2011年12月25日日曜日

三菱一番館

2009年9月、東京のど真ん中に出来たこの建物。
高層ビルに囲まれた地価の高い土地によくもまあ、こんな効率の悪い建物が建ったものです。
しかも、すべて石と煉瓦造りの本物志向。遊園地にあるプラスチックのまがい物ではありません。
建築基準法を守りつつ、現在の技術と材料でこの建物を復元するには相当お金がかかったはず。
噂によれば隣の超高層ビルと同じ金額だったとか・・・。

この建物、もともとは英国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計され、明治27年に竣工したオフィスビル。
その後、倣うように続々とオフィスビルが建てられこのあたりは「一丁倫敦(いっちょうロンドン)」と呼ばれるようになったそうです。
私が訪れた時、内部の美術館でちょうど「一丁倫敦と丸の内スタイル」展が開催されていました。
「今日は帝劇、明日は三越」という当時はやったコピーの通り、センスのよいインテリアと衣装で描かれる日常は実に豊かです。

この建物の復元に巨額の投資がなされた狙いはよく知りません。
しかし「建物を設計することは文化を創ること」・・・現代の設計者にはやはり実現困難なこの言葉を思い出させてくれただけで、この建物が再建された甲斐があったと思っています。

2011年12月18日日曜日

西本願寺 伝道院

西本願寺正面の参道沿いに奇妙な建物が建っています。
通りは仏具などを売る老舗が立ち並び、門前町らしい雰囲気を醸し出していますが、この伝道院だけが異彩を放っています。

赤い煉瓦と少し扁平なドーム屋根。
両端が少し跳ね上がる微妙な曲線の窓飾り。
そして車止めの上には変な怪物像などなど・・・。
ネオルネサンス、ネオバロックなど当時の堅苦しい銀行建築とは一味違うこの建物を設計したのは「伊東忠太」。
明治末期から昭和初期にかけて、活躍した建築史家です。

実は4年ほど前、その異才に触れるべくスケッチに訪れたのですが、あいにく工事用の仮囲いで覆われており、見られませんでした。
今年保存修復工事が終わり、やっと念願がかなったと言うわけです。
1階は当時のデザインを生かしたまま、展示スペースとして公開されています。
あなたも是非訪れてみてください。
エキゾチックな風貌がお寺の町と妙にフィットしていることを感じるでしょう。

2011年12月11日日曜日

北海道庁旧本庁舎

JR札幌駅の南、歩いて10分ほどの距離にこの赤れんがの庁舎があります。
幕末から明治にかけての動乱を思えば、北海道に本格的な洋風建築が建ち始めるのは大正や昭和になってからと勝手に解釈していましたが、なんと竣工は明治21年とあります。
僕がこのブログで描いた神戸の代表的洋館である兵庫県公館は明治35年竣工であることを考えれば、驚くべき速さで北海道に文明開化の波が押し寄せたのがわかります。

おそらく明治政府の威信をかけて建てたのでしょう。正面からみるその姿はドーム屋根を中心に左右対称、間口61mの堂々たる官庁建築そのものです。
左右対象のデザインは建物の背面にも徹底されているようで、観光パンフレットにはその美しさを「後姿美人」とたたえています。
そこでこのスケッチ・・・えっ、そんなに大きく見えない?
そう、これは正面でもなく、後ろでもない、側面のスケッチなのです。
それでも入り口のアーチを中心とした左右対称の構成は守られています。シンボルとしてのドーム屋根もちゃんと見えます。アーチ状の窓など正面には無いパーツもちりばめられており、周到にデザインされた跡が見られます。
美人は「横顔」も美しい・・・などと思ったかどうかはわかりませんが、昔の建築家のこだわりは十二分に伝わってきます。

2011年12月4日日曜日

醍醐寺 五重塔

ガイドブックによれば、醍醐寺の創建は平安時代初期。その後戦国時代にほとんど焼失し、秀吉の有名な「醍醐の花見」のときに再建されたとのことです。
その中でこの五重塔だけは唯一創建当時(951年)のままの姿を見せています。

今までこのブログでいくつか描いた塔について調べてみました。
時代順に並べると、薬師寺東塔が白鳳時代、この醍醐寺五重塔が平安時代、興福寺五重塔が室町時代、東寺五重塔が江戸時代となります。

一つ一つ思い出してみると、何となく歴史の法則を感じます。
つまり、時代が下るにつれて低く安定感がある形から、高く直線的な形に変化(技術的には進化)しているようです。

薬師寺(高さ34m)は最下層の屋根が特に広いことと、上層の裳階(もこし)が屋根よりも小さくついているため、どっしりとした感じがします。
興福寺は裳階も無く、上から下まで屋根の先端ががすっきりと流れ、高さが51mもあるため、軽快かつ勇壮な感じがします。
東寺は屋根の逓減率が極めて小さく直線的で、高さは日本最大の55mもあるため、圧倒的迫力を感じます。

