2012年12月30日日曜日

瓦とアーチ 徳寿宮


さて景福宮から急ぎ足で、なんとか日暮れ前にたどり着いたのがこの「徳寿宮」。

狙いはご覧のように「瓦とアーチ」のデザインです。
というのは、両者を観察していて気がついたのですが、韓国の門は屋根が東洋的な瓦なのに下部の入口は西洋風のアーチになるようです。
もちろん壁が石造であることがその主たる理由なのですが、日本の冠木門の「純和風」に慣れた僕には両者の取合せは、とても奇妙なものに感じます。
もっとも、この「奇妙な」面白さがこの日最後のスケッチに僕を駆り立てたのですが・・・。

さて、未だかつて経験のない極寒の屋外での6枚のスケッチ・・・我ながらよくやる・・・冷え切った体には韓国名物「海鮮鍋」が最高でした!

2012年12月23日日曜日

広大な王宮・・・景福宮


暖かいコーヒーでささやかな暖を採ったあと、急ぎ足で景福宮へ戻ります。

朝一番に見た正面の門は「光化門」。
その奥にあるのがこの「興礼門」。
なかなかかっこの良い建物だったのでさっそくスケッチ。

この調子で王宮内をスケッチしようと目論みましたが、あえなく挫折。
というのは、この門をくぐるとさらに門があり、行けども行けども、宮殿はさらにその奥に延々と広がっているようなのです。
いちいち立ち止まってスケッチしていては今日中にとても廻りきれません。
こうして気は焦るものの、見慣れない建物のディテールがとても新鮮で、歩みはのろく、気がつけば時刻はもう午後3時。
太陽の光も、冷たい空気も今日の残り時間が乏しいと催促しています。
とうとう、後ろ髪を引かれながらも、次のターゲットに向かったのでした。

※ところで調べてみるとこの王宮の面積は42万㎡。京都御所の実に4倍です。
この広大な敷地を常時観光客に開放しているにもかかわらず、内部はどこにもゴミひとつ無く、建物は常に修復、改修されているよう。歴史的な建造物に対する意識は相当強そうです。
韓国のオリンピック選手が見せる強固な「国家」意識は、こんなところにも現れているのかもしれません。

2012年12月16日日曜日

ソウルへ 北村その3

また北村?
しつこい!
と怒られそうですが、反り返った屋根の面白さはまだ描き足りなくて、もう少しだけうろつくことにしました。

村の一番てっぺんに続く坂道を登るとこんな風景が広がります。
屋根の棟は動物の背骨のようで、躍動感にあふれています。
そして黒々とした瓦がうねる様子は不気味な翼竜が群れているよう。
街はずれにそびえるのは、ちょっと不釣合いな教会の十字架。
さらにその先には言わずと知れたビル、ビル、ビル・・・。
日本とは一味違うこの街の歴史の真実です。

さて、気がつけばもう12時。
凍てつく寒気の中、立ちっぱなしで3時間いたことになります。
もう、限界!
とりあえず暖を求めて退散です・・・。

2012年12月9日日曜日

ソウルへ 北村その2


この北村の特徴は丘陵地帯にあってとても眺めがよいことです。
先週のスケッチは登りきった路地を描いたもの。
そして反対側を振り返るとこのようにソウル市内を一望することができます。
古い町並みの向こうに霞む高層ビル群が近代都市ソウルを象徴しているようです。

2012年12月2日日曜日

ソウルへ 北村その1


時刻は午前9時。
景福宮の門はまだ閉ざされています。時間を無駄にしたくないので内部を観るのは後回し。
李朝時代の王族が住んだという住宅街「北村」へ急ぎます。

反り上がった屋根の連続が日本にはない町並みを作り出していて、期待通りの雰囲気です。

・・・寒さに震えつつ手早くスケッチを完了。
マフラー、携帯カイロ、指先を切り落とした手袋という冬のスケッチ必携品を準備してきてよかった!

2012年11月25日日曜日

ソウルへ


実を言えば、僕は海外旅行の経験があまりありません。その数少ない体験も大抵は旅行社や仕事の都合で行先が段取りされているものばかり。

そこで気ままなスケッチ旅行を求めて、初めての海外一人旅に出かけました。
行先は晩秋のソウル。初日は夜到着で何もできず、三日目は午前中に市内を出発と、自由に動けるのは実質一日しかない、忙しい旅となりました。

不安だらけの初日は、ハングル文字のオンパレードに悩まされながら、なんとかホテルにたどり着き、そして二日目の早朝、張り切って一人歩きを開始しました。

今回のスケッチはとにかく時間を優先。
歩きながら小さなスケッチ帳に「おっ」と思った風景を気軽に書き留めることにしました。

まずはソウルで一番広い道路「世宗大路」を北へ。
肌を刺すような寒気の中、現代的なビルが建ち並ぶ道路の正面に、霞の中から現れたのがこの「景福宮」。
現代都市ソウルにある歴史の威厳。
背景の山がこの街の存在を語っているようです。



