2011年7月31日日曜日

河原町商家群

大名屋敷も侍屋敷も共通しているのは、通りに対して閉鎖的なこと。
土塀、板塀などの違いはあっても通りから中をうかがうことはできません。
前回、前々回と内部の坪庭や屋根の形をテーマにしたのは、そんな閉鎖性にやや物足りなさを覚えたからかもしれません。
その点、同じ城下町にありながら商家の町並みには、人々の生活が現れます。
この川原町商家群もその例にもれません。
武家が茅葺の屋根だったのにこちらは全て瓦屋根、ほとんどが妻入りの形式に統一され、その豊かさが推測されます。
格子戸、なまこ壁、道に出した植木、屋根つきの伝言板など、庶民の生活を語ってくれる小物があふれています。
雨がぽつぽつと落ちる中、真ん中の店の赤いのぼりが印象的でした。

2011年7月24日日曜日

篠山の武家屋敷

お徒士町には安間家だけでなく、茅葺入母屋の元侍屋敷の住宅がいくつも残っています。ただ茅葺屋根や土塀は維持するのが難しいためか、けっして保存状態がよいとは言えません。

この一連の建物は比較的、よく当時の雰囲気を伝えてくれていますが、やはり塀周りにちょっと不自然、残念なところがあります。
それでも、夕暮れが迫るこの時刻、西日に浮かぶ屋根の形が作り出す風景は、都会のスカイラインに慣れた僕にとってはとても新鮮です。
この町並みをいつまでも残してほしいと思います。

2011年7月18日月曜日

安間家住宅

城下町につきものの武家屋敷。
ただし廃藩置県のとき全国いたるところで、大名屋敷は取り壊され、現在残るのはほとんどが下級武士の「侍屋敷」だそうです。

ここ篠山に残る安間家も「御徒町」にある住宅で、藤沢周平の時代小説によく登場する、いわゆる「10石三人扶持」の(たぶん)貧しい武士の家です。
門も母屋も屋根は瓦でなく茅葺。裏庭にも作物を栽培していた跡が見えます。
建物はそれなりの広さがあるものの、下僕を雇わねばならない生活は楽ではなかったことが見て取れます。
でも、座敷に座り、この小さな坪庭を眺めていると不思議にほっとするものを感じます。
武家とはいえ、現代の私達と同じようにこの庭で季節の移り変わりを話題にしたに違いありません。
有名寺院の庭園のような広さも凝った意匠もありませんが、ここには当時の人の心が残されているような気がします。

2011年7月10日日曜日

篠山城 大書院

大正ロマン館の通りを南へ行くと篠山城跡に出ます。
築城の名手であった藤堂高虎によるものだけあって見事なお堀が取り囲んでいます。
ただし現在残っているのはこの大書院だけ。
これも昭和19年に焼け、2000年4月再建されたものです。当時の図面を元に「当時のまま木造で復元された」とあります。
パンフレットにはお城正面の門とこの大書院を映した写真が載せられていましたが、それではこの建物の魅力は伝わりません。
歩き回った末、玄関と反対側、庭の塀越しに見るのが一番だと気がつきました。
足元のぬかるむなか、つま先だって中をのぞく姿勢で屋根と庭を超広角で画面に入れました。よって若干の不自然さはご容赦ください。
見所は大屋根に対しわざと正面をはずした唐破風と庇端部を入母屋とする珍しい構成です。
だから・・・高く、伸びやかにかつ複雑な、格好の良い屋根が出来たのでしょう。
設計者はもちろんわかりませんが、うらやましいデザイン力です。

2011年7月3日日曜日

大正ロマン館

長々と続いた「ハワイ篇」は先週で終わり。
気がつくと日本は五月、新緑のころ。常夏の気候に慣れた肌には空気がまだ冷たく感じます。
そんな頃、以前から訪れたいと思っていた「丹波篠山」に来ました。

篠山は神戸からJRで約一時間。手軽な行楽地で、「牡丹鍋」が有名です。
しかし、じっくりと歩いてみると、戦国、江戸、明治、大正と歴史的にも見ごたえのある遺産がたくさんあることがわかります。
あいにく天気は小雨と曇りの繰り返し・・・建物を描くには難儀でしたが、歴史の街の雰囲気は十分に味わえました。

さて最初は「大正ロマン館」。
櫓(やぐら)を載せた屋根と二重の破風がある玄関の構えがユニークです。
竣工は大正12年(1923年)。設計者はわかりません。
現市庁舎建て替えのときに解体の危機に見舞われたようですが、市民の保存運動のおかげで、観光センターとして生き残ることが出来たようです。

ただその時の改修のせいでしょうか。外観は艶のあるピンク色ですが、木肌が塗りつぶされていて、素材感がまったくなく、少し違和感を覚えます。
建具の明るいグレー色もどうも建物のイメージに合いません。
おそらく建設当初の資料が残っていなかったからでしょう。
でも・・・ちょっと残念です。