そしてこの醍醐寺五重塔の高さ(38m)は時代の順番通り、薬師寺と興福寺の中間にあります。さらに特徴は下から上への屋根の逓減率、曲線の重なり具合が実に微妙なことです。
軒先のラインを追っていると、屋根の先端の位置が狂い、複雑な組み物にとらわれているうちに全体がおかしくなり・・・スケッチ失敗!・・・下書きをしないペン画には天敵と言ってよい題材でしょう。
何とか描き終えたその姿は、どっしりとした薬師寺と軽快で勇壮な興福寺のちょうど中間のイメージ、まさに「繊細」で「優美」な平安調の五重塔と言えるでしょう。

2011年11月27日日曜日

第一ホテル東京ベイ

先週描いたホテルは、いつものクロッキー帳に入りきらない部屋だったので「縮尺を小さく」したと言いました。
今回の部屋はそれでも入らなかったので、ノート両面を使ったワイド版で登場です。
これもバブルのころできたホテルでディズニーランドの隣にある人気の高級ホテルでした。
あまりにもリッチだったので、こまごまと思いっきり書き込んでしまいました。
お暇な方は、画面の文字を追ってみてください。バスルームの「ヘルスメーター」とかカウンター上のティッシュやコップやレザーの配置とか・・・。
冷蔵庫上の「茶筒」に気がついた人はかなりのホテル通です。
枕元には「ボジョレ・ヌーボー」まで・・・

このホテルも、経営破たんし現在は「ホテルオークラ東京ベイ」となっているそうです。
そうは言っても、インターネットで調べる限り、予約はいつもいっぱい、部屋の様子も以前と変わらないリッチな人気ホテルのようです。
いったいどんな人が泊まっているのでしょうか。

2011年11月20日日曜日

バブル崩壊

最近「ユーロ危機」とかで、株価がさえません。
日本はいったいどうなってしまうのでしょうか。
でも株価が下がり始めたのは、ずっと前、言うまでもなくバブル崩壊からです。

その頃の絵を探してみました。
1991年、場所はリーガロイヤルホテル新居浜。
かなり話題になったホテルで、確か完成して間もない頃に行った記憶があります。
普通のビジネスホテルは部屋の奥行きがだいたい6mくらい。この部屋は9mもあり、いつも持ち歩くノートからはみ出してしまうので、縮尺を小さくして描いています。
このホテルのリッチさは部屋の広さだけではありません。付属する屋内プール、スパの巨大なこと・・・。
しかし、今思えばその日、その施設を利用していたのは僕だけ。
そして、これまた巨大なウォータースライダーの門を二人の係員がわざわざ僕のために開いてくれたことを覚えています。
まさにバブル・・・この「アクアガーデン」はホテルと切り離され、その後売却されてしまったそうです。

2011年11月13日日曜日

唐招提寺

薬師寺を訪れた同じ日、唐招提寺まで足を伸ばしました。「平成の大修理」が終わった国宝「金堂」を見たかったからです。
門をくぐると正面に金堂が・・・堂々としたその姿は威厳があり、僕の視線をひきつけて離しません。
しかしあまり強い正面性は、絵の構図としてはいまひとつ・・・。
などとえらそうに文句をつぶやきながら、裏側の参道を歩いているとこんな風景が目に入りました。
特に立派な建物があるわけではありません。
庭、門、塀、緑など、どれもモチーフとしては平凡です。
それでも、何百年も手入れされた杉の木立から漏れる陽が、同じくらい年を重ねた土塀を照らす瞬間には、はっとさせられるものがあります。
「時」はそれだけで十分「絵」になるようです。

2011年11月6日日曜日

薬師寺東塔

今年3月、久しぶりに薬師寺を訪れました。
学生時代に来たときは無かった西塔が再建され、教科書で習った通り、金堂の手前に東塔と西塔が左右対象に並んでいます。
もっとも金堂や西塔は色も創建当時のまま、柱と梁は赤色に、連子窓は緑色に塗られていますが、東塔は古びた木肌のまま・・・左右対称とは言え、少し違和感を感じます。
どちらが好きか・・・個人的にはやはり東塔の古めかしさに軍配を上げたくなります。
ただこの東塔もこのすぐ後、解体修復工事が始まり、今は建物を覆う素屋根の工事中。再び両塔が並び建つ姿が見られるのは平成30年まで待たねばならないとか。
その時、ひょっとして、東塔も赤と緑に塗られてしまうのでしょうか。
そうだとしたら、このスケッチはとても貴重な一枚になるかもしれません。

2011年10月30日日曜日

旧山邑邸

僕のブログにはシンプルでモダンないわゆる近代建築はあまり登場しません。
もちろん建築の設計に携わる者として、伝統的な建築にない理論とその空間には大いに考えさせられることがあるのですが、残念ながらシンプル過ぎる外観は絵の題材としては面白くありません。
僕だけでなく、きっと世の日曜画家達も同じ気持ちでしょう。
さて、そんな近代建築の中で唯一、国の重要文化財の指定を受けた建物がこの旧山邑邸(大正13年竣工)です。
設計者はフランクロイド・ライト。犬山の明治村に部分保存されている旧帝国ホテルと同じ設計者です。
ご覧のようにドームや尖塔など特に奇抜な要素あるわけでもなく、石やテラコッタや金の装飾がふんだんに使われているわけでもありません。
それでも不思議なことに十分「絵」になるのです。
これを見習って、現代建築の設計者はもっと「絵」になる建築を設計してほしいものです。
現在内部は「ヨドコウ迎賓館」として公開されています。あなたも是非一度訪れてみてください。
住宅の隅から隅までデザインしつくすことの楽しさを感ずるはずです。

