2009年10月25日日曜日

中之島図書館

「中之島をパリのシテ島と比べる・・・」

水都大阪2009の紹介コメントに確かそんな記述があった気がします。
僕は残念ながら本家の水都には行ったことがないのですが、公会堂とこの図書館は川の両岸から見られるロケーションにあることは間違いなく、担当した建築家はきっと街のシンボルとしてデザインに相当気を使ったに違いありません。

公会堂の設計者は日本の建築家の草分けである辰野金吾。そしてこの図書館は彼の東大の教え子である野口孫市。つまり師弟でこの中之島の街つくりにかかわったことになります。
図書館のデザインについて、資料には「ルネッサンス様式、新古典主義、パラディオニズム・・・などなど」とあります。大胆に略すと、ギリシャ、ローマ時代のデザインモチーフをダイナミックに応用した建築とでも言うのでしょうか。
いずれにしても、デザイン密度は周辺の近代建築の追随を許しません。言わば、中之島は当時の売れっ子建築家が腕を競って作り上げた街だったのです。

最近皆、やっとその価値に気づき始めたようです。街のあちこちで保存や改修工事が進んでいます。
しかし、ただ単に昔の遺産を残せば良いというものではありません。大切なのは私達がこの「文化を見守る視線」を持ち続けることなのです。
そうすれば、いつか「シテ島を日本の中之島と比べる」という記事をパリジェンヌが読む日が来るのかもしれません。

2009年10月18日日曜日

北浜レトロビル

「水都大阪2009」というイベントをご存知ですか?
大阪の元気を取り戻そうというのが狙いでしょうか、色々な催し物が企画され、市民の注目度も高かったような気がします。

もちろんこの街の建築文化を見直す試みもなされました。この「北浜レトロビル」も、そのうちのひとつです。
ご覧のように2階建ての小さな建物で高層ビルに挟まれ、いかにも窮屈そうです。
都市化の波に呑み込まれず、よくも取り壊されずに今日まで生き残ってきたとビルのオーナーを尊敬してしまいます。

設計者も、施工会社の名前も記録が残っていません。しかし入口や窓周りの見事な石の装飾、凝った屋根飾り、落ち着いた本物の煉瓦の外壁はこの建物が大正時代の文化の証(あかし)であることを示しています。
そしてこんな小さな建物でさえ、ここまでデザインしていたということは、実はこの時代は現代よりもはるかに豊かな文化を育んでいたのではないかと思いたくなります。

今のこのビルは紅茶専門店。そして窓の向こうには大川が流れています。
スケッチの後、入り口から内を覗くと「水都」で紅茶を味わおうという人でビルは超満員でした。 ・・・大阪の文化は健在です。

2009年10月11日日曜日

大徳寺 高桐院

大徳寺の塔頭はほとんどが非公開。この日も「真珠庵」「狐蓬庵」「方丈庭園」など有名な建物は見ることが出来ませんでした。仕方なく、偶然開いていた「高桐院」へ。
しかし門をくぐってびっくり。うっそうと生い茂る木立の中、苔むした石畳としっくい塀が、奥へと続いています。ひんやりと湿った空気は、木の葉の涼しげな緑色に塗りこめられて、まさに「静寂」そのもの・・・。
玄関の屋根上に繁る草木だけが、やけに鮮やかで、訪れる人を出迎えてくれているようです。

この魅力的なアプローチ空間に惹かれ、改めて建物のいわれを調べてみると、「1601年細川忠興により建立された」とあります。歴史好きの人ならガラシャ夫人の悲劇を思い起こすにちがいありません。
墓地に並んだ「忠興とガラシャの墓」に納得すると同時に、偶然立ち寄った塔頭にさえ、こんな豊かな空間と歴史のロマンが潜んでいることに感動を覚えてしまいます。
京都の文化と歴史の奥深さは、こんなさりげない佇まいにあるのかもしれません。

2009年10月4日日曜日

大徳寺法堂(はっとう)

涼しくなりかけてはまた暑くなり、9月も終わりだというのに、真夏に戻ったような日でした。
今日のお目当ては大徳寺。境内はとても広く、居並ぶ建物はどれも非常に趣があります。
これらは禅宗様という建築様式で、簡単に言うと、男らしく、かつ洗練されてかっこいい・・・というものです。
えっ、雑すぎる?素人でもよくわかる特徴は以下の通り。今度行ったら、確認してみてください。
屋根の勾配がきつく、そそり立つイメージ。
屋根を支える組物が柱と柱の間にもあるので軒下の木組みのボリュームが大きくて複雑。
軒の垂木が扇垂木といって放射線状に配置されているので、軒のコーナー部が強調されるなどなど・・・。
ちょうど木と木の間に屋根のラインが納まるベストショットを発見。さっそくスケッチブックを広げました。
しかし、狙ったアングルはいすに座ることを許さず、午後の暑さとまだまだ十分にしつこい薮蚊の襲来が僕の体力を奪います。
30分経って、なんとか完成。
腕は蚊に刺されて腫れ、手首も腰もしびれたようなダメージが・・・京都の「残暑」を体で知ることになりました。「日本の四季」は奥が深い!