2012年11月18日日曜日

知恩院の紅葉

京都知恩院に来ました。
国宝の三門をスケッチしようとしましたが、大きすぎて、いいアングルが見つかりません。
全体を入れようとするとここまでバックせざるを得ず、そうすると独特の凝ったディテールが見えません。

しかしながら、かすかに紅葉した山を背景に佇む姿はまあまあの図。
そこでテーマを「紅葉」に変更。
ちょっと邪道ではありますが、一、二週間後の紅葉を予測して少々、赤と黄色の絵の具を多めに垂らして・・・完成。
きっと、紅葉の最盛期にはこんな三門が現れるはずです。

2012年11月11日日曜日

椅子に座る人

今回もちょっと気取ったポーズ。
でも、遠くをぼんやり見ているわけではありません。
しっかりと前を見つめ・・・
こういうのを「涼やかな瞳」というのでしょうか。

2012年11月4日日曜日

遠くを見る人

胸と腰に手を当てて、ちょっと気取った立ちポーズ。

遠くを見る横顔が印象的でした。

2012年10月28日日曜日

平安神宮その2

平安神宮には「神苑」という広大な庭園があります。
この庭園の記憶はまったくありません。
修学旅行故の強行日程のせいなのか、はたまた騒がしい子供たちをこの静寂な神域に入れたくないという、先生方の深慮のせいなのか・・・。
とにかく、今回も静けさを乱すものはまったくありません。
スケッチしていると、僕の目の前を老夫婦が通り過ぎ、そして立ち止まりました。
「・・・あっ、ここよ、ここ・・・・!」
さて、何のことでしょう。目の前にあるのは池に浮かぶ「泰平閣」。
二人が結婚前に訪れた場所なのでしょうか。
過去の思い出を探る楽しさを知ったのは、僕だけではないようです。

2012年10月21日日曜日

平安神宮

今日は京都、平安神宮を訪れました。
実は小学校の頃、修学旅行で来たはずなのですが、建物のイメージはまったく記憶にありません。
覚えているのは強烈な「朱色」のイメージだけ。

さて、久しぶりに見るこの建物、確かに正面の拝殿は朱色の柱が並ぶだけの大きな建物で取り立てて興味を引くものではありません。小学生の僕の評価は正しかったと言えます。

しかし両翼には、二つの建物、白虎楼と蒼龍楼と呼ぶそうですが、名前の通り、いかめしい、それでいてかっこいい、面白い建物があります。
調べると、以前このブログでも紹介した西本願寺伝道院を設計した伊東忠太の若い頃の作品だとか。
何となく共通するオリジナリティに、なるほどと納得しました。
でも、彼のちょっと変わった感性は小学生の記憶に残すにはやや難解過ぎたようです。

2012年10月14日日曜日

スイスの民族衣装を着た婦人

今回も正面。
実に描きにくい・・・。
でもそれほど抵抗感がなかったのは、「スイスの」(と聞こえたのですが)民族衣装を着ているから。
残念だったのは、モデルさんの表情が硬くて「可憐な」衣装のイメージが合いません。
まあ、こんな日もあるか・・・。

2012年10月7日日曜日

ピンクのドレスを着た婦人

真正面から描く顔はちょっと難しい・・・たぶん動きが無くてつまらないし、立体感がつかみにくいから。
だから、あの「モナリザ」もまもなく関西に来るフェルメールの「青いターバンの少女」も正面ではありません・・・。

が、そんな素人のためらいも、今日のモデルさんの瞳の美しさには勝てません。
真っ直ぐに前を見つめるポーズも悪くない・・・。

2012年9月30日日曜日

緑衣の婦人

何分もじっとしているモデルさんにとって、座ったポーズは楽でよいのですが、それだけに、ワンパターンでありきたりのポーズになりがちです。

でも今回は、僕の座った場所が良かったのでしょうか、ちょっと面白いポーズになっています。
なによりも背筋を伸ばした姿勢がとてもきれいで、画面に動きが出たようです。
そしてやや上を見る視線・・・なかなか魅力的ですね。



2012年9月23日日曜日

夏服

やっと涼しくなってきました。
そろそろスケッチに出かけたいのですが、事情あってなかなか休日をゆっくりすごすことができません。

そこで、今日はせめて「夏」らしい絵を選んでみました。
描いたのは2年前の夏の日。
いかにも涼しげに正面を見つめています。
・・・どうやら「白地に水色の柄」は夏服の王道のようです。