2011年10月23日日曜日

日本キリスト教団神戸教会

関帝廟からすぐ南の大通りに面してこの教会があります。設計は原科建築設計事務所、昭和7年竣工の建物です。
玄関の大階段とその上の窓飾り、そびえる尖塔のデザインが見事です。

実は近くに、もうひとつ大きな教会、「神戸栄光教会」があったのですが、こちらは残念ながら阪神大震災の時に崩れ落ち、その後再建されましたが、予算の関係でしょうか、全体的に簡略化されており、とても「復元」とは言えません。
幸いこの「日本キリスト教団神戸教会」は震災に耐え生き残りました。
貴重なこのデザインを守り続けてほしいものです。

2011年10月16日日曜日

関帝廟

この派手で奇妙なお寺は神戸の「関帝廟」。
歴史好きの人なら誰でも一度は感激して読んだ「三国志」の関羽将軍を祭ったお寺です。

ご覧のとおりの中華風デザインで、先週までの京都や奈良の風景とは趣がかなり違います。
建物は1881年(明治21年)に建てられたようですが、何度も火事に会い、現在の本堂は1979年に修復されました。従っていわゆる「文化財」としての価値は評価されていません。
しかし再建のとき日本の大工の棟梁が苦労したオリジナルな中日折衷様式は興味深いものがあります。
派手な着色だけでなく、反りあがった軒まわりのプロポーションや屋根の上の双龍の像などは素直にかっこよいと言えるのではないでしょうか。
ずっと先に「関帝廟様式」なるものが認められたら・・・などと想像してしまいます。

2011年10月9日日曜日

興福寺南円堂

今日の絵は奈良興福寺の南円堂。
北円堂は国宝ですが、こちらは重要文化財。再建が江戸時代と比較的新しいことが理由でしょうか。
ただ八角形の平面に唐破風がつく姿はかなりユニーク。
絵としては北円堂よりもこちらのほうが面白いと言えるでしょう。
時刻は夕暮れ。
まもなく茜色に染まる空に、大屋根がくっきりと浮かび上がりました。

2011年10月2日日曜日

清涼寺 多宝塔

嵯峨鳥居本から南へ15分ほど歩くとこの清涼寺があります。
元は源氏物語の主人公に由来するらしい由緒正しいお寺らしいのですが、建物は大部分が江戸時代の再建です。
そんな経歴が京都では評価されないのか、国宝はおろか重要文化財にもなっていません。
しかし参道から眺める本堂、仁王門の雄大さはなかなかのもの。
さらに僕が気に入ったのは、このこの小さな多宝塔。
嵐山を背景に軽やかに建つ姿は、歩き疲れていても、僕の創作意欲を十分に刺激してくれます。
しかもここで絵を描くのに拝観料は無料。太っ腹な(?)お寺に感謝・・・。

2011年9月25日日曜日

嵯峨 鳥居本の町並み

大覚寺から西へ歩いて20分ほどでここ、「嵯峨鳥居本(とりいもと)伝統的建造物群保存地区」に来ます。
もっとも大半の観光客は町の中ほどにある「念仏寺」がお目当て。
8000体といわれる石仏が有名ですが、建物はこれといって特徴のあるものはありません。
しかも立て札にはなんと「撮影禁止。質問禁止。調査禁止。」とあります。これで拝観料500円とは・・・。

さて気を取り直して町並みを散策。
街の両側を山並みが包み、陽の光を木の葉で拡散してしまうからでしょうか。
あるいは民家の深い軒が道に濃い影落とすせいでしょうか。
目に映る色調は淡く優しく、触れる空気はひんやりとして、心地よいのです。
こんな落ち着いた佇まいの中、目がゆくのは薄明かりのちょうちんと赤い傘。
これぞまさに大和(やまと)色の風景。

2011年9月18日日曜日

大沢池

9月11日。
秋の京都を描こうと、久しぶりに嵯峨嵐山へやってきました。
前回は保津川付近を歩きましたが、今回は嵯峨野。嵐山の自然とお寺が狙いです。

駅から北へ約15分。最初は大覚寺です。
渡り廊下で繋がれたお堂は寝殿造りを見るようで、なかなか面白かったのですが、残念ながら園内はほとんどが立ち入り禁止。外から建物をスケッチすることはできません。
あきらめかけて、最後に大沢池へ足を運ぶと、水上の舞台と鮮やかな赤い屋根を載せた二艘の船が浮かんでいました。
立て札を見るとこの日は「観月の夕べ」・・・船にのって優雅に月見を楽しもうというのでしょう。
そんな平安朝の夜を想いながらこのスケッチをしました。

なお、立て札には続きがあります。「・・・本日の受付は終了しました。」どうやらすぐに満員になったようです。こちらも実に京都らしい。

2011年9月10日土曜日

舞子の海

この週は本当に疲れていたようです。何しろ、週末の電車の中で人が寄ってきただけで、苛々するのですから。
幸い、翌朝は晴れ。イライラを解消すべく舞子の海を見に来ました。
鮮やかな黄緑色の芝生と、とんがり屋根の「移情閣」。
光る海と青くかすむ淡路島。
時間を忘れて非日常的な光景に浸ること・・・これが僕のストレス発散の秘密です。
もちろん、太陽の下で飲んだビールも回復に貢献したに違いありません。
仕事の疲れがたまった時、皆さんはどうやって気分転換をしますか?

