにはちょっと堅苦しくて肩がこります。そこで、心静かに日本庭園を眺めるべくこの無鄰庵にやって来ました。

明治29年に完成した山県有朋の別荘です。京都の市街地の中とは思えない、外界から閉ざされた独特の空間が作られています。

緩やかに流れる小川があり、木立の向こうには茶室があります。5月の楓は鮮やかな黄緑色で、まるで周りの空気が緑に染まったよう。あまりの心地よさに時の経つのを忘れてしまいそうです。

閉館時間が近づき、やむなく腰を上げました。門をくぐると、そこはまた騒がしい日常・・・・さっき見た別世界が、史跡でしか味わえないのが残念でなりません。

2008年5月31日土曜日

京都四条大橋にて

前回に引き続き京都を歩きます。
三条通りで観た和洋混在の奇妙な京都にちょっとした興奮を覚えつつ、そのまま鴨川に沿って南へ歩いて行くとまたまた面白い風景にぶつかりました。
今度は、四条大橋の交差点です。和風の大屋根が波打つ様と頂部のアーチがかわいい(?)洋館が向き合う姿がいかにも京都らしく、思わずイメージを描きとめました。
言わずと知れた南座と少し有名(建築好きな人には)なレストラン菊水です。文化的にも昔から京都の人々に親しまれてきた建物です。しかも季節は五月。新緑の映える鴨川から見た風景はなるほどとうなずかせるものがあります。
三条通りが異なる文化が一緒に生きてゆく町並みとすれば、この風景は「文化の交差点」と呼ぶのがふさわしいのかもしれません。

2008年5月24日土曜日

京都三条にて

京都三条の町並みは一風変わっています。
このように明治のレンガ造りの建物が残っているかと思えば、隣には京の町屋がぴったりくっついて並んでいます。
建物そのものは、どちらもそれほど趣味が良いというわけではありません。
でも和も洋も区別無く、「歴史の重さを」を競うように並ぶ姿は、存在感たっぷりで、心に残るものがあります。
単なる「観光都市」でない「京都」のもうひとつの顔です。

2008年5月18日日曜日

異人館の町並み

僕のスケッチは、普段の仕事のせいか、どうしても建物の絵が多くなります。
海外なら中世の町並みがそのまま残っていたりするので、題材には苦労しないのでしょうが、日本の場合、残念ながら古い建物はどんどん壊されて、ビルの谷間にぽつんと一軒だけ残っていたりします。
それでも住んでいた人が有名だと観光対象にはなりますが、絵を描こうと思うと、周囲から浮いてしまって、構図になりません。取り残された家はもはや町としてのイメージを伝えてくれないのです。

でも、この神戸の異人館通りは坂道に沿って洋館(ベンの家と英国館)が並んで建っていて、なかなか趣があります。
白い壁、緑色に塗られた窓枠、レンガ、赤い屋根・・・絵の具を塗っているとずいぶん「きれい」な絵になってしまいました。
でもこれこそ「街のイメージ」にちがいありません。

2008年5月11日日曜日

神戸地方裁判所

ぽかぽかと暖かくなってきた休日の午後、この裁判所を訪れました。当然休廷で、正門は閉ざされ、ひっそりとしています。
こんな日のほうがスケッチするにはちょうどよいのです。

この建物の設計者は河合浩蔵。竣工は明治37年です。実は前々回描いた「神戸海岸ビル」もこの人の設計で、あの「辰野金吾」ほど有名ではありませんが、関西に作品が多く、僕は結構気に入っています。
裁判所らしく、全体として重々しい雰囲気ですが、細かな装飾はそれほど無く、シンプルなディテールです。
西洋建築の単なる物真似にしたくないという作者の意思が感じられます。

そういう訳で、このスケッチを完成させたのですが、どうもしっくりきません。なにかバランスが悪いと言うのか、足りないような気がします。数年前の改修工事で建物の最上部はミラーガラスのオフィスビルとなり、今度の設計者の意図を尊重して、この絵では上部は空のような表現にしましたが、それがやはり不自然のようです。
そう思って昔の写真を調べました。すると入口と両翼の端には格好の良い大屋根がかかっており、中間部にもいくつもの破風がリズミカルについています。どうやら改修時にそれらの邪魔者は撤去されてしまったようです。
「すべて壊すよりはまし」という判断なのでしょう。でも僕のような第三者が見てもおかしいのですから、河合浩蔵さんはきっと憤慨しているにちがいありません。
えっ、「お前ならどうするって?」・・・そんな意地悪な質問をしないように!