2011年9月4日日曜日

夏の神戸港

ここは「ポートタワー」の展望台。
夏の神戸港を冷房の効いた所で涼しく描こうという魂胆です。

中央にあるのは言わずと知れた神戸税関。
青い海には何艘かの白い船が停泊中です。
乾いたアスファルトに濃い影を落とす味気ない倉庫群も、積荷を守る港の一員として並ぶとそれなりに絵になります。

空はまだまだ明るく、入道雲の力強さも衰えません。
神戸の夏はもう少し続くようです。

2011年8月28日日曜日

海とヨット

生まれて初めて、ヨットのクルージングを経験しました。
もっとも操船は全て船長任せ・・・僕は気楽に甲板に座っているだけ。
本来の「男らしい」マリンスポーツとは程遠かったのですが、おかげで真夏の海と爽快な向かい風を十二分に楽しむことが出来ました。

翌日の早朝。
港から淡路島の山並が朝もやの中にうっすらと浮かび上がります。ふだん不健康な朝を迎えている僕にとって、見たこともない感動的な光景でした。
よく見ると、気の早い仲間のヨットがはや、出航の準備をしています。
どうやら台風が近づいているようです。

というわけで、僕らの船も早々に出航。
帰りは神戸の街を海から眺めながらのクルージング。いつも見ているはずの神戸なのに、次から次へと見慣れぬ風景が現れます。
貴重な経験をさせてくれた船長に感謝!

2011年8月21日日曜日

夏、神戸、坂道

今日は8月16日。
「神戸の夏」を描こうと早起きをして山の手に向かいました。
ちょうど阪急電車の線路を越える頃、振り返るとこの景色がありました。

空を薄く覆った雲のせいなのか、お盆を過ぎた暦のせいなのか、ぎらつく太陽が街に向けて放つ光線はやや欲求不満気味です。
つい先日までの強烈な光と影のコントラストはありません。
乱反射で照らされた明るい町並みが坂道に沿ってはるか海岸まで広がっています。

神戸の魅力は海と山と坂道と・・・特に立派な建物など無くとも眼下に広がる光景はそれを十分に証明しているようです。
ただ、視線の先にある工場群と巨大な赤い橋が本当の水平線を隠しているのが残念でなりません。

2011年8月14日日曜日

旧篠山裁判所(篠山市立歴史美術館)

武家屋敷も商家も個人の住宅。
江戸時代の人々の生活を想像できるのがその魅力でした。
一方この建物は明治になって旧篠山藩庁を改造して造られた裁判所。
魅力は文明開化に向けた明治政府の「威厳」でしょうか。
外観はご覧のとおり和風ですが、内部は完全に洋風。
保存されている法廷のインテリアは簡素でありながら重厚・・・当時の雰囲気がよく伝わってきます。
今は美術館として公開されているので誰でも中を見ることができます。
あなたも、その「被告席」で過去を想像してみてはいかがでしょう?

2011年8月7日日曜日

河原町商家群その2

河原町商家群は重要伝統的建造物群保存地区として2004年に認定されています。
「妻入りの軒先が規則正しく繰り返され江戸時代の町並みを見事に残している」のが評価されたようですが、当然すべてがその原則通りではありません。
このスケッチにも中央に一軒だけ平入の家があります。明治以降の城下町動乱期の中で、へそ曲がりの主人が建て替えたのに違いありません。
そしてその手前の民家のように実に奇抜なデザインの家も登場します。
本来シンプルなうだつを仰々しい2層の小屋根で飾り、その壁は手首をたらしたような奇妙なカーブを描き、軒の両脇を挟み込んでいます。
この変形うだつの意匠はこの家だけのオリジナルかと思いましたが、街を歩くうち、他にも似たような事例を発見しました。
個人的な趣味を超えたボキャブラリーが存在するようです。
いったいいつから、誰が造り始めたのか・・・この問いの答えをご存知の方、是非お知らせください。

2011年7月31日日曜日

河原町商家群

大名屋敷も侍屋敷も共通しているのは、通りに対して閉鎖的なこと。
土塀、板塀などの違いはあっても通りから中をうかがうことはできません。
前回、前々回と内部の坪庭や屋根の形をテーマにしたのは、そんな閉鎖性にやや物足りなさを覚えたからかもしれません。
その点、同じ城下町にありながら商家の町並みには、人々の生活が現れます。
この川原町商家群もその例にもれません。
武家が茅葺の屋根だったのにこちらは全て瓦屋根、ほとんどが妻入りの形式に統一され、その豊かさが推測されます。
格子戸、なまこ壁、道に出した植木、屋根つきの伝言板など、庶民の生活を語ってくれる小物があふれています。
雨がぽつぽつと落ちる中、真ん中の店の赤いのぼりが印象的でした。

2011年7月24日日曜日

篠山の武家屋敷

お徒士町には安間家だけでなく、茅葺入母屋の元侍屋敷の住宅がいくつも残っています。ただ茅葺屋根や土塀は維持するのが難しいためか、けっして保存状態がよいとは言えません。

この一連の建物は比較的、よく当時の雰囲気を伝えてくれていますが、やはり塀周りにちょっと不自然、残念なところがあります。
それでも、夕暮れが迫るこの時刻、西日に浮かぶ屋根の形が作り出す風景は、都会のスカイラインに慣れた僕にとってはとても新鮮です。
この町並みをいつまでも残してほしいと思います。

2011年7月18日月曜日

安間家住宅

城下町につきものの武家屋敷。
ただし廃藩置県のとき全国いたるところで、大名屋敷は取り壊され、現在残るのはほとんどが下級武士の「侍屋敷」だそうです。

ここ篠山に残る安間家も「御徒町」にある住宅で、藤沢周平の時代小説によく登場する、いわゆる「10石三人扶持」の(たぶん)貧しい武士の家です。
門も母屋も屋根は瓦でなく茅葺。裏庭にも作物を栽培していた跡が見えます。
建物はそれなりの広さがあるものの、下僕を雇わねばならない生活は楽ではなかったことが見て取れます。
でも、座敷に座り、この小さな坪庭を眺めていると不思議にほっとするものを感じます。
武家とはいえ、現代の私達と同じようにこの庭で季節の移り変わりを話題にしたに違いありません。
有名寺院の庭園のような広さも凝った意匠もありませんが、ここには当時の人の心が残されているような気がします。

2011年7月10日日曜日

篠山城 大書院

大正ロマン館の通りを南へ行くと篠山城跡に出ます。
築城の名手であった藤堂高虎によるものだけあって見事なお堀が取り囲んでいます。
ただし現在残っているのはこの大書院だけ。
これも昭和19年に焼け、2000年4月再建されたものです。当時の図面を元に「当時のまま木造で復元された」とあります。
パンフレットにはお城正面の門とこの大書院を映した写真が載せられていましたが、それではこの建物の魅力は伝わりません。
歩き回った末、玄関と反対側、庭の塀越しに見るのが一番だと気がつきました。
足元のぬかるむなか、つま先だって中をのぞく姿勢で屋根と庭を超広角で画面に入れました。よって若干の不自然さはご容赦ください。
見所は大屋根に対しわざと正面をはずした唐破風と庇端部を入母屋とする珍しい構成です。
だから・・・高く、伸びやかにかつ複雑な、格好の良い屋根が出来たのでしょう。
設計者はもちろんわかりませんが、うらやましいデザイン力です。

2011年7月3日日曜日

大正ロマン館

長々と続いた「ハワイ篇」は先週で終わり。
気がつくと日本は五月、新緑のころ。常夏の気候に慣れた肌には空気がまだ冷たく感じます。
そんな頃、以前から訪れたいと思っていた「丹波篠山」に来ました。

篠山は神戸からJRで約一時間。手軽な行楽地で、「牡丹鍋」が有名です。
しかし、じっくりと歩いてみると、戦国、江戸、明治、大正と歴史的にも見ごたえのある遺産がたくさんあることがわかります。
あいにく天気は小雨と曇りの繰り返し・・・建物を描くには難儀でしたが、歴史の街の雰囲気は十分に味わえました。

さて最初は「大正ロマン館」。
櫓(やぐら)を載せた屋根と二重の破風がある玄関の構えがユニークです。
竣工は大正12年(1923年)。設計者はわかりません。
現市庁舎建て替えのときに解体の危機に見舞われたようですが、市民の保存運動のおかげで、観光センターとして生き残ることが出来たようです。

ただその時の改修のせいでしょうか。外観は艶のあるピンク色ですが、木肌が塗りつぶされていて、素材感がまったくなく、少し違和感を覚えます。
建具の明るいグレー色もどうも建物のイメージに合いません。
おそらく建設当初の資料が残っていなかったからでしょう。
でも・・・ちょっと残念です。

2011年6月26日日曜日

娘の結婚

このブログを始めて間もない頃、「一子誕生」というタイトルで生まれたばかりの我が子をスケッチしました。


そしてこの日は娘の結婚式。
そう、ハワイにやって来たのは娘の結婚を祝福するためでした。
美しい緑の芝生、ヤシ、尖塔のある厳かな教会・・・。
ウェディングドレスの眩しい白・・・この子が生まれたときのように新しいスケッチブックにその後姿を描きとめました。
娘の見つめる先を探すのはもう、僕の役目ではありません。

2011年6月19日日曜日

イオラニ宮殿

ホノルルは観光の街。
豊かな自然を除けば目に付くのは、観光客目当ての現代的なホテルやショッピングセンターばかり・・・魅力的な建築はありません。

しかし、ごく一部にハワイの伝統文化が残っています。
そのひとつがこの「イオラニ宮殿」。旧ハワイ王朝の重要な遺産です。
楽しげなヤシの木と強烈な太陽の光で照らされた宮殿の威容が何となくアンバランスでエキゾチックです。
この雰囲気は日本はもちろん、ヨーロッパやアジアの宮殿とも一味違います。
やはり「南国の」王朝なのだと感じてしまいます。