2008年5月4日日曜日

5月の空

神戸は北に六甲山がそびえ、南に瀬戸内海が広がります。
したがって阪神間には山から海へ流れる、昔から人々に愛されているいく筋もの小川があります。

僕の好きな散歩コースは以前にも述べた石屋川。他にも芦屋川、住吉川などいずれも、その川ならではの魅力があります。
この絵はそんな川のひとつ、夙川です。川沿いの桜が有名で1ヶ月前までは、花見でにぎわっていましたが、今はもうそんな喧騒はなく、散策する人がちらほらといるだけです。

桜の頃は花びらに見とれているばかり・・・・でも、いつの間にか初夏になり、気がつけば、若葉の中、青い空に鯉のぼりが泳いでいます。
5月は「空」が主役の季節です。

2008年4月27日日曜日

小島(おしま)にて

昔「ひょっこりひょうたん島」という僕の大好きなTV番組がありました。
「丸い地球の水平線に・・・・・・」今でもあのテーマソングが口ずさめるくらいです。
小さいけれども、自分たちだけの世界を作れるその楽しさに魅かれたのです。そのせいか、今でも旅行先には小さな島を選びたくなります。

この「小島(おしま)」は四国の来島海峡にある名前のとおり人口わずか30人程度の小さな島です。(四国との往復は漁船で一日二便しかありません) 普通の島と違うのは、ここには明治時代に作られた旧日本軍の砲台があることです。
この絵の建物は兵士達が隠れ住んだ宿舎のようで、レンガとコンクリートの、冷たくて粗末な造りから厳しかった当時の生活が垣間見えます。
でも訪れた日はのどかで明るい春の日。そんな戦争の悲惨さとは無縁で、時の流れを感じざるを得ません。

小さな島に凝縮されたドラマ・・・。ますます「島」が好きになりました。

2008年4月20日日曜日

神戸 海岸ビル

この建物は、兵庫県公館と同じようにやはり明治末期に建てられています。
ただ、こちらは民間のれっきとした現役の建物で、神戸らしいしゃれたショップや事務所が入居しています。

入り口を入ると、クラシカルな雰囲気の大階段がまっすぐ2階、3階へと導いてくれます。天井のシャンデリアや背の高いドアは現代のオフィスビルよりもずっと魅力的です。

「大事に使う」「長持ちする」・・・いま巷で叫ばれている「サステナブル」の実例がこんな身近に存在しています。

2008年4月13日日曜日

古城の桜

ここ数年花見は夜桜で、眺めるよりも、もっぱら食べる(飲む?)方を楽しみにしていました。 今年はこのブログに桜の絵を載せようと久しぶりにスケッチブックを持って出かけました。

神戸方面でお勧めは、本当は姫路城の桜なのですが、観光客の多さも郡を抜いています。人ごみの嫌いな僕としては、色々考えた末、ここ明石城跡に決めました。
この場所は、公園の中でも裏手にあたるので、人も少なく、心静かにスケッチができます。

古びた石垣を背にした満開の桜。花びらは、はじけるようなピンク色です。
おだやかな春の日の一時・・・。バーベキューはなくても、大いに満足しました。

2008年4月6日日曜日

ハンター邸

神戸の見所はなんと言っても異人館。このハンター邸も昔は異人館通りにあったのですが、重要文化財として1964年王子動物園に移築されました。
本来なら北野坂の坂道を行き交う人を想いながら、眺めるのが良いのでしょうが、今の場所も悪くないようです。