2011年6月12日日曜日

ダイヤモンドヘッド

海とヤシとウクレレと・・・
もうひとつ、ホノルルのシンボルを上げるとすれば「ダイヤモンドヘッド」でしょう。
標高は232mとそれほど高くはありませんが、海岸から突然立ち上がる荒々しい姿はいかにも火山島のハワイらしい・・・。
行き交うヨットの白い帆とマストはその高さを競っているかのように見えますが、けっして頂(いただき)を隠すようなことはしません。
この山の存在感に敬意を払っているかのようです。

2011年6月5日日曜日

ウクレレの響き

灼熱の砂浜を散歩していると、どこからか涼しげな音楽が流れてきました。
近づくと、太い幹とうねるように伸びた枝の木陰で中年の男女が合奏中。
男の人の優しい歌声がウクレレの音色とぴったり・・・聞きほれてしまいます。
日本ではお目にかかれない情景に感動して、木陰からこっそりスケッチしました。
ハワイのリゾートたる所以はヤシの風景だけではないようです。

2011年5月29日日曜日

ホノルル

実はこの旅の本当の目的地はホノルル。
この絵は泊まったホテルのロビーからの光景です。
中庭のすぐ向こうに、「ワイキキビーチ」が見えるという、抜群のロケーション。
職業柄、「こんなにたくさんヤシを植えたらそれだけで○○千万円・・・」などといらぬ心配をしてしまいますが、地元の人に聞くと、先に在ったのはヤシで、ホテルも街も後から建てられたのだと・・・なるほど。
ホテルの名は「ハレクラニ」。
1917年創業の名門ホテルですが、ヤシの歴史にはかないません。

2011年5月22日日曜日

リゾート気分

雰囲気はガラリと変わってここはホテルの中。
穏やかな風、プールの水しぶき、美しい芝生とヤシ。
残念ながら「赤土」、「高波」、「岩肌」という「大自然」よりもこんな人工的な優しい空間のほうが現代人にはなじみやすいようです。

「スケジュール」を忘れて木陰で寝そべりながらあきるまで本を読む・・・。
お腹がすいたら、ビールでもサンドイッチでもいつでも手に入ります。

まさに、これぞリゾート。
ただ、当然それなりの代価は必要です。
それほど贅沢をした気はなかったのですが、請求書を見てびっくり・・・・!。

このお勧めホテルは「グランド・ハイアット・カウアイ」。あなたも最高の休日をお試しください。

2011年5月15日日曜日

ハウプの尾根

ポイプビーチの北側に「ハウプの尾根」と呼ばれる険しい山々が見えます。
カウアイ島の直径は約50キロ。ということは神戸の西端から大阪の東端くらいで、この山は六甲山といったスケールでしょうか。
それにしてはこの表情の違い・・・。
ごつごつとした形、山肌は荒々しく、山頂は年中雲に覆われているようで、たどり着くには赤土がむき出しになった道を延々と往かねばなりません。
この島が映画「キングコング」や「ジュラッシクパーク」の舞台になったというのもうなずけます。

2011年5月8日日曜日

ポイプビーチ

常夏の国にはやしの木と砂浜の穏やかなシーンしかないかというと、もちろんそんなことはありません。

ここは同じポイプビーチでも切り立った小高い崖があるところ。
北の空には不安な灰色の雲が浮かび、波は激しく打ち寄せ、泳ぐどころではありません。地元の人もここの海は波が荒く、要注意とか。

しかし、こんな荒々しい一面を見せてくれるものの、やはりハワイ。
じつはここからほんの10分歩いた海岸で寝そべるアシカを見つけました。
まさか・・・でも大自然とはこういうものかと改めて実感しました。

2011年5月1日日曜日

南の島の日常

「勤続30年目の休暇」なるものを取得し、ハワイにやってきました。
何故ハワイか?・・・その理由はのちほど語ることとして、今週からしばらく南国のスケッチにお付き合いください。

さてハワイといえば、有名なのはもちろんホノルルの海岸ですが、ここは帰国当日の朝、スケッチしたカウアイ島ポイプビーチの公園です。

ホノルルに比べれば人は少なく、海岸でおしゃべりをしているこの4人はどうも地元の人のよう。
ヤシの木の下にタオルを敷き、寝そべる姿は日常そのものです。
地図を片手に聞き取れない英語にドキドキしつつうろつきまわる僕とは顔付がだいぶ違います。

聞こえるのは浜に寄せる波の音だけ。
時間もあの雲も止まったまま・・・。

2011年4月24日日曜日

チャイナ服を着た婦人

今日のモデルさんが選んだのはチャイナ服。
もちろん表現のポイントはスリムな体の線とその表情です。
ややひねり気味に座る姿はあくまで繊細で緊張感があります。
大きな瞳と、かすかに微笑んだ口元は、ちょっときつそうで、何か言いたげ・・・。

2011年4月16日土曜日

宇治川の桜

宇治川と言ってもここは京都ではありません。神戸市中央区・・・つまり神戸の街中を流れる小さな川です。


この川をウィキペディアで調べても「編集中」とあるだけで本家「宇治川」に比べるとその知名度は及ぶべくもありません。

しかし、この季節はちょっと違います。

ご覧のように、満開の桜が水面を覆い、川は流れに沿ってうすいピンク色に染まります。

いつもは暗い川底の土色もかき消され、本当なら一番明るいはずの空色でさえ、この花びらの輝きに比べると色あせて見えます。

この日の宇治川は自然という舞台で輝く主人公なのです。

2011年4月10日日曜日

四天王寺 その2

四天王寺は大阪の街の真ん中にあるためか、周辺に自然が乏しく、歩いていてとても疲れます。しかも塔と金堂以外のお堂はいずれもぽつんと単独で建ち、スケッチをしようと歩き回りましたが、なかなかこれと言ったシーンに出会いません。

そんな中、やっと見つけた構図がこれ。太子堂です。
建設された時代はやはり新しいらしく、特に重要文化財に指定されてもいません。
ただ、土塀と門、本堂から八角堂に連なる屋根は色も形も素材も変化に富んでいて、十分に魅力的です。
しかし五重塔や金堂が見えないこの光景で何よりも大切なのは「広い空」。
民を愛した聖徳太子の心を映しているように感じます。

2011年4月3日日曜日

四天王寺

昭和20年。
空襲によって大阪の町は灰燼に帰したそうです。
この四天王寺も例外ではありません。
聖徳太子が593年に建立したと言われる由緒正しいお寺ですが、残念ながらほとんどが戦後の再建(鉄筋コンクリート造)です。

それでも法隆寺とよく比較される、中門、塔、金堂、講堂が一直線に並ぶ格式ある伽藍配置は、今なお健在です。
実際に歩いてみると、この並び方は、正面だけでなく、どの方向から見ても塔を中心として変化に富む光景を生み出してくれることがわかります。

この絵は北側回廊の外から見たところ。
空に向かって軽やかに羽を広げるような塔の屋根と、どっしりと天を突き上げるような金堂の屋根が面白い形で重なっています。
いにしえの人達の目にもありがたいお寺の姿として映ったにちがいありません。
ただ着色された素材はやはりコンクリート・・・彼らはこの冷たさに馴染んでくれたでしょうか?

2011年3月27日日曜日

万福寺 鐘楼

中国風のデザインは「総門」だけではありません。三門、天王殿、回廊と進むに連れそこかしこに風変わりな文様と建物が現れます。

 回廊に面して建つこの「鐘楼」もそのひとつ。跳ね上がる様な屋根の反りと威圧的なプロポーション。軒下の垂木は放射状に配置された典型的な「扇垂木」で、「平行垂木」の和様とはまったく異なります。

 こんな異彩を放つお堂が16棟も重要文化財として登録されているにもかかわらず、境内は人影まばらで、静寂そのもの・・・一瞬、時間が止まったかのような感覚さえ覚えます。

 騒がしい観光情報に満ちた京のガイドブックに飽き足りないあなたへ。
この静かな「異国の香り」を是非感じてみてください。

2011年3月20日日曜日

萬福寺 総門

京阪電車で宇治駅から北へ5分、「黄檗」駅で降りさらに東へ5分ほどの距離に萬福寺があります。

平等院や宇治上神社を見た後にこの総門を見ると、その雰囲気の違いに驚いてしまいます。
平等院の軒が優美な曲線を描くのに対してこちらは直線的で急勾配。
宇治上神社が横長のおとなしいプロポーションなのに対してこちらは縦長で威圧的・・・そう、大陸的、中国的なのです。

それもそのはず、このお寺は江戸時代に明から僧を招いてわざわざ作らせたとのこと。
こんな近い距離に、これほどお国柄の違いを感じる建物を一緒に見ることができるなんて・・・歴史のいたずらに感謝です。

2011年3月13日日曜日

宇治上神社

厳しかった寒さもやっとやわらいできたようです。2月にしては、暖かかったこの日、久しぶりに京都方面に出かけました。

宇治にある世界遺産としては平等院が有名ですが、この宇治上神社も規模は小さいながら世界遺産で国宝です。
そう聞くと、さぞかし荘厳な建物だろうと想像してしまいますが、意外に小ぶりで親しみやすい神社です。
 桧皮葺の屋根や、跳ね上げ式の蔀戸(しとみど)、舞良戸(まいらど・・・横桟の引戸)など住宅風の建具が使われているせいかもしれません。

そうは言っても、さすが世界遺産の神社。
その背景に柔らかな冬の光に輝く御神木の姿を重ねると、のどかだった景色はたちまち非日常的な宗教空間に変わります。
そう、素朴な信仰心に凝った仕掛けは必要ないのです。