というのは、動物園だけあって、周りは子供と家族連ればかり。西洋建築に興味を示す人はほとんどおらず、観光客の多い異人館通りよりもはるかに静かに雰囲気を楽しめます。

今日は快晴。六甲山を背景にたたずむ姿はやはり神戸らしい味があります。

2008年3月30日日曜日

神戸文学館

この建物は関西学院のチャペルとして建てられたそうですが、(明治37年竣工)現在は神戸市立の文学館として無料で開放されています。

先日、念願かなってやっと内部を見ることができました。観光客でいっぱいかと思っていたのですが、意外なことに来館者は僕ひとり。おかげで、礼拝堂らしい、天井の高い、落ち着いた空間をじっくり味わうことができました。
気がつくともう午後4時。あわててスケッチをしたのがこの絵です。
西陽を受けたレンガは、学生達の青春のシンボルとしての歴史があるからでしょうか、存在感たっぷりです。

2008年3月23日日曜日

大阪城の梅林

大阪城は豊臣秀吉の城として、とても有名な城ですが、建物は昭和になってからのコンクリートによる再建で、残念ながら文化的な価値はあまりありません。僕自身も混み合う観光客の中で、敢えて絵を描きたいと思うほどの魅力も感じていませんでした。

ただし、今日は3月15日。この時期の大阪城は別格のようです。
見事に手入れされた一面の梅林。紅色やピンクの花びらはまるで雲海のよう。その上に浮かぶ天守閣には雄大さよりも優しさを感じます。そして穏やかな陽射しと少しひんやりとした風に乗ってはこばれる梅の香り。
まもなく春・・・訪れた人、誰もが感じたに違いありません。

2008年3月16日日曜日

京都文化博物館 その2

昨年冬ここを訪れた時は寒さに負け、建物の外観を描けませんでした。この日は3月1日。再チャレンジです。
まだまだ空気は肌を刺す冷たさで、途中で何度もくじけそうになりましたが、なんとか完成です。
前回、明治の人のバイタリティに感激したことを書きました。
実は、この建物にも、そんな情熱が潜んでいます。兵庫県公館の少し前、明治39年に完成していますが、こちらの設計者は辰野金吾。やはりとても有名な人で、今の東大建築学科の弟1回卒業生にして、やがて教授となり日本人の弟子達を育てた人です。いわば日本の建築界の始祖とも言える、超エリートです。すごい人ですね。
レンガと石の組み合わせによるストライプが思ったよりも軽快で、銅板屋根の緑色が良く似合います。
「俺は明治の文化を創っているんだ・・・」そんな気概を感じます。

2008年3月9日日曜日

兵庫県公館



この建物は神戸元町(もとまち)駅から歩いてすぐのところにあります。
観光ガイドブックにも必ず載っている堂々とした明治時代の建築です。


設計者は山口半六というこの業界ではとても有名な人です。なにしろ江戸時代までは木造しか知らなかった日本人がいきなり洋風石造建築を作ろうとしたのです。彼は単身フランスで建築を勉強し、この兵庫県公館を明治34年44歳の時に創り上げました。


今のように、インターネットで情報を得ることもCADによる作図もできなかった時代です。たった一人でゼロからここまでたどり着いたのです。


・・・・明治の人々のバイタリティーに感激です。

2008年3月2日日曜日

バブルの頃

1989年。バブルの最盛期でした。
東京に出張し、泊まったホテルです。

ホテルに興味のある方は僕の書き込みをよく見てください。
バスルームの充実ぶりとデスク周りの高機能化が特徴です。
洗面台のトレイには、リキッド、トニック、ローション、リンス、レザー、ソープ、歯ブラシなどが美しくセットされ、ユニットバスなのに、木目をふんだんに使っています。家具にも凝った仕掛けが いっぱい・・・。
もちろん豪華なホテルはどこにでもあるのですが、普通のビジネスマンでも、こんなホテルに普通に泊まれた時代でした。
最近はホテルも二極化されているそうです。一泊10万円以上の部屋はいつも外国人で満室なのに、日本人は「芸術的に」縮小されたウサギ小屋客室に泊まるか、満員の新幹線で日帰りするのです。

かくして、そういう僕も「出張先でホテルの部屋を描く」などという贅沢な時間は許されなくなってしまいました。
僕のスケッチブックからホテルの絵が消えた理由はここにあったようです。

2008年2月24日日曜日

京都文化博物館(旧日銀京都支店)