2011年3月6日日曜日

ジャイナ教寺院

うろこの家から西へ10分ほど歩いたところにこの奇妙な建物があります。
随分前からその奇抜なデザインが気になっていました。
頂部の塔はインドか、いや東南アジア風か?
ドラゴンの門は中国にもあったような・・・
調べてみると日本で唯一の「ジャイナ教寺院」とありました。
宗教建築だけあって、威厳があり古そうに見えますが、出来たのは1985年。意外に新しいのです。
スケッチをしていると、どう見ても日本人の大学生が数人寺院から出てきました。何事か会話を交わしています。どうも次回の集合を打ち合わせているよう。
彼らはジャイナ教の信者なのだろうか。まさか・・・。

2011年2月27日日曜日

うろこの家

「うろこの家」は神戸の異人館の中でも最も有名な建物のひとつです。
うろこのようにスレートを張った外壁がその名の由来です。
しかし設計者も詳細な竣工年も不明です。資料によれば明治後半、居留地に借家として建てられたようですが、1922年にこの山の手の地に移築されたようです。
記録に残る最後の住人はドイツ人ハリヤー氏となっていますが、資料はほとんど無く、建物だけが生き続けていると言っても良いでしょう。
この日は秋晴れ・・・2階の居間から眺める神戸の海は、青く、さわやかです。
住み手は変わっても、神戸の海の美しさは変わりません。

2011年2月20日日曜日

緑のカーティガンを着た婦人

千葉市の緑区に「ホキ美術館」というユニークな建物があることをご存知でしょうか。
建築にあまり興味のない方でもアクロバティックなその形態に目を見張るに違いありません。インターネットで是非覗いてみてください。

さて、一般に現代美術といえば、過激な、奇妙な、面白い・・・という表現を追い求めるものが賞賛され、「写実的な絵画」はおとなしすぎてどうも旗色が悪いようです。
しかし、最近その反動でしょうか。また「写実」に人気が出始めたようです。

この美術館もそのひとつ。現代絵画でありながら、展示作品は全て「写実」を追いかけています。
森本草介、島村信之、生島浩、塩谷亮など初めて知った作家もいたのですが、どれもすばらしい人物画で、その表現力にしばし見とれていました。
さすがにプロは違います。彼らの技量を見習うべく、自戒の念をこめて今日の人物画を載せる事にします。

2011年2月13日日曜日

中川運河水門

名古屋は本来、港町なのですが土地が平坦で街の中心部から「海」を見ることができません。
そのせいか、青春時代を過ごしたはずの僕もこの街に「海のロマン」を感じたことはまったくなく、ただただ広い道路が自慢でありました。
今住んでいる神戸が起伏に富んでいて、街のどこからでも海が臨めるのと比べると対照的です。
そんな名古屋の港町としての機能を果たしたのが運河と水門でした。
この中川運河水門は堀川と運河の水位の違いを2つの門を開け閉めして船を通した貴重な施設です。
現在は使用されておらず、門の間のスペースは公園になっています。
完成は昭和5年。凝った意匠の外観はかなり痛みが激しく、時代の変遷を感じさせます。

名古屋港は貿易額が8年連続日本一だとか。
今は使われていなくとも、港町のシンボルとしてこれからも大切にしてほしいものです。

2011年2月6日日曜日

ハワイの民族衣装を着た婦人

水彩で人物画を描くことにやっとなれてきました。
色々と試行錯誤しましたが、どうやら僕の場合は、なるべく鉛筆で形と明暗まで表現し、色は薄めにさっと仕上げるのが合っているようです。

この日のテーマは、ハワイの民族衣装。
黄色の衣装にブルーの首飾りと赤の腕輪と髪飾りがアクセントです。
でも今回の狙いは色調の華やかさでなく、ポーズも含めたモデルさんからなんとなく感ずる柔らかさとやさしさ。
鉛筆の線の濃淡とたっぷり水を含んだ色が重なると・・・
我ながら気に入った一枚が出来ました。
人物画の好きな方、どうぞご意見をお聞かせください。

2011年1月30日日曜日

風見鶏の家 その2

以前、この「風見鶏の家」を隣の北野天満神社の境内から見下ろして描きました。
屋根上の風見鶏は神戸の良さを十分に堪能させてくれましたが、重要文化財であるこの 家の価値はやはり正面から描かなければわかりません。
完成は明治42年。設計者はゲオルク・デ・ラランデというドイツ人建築家です。
煉瓦の存在感と軽快な木造アーチ窓の組み合わせが絶妙です。
外壁の色は明るい茶色でバックの山によく映えます。
内部の2階から見た神戸の眺望も抜群。
観光客の人気が高いのもうなづけます。

2011年1月23日日曜日

成田山 仁王門

参道の坂道を下っていくと、総門があり、それをくぐるとこの仁王門があります。
いつもなら、参拝客がひしめく場所ですが、幸い早朝であったためか、人はほとんどおらず真正面からじっくりとスケッチすることができました。

その名にふさわしい堂々とした姿ですが、思ったほど威圧感はありません。
周りの木々につつまれて屋根の大きさが見えないからでしょうか?
あるいは林の緑と屋根の緑青がぴったりなじんでいるから?
それとも赤い大きなちょうちんが可愛らしいから?
子供達はなんとなくその雰囲気を感じているのでしょう。 仁王様に臆することなく、その下ではしゃぎまわっていました。

江戸時代から庶民に親しまれてきたこのお寺の人気の秘密はこの「親しみやすさ」にあるのかもしれません。