この建物は明治時代の有名な建築で、重要文化財に指定されています。外観を描きたかったのですが、京都の冬の寒さに、スケッチブックを広げる気にならず、早々に建物の中へ避難しました。


内部も見事です。天井も柱も扉も手摺も、今の僕らでは考えられないほど、凝ったディテールです。高窓から差し込む光がそんな細部に影を落とし、当時の日銀らしい重厚な雰囲気を醸し出しています。


ここなら寒くないと思いスケッチし始めました。
セピア色のグラデーションが似合う落ち着いた空間でした。

2008年2月17日日曜日

冬の琵琶湖


地球温暖化の影響で暖かくなっているとはいえ、冬の寒さは日曜画家にとって天敵です。
考えても見てください。かじかむ手でペンや筆を走らせるのは精神修行以外の何物でもありません。
従ってここしばらく、このブログも季節の話題を避けてきました。
しかし、今日は敢て「冬」に挑戦です。

所は琵琶湖。10年前、この土地で同じ仕事をした仲間が集まる会があり、その記念になんとか一枚描こうと頑張って湖面をにらみ続けました。手が寒さで震えているので、線の鈍さは勘弁してください。
琵琶湖の空はどんよりと曇っていて、水がいかにも冷たそうです。
そんな光景の中で一番輝いていたのは背後の山並み。頂上付近には雪が積もっていて、白があざやかでした。

2008年2月10日日曜日

松江城その2


松江城の横をすり抜けて細い通路を抜けると、天守閣の裏手に出ます。


当時はきっとこのあたりにも、建物が建っていたに違いありません。
しかし今は雑草が生い茂り、石垣も雑木林に隠れ、人気(ひとけ)がなく、ひっそりとしています。
うっかりすると、うらぶれた山村にいるような錯覚を覚えますが、木々の間からのぞくがっしりした天守の屋根が城下の一角であったことを教えてくれます。


松江城の正面が「武士の夢」なら、この裏手の風景は「夢のあと」と言えるのかもしれません。

2008年2月3日日曜日

松江城


松江城は江戸時代初期、初代藩主堀尾吉晴によって建てられました。
僕はけっこう歴史マニアですが、彼の名はほとんど印象にありません。秀吉の部下として時々登場しますが、それほど豪傑ではなく、小説の主人公にはならない、ぱっとしない人だったようです。
しかし、関が原の戦で家康についたのが、人生の転機でそれ以後、出世を遂げました。
そしてこの城の完成間近、68歳で亡くなったそうです。
天守閣は当時の姿のまま残っており、重要文化財に指定されています。
実は、当初「観光名所」として有名すぎることもあって、スケッチの題材としてはあまり期待していませんでした。
しかし実際に見ると、ご覧のように堂々として、美しく、しかも山の頂上に建っているので、城下が一望でき、なかなか感動的です。
いつの間にか、惹きこまれてスケッチを始めていました。この城には当時の武将達の憧れ「城持ち大名」の夢が現れている気がしてなりません。

2008年1月26日土曜日

初めてのクロッキー

クロッキーとは何のことかご存知ですか?
細かな定義は別として、通常はヌードモデルを素早く、シンプルな線で描くことで、美術系の学校では必須となる基礎練習です。


先日、同じ設計仲間と飲んでいるときに、ふと大学時代、初めてクロッキーをしたときの感動に話がおよびました。そう、大学の建築学科は工学部のくせに、「ヌードクロッキー」がカリキュラムにあるのです。


うぶで純粋な19歳の若者にとって、目の前にあるものは驚きでしかありません。わけもわからず、クロッキー帳に向かって鉛筆を走らせたことを覚えています。

通常は20分ポーズから始まります。














時間は徐々に短くなります。

座るポーズ 。




横になったポーズ。案外難しいのです。























そして最後は1分ポーズで終わります。線を引きなおす時間は無いので、一発勝負です。でもこの緊張感がなかなか心地よいのです。









えっ、うぶな若者の割には線に迷いがないって?・・・・残念ながら、さすがに初めて描いた時のクロッキーは残っていません。これはかなり慣れてきた、大学の3年生くらいの頃でしょうか。
それでも僕にとっては懐かしい青春時代のひとコマです。