2012年9月15日土曜日

ジーンズの似合う少女

女性らしい服といえば、ふわっとして、やわらかい・・・そんなイメージがありますが、このモデルさんのようにジーンズがよく似合う女性もいます。

ゴワゴワとしたつなぎのジーンズに水色のブラウス、そしてきりっとした横顔。

僕のお気に入りの一枚です。

2012年9月9日日曜日

腰掛ける婦人

今日は、うって変わって普段着の女性。
リラックスしたポーズに豊かな髪が印象的でした。

2012年9月2日日曜日

エジプトの民族衣装を着た婦人

今日のテーマはエジプトの民族衣装を着た女性。

もちろんモデルさんは日本人ですが、ほっそりした首筋が印象的で、ポーズが見事にきまっています。

映画のワンシーンを見ているようで・・・クレオパトラもこんな感じだったのでしょうか。

2012年8月26日日曜日

白いセーターの婦人


暑い夏が続きます。
という訳でしばらく屋外スケッチはお休みです。
当分の間、昔描いた人物画をご覧ください。

この絵は30年ほど前に描きました。
モデルの女性は大柄で、明るく、ほがらかで
・・・何より白い服がよく似合う女性でした。

2012年8月19日日曜日

鴨川と先斗町歌舞練場


京都三条大橋の南側に奇妙な建物があります。
ベージュ色のスクラッチタイルと飾りのついた窓が特徴です。
竣工は昭和2年、設計者は先週触れた「弥栄会館」と同じ木村得三郎。
当時、フランクロイドライト風ということで賞賛されたとか。

玄関は川の反対側にあります。
この日は、残念ながら内部は入れませんでしたが、鴨川をどりなど伝統芸能が行われるコンサートホールらしくクラシカルなインテリアがガラス越しに見えました。

この歌舞練場はコンクリート造ですが、隣に連なる先斗町の町並みはご覧の通りほとんど木造。
道も狭く、建築的にも危なっかしそうな建物ばかり。
僕のような余所者にはこの対比はちょっと異様な風景に見えます。

しかしそこはやはり京都。
川辺を散歩する人には
「鴨の流れに映る、いつもの風景」に過ぎないのかもしれません。

2012年8月12日日曜日

祇園

八坂の塔をスケッチした同じ日、祇園を訪れました。

有名なのはもちろん花見小路。
いつ行っても人がいっぱいなのはご存知の通り。
もちろん天邪鬼の僕がそんなところでスケッチする
はずがありません。

ここは花見小路を2本ほど東へ入ったところ。
人も少なく落ち着いたいい感じの路地です。
突き当たりの向こうにある風変わりな建物は「弥栄会館」。
昭和11年にできたこれまた有名な建物です。

どこを歩いてもそれなりに町の風情がある・・・。
それが京都の魅力です。

2012年8月5日日曜日

八坂塔


室生寺のように森に囲まれた五重塔もあれば、
街中で存在感を示す塔もあります。

こちらはご存知、「八坂の塔」。
「京都○○殺人事件」などというTVドラマでは、犯人は必ず、八坂通りから見上げた塔を背景に不敵に微笑むのだそうです。
同じアングルで描くのも芸が無いと思い、あちこちと面白い構図が無いか探し回った末、発見したのがこれ。

五重塔の横に小さく京都タワーが見えます。新旧の京都のシンボルが隣り合う貴重な構図です。
この秘密のスポットは高台寺の駐車場の階段途中にあります。
あなたも是非訪れてみてください。

2012年7月29日日曜日

室生寺 五重塔

大野寺から15分ほどバスに乗り室生寺へ。
お目当てはもちろん国宝、「五重塔」。

室生川を渡り、金堂、本堂を横目に、奥の院へ進みます。
すると重厚な石段が誘う視線の先に五重塔が現れます。

道の両脇は巨木で囲まれ、視界はすべて緑色。
緩やかな弧を描く五層の屋根が浮かぶ様はそれだけで目を惹きます。
しかも、ぱっかりあいた葉のすきまからこぼれ落ちる光がちょうど屋根の一番上を照らします。

どこまでが人の演出?
どこまでが自然の偶然?
どこまでが仏の意思?

高さ16メートルの小さな塔が作り出す不思議な世界に感動です。

2012年7月22日日曜日

大野 崖仏

近鉄で長谷寺からもう二駅、電車に乗ると「室生口大野駅」に到着します。
名前の通り大野寺と室生寺への玄関口です。

大野寺へは駅から南へ5分ほど。
駅の名前を冠するくらいだからさぞかし立派な寺に違いないと期待していましたが、行って見るとなんと言うことはない小ぶりな古寺。

それでも何かしら魅かれるものを感じて奥へ歩いていくと小さなお堂の向こうに人影が。
どうやら僕の同類らしく、スケッチブックを片手に製作中・・・その視線の先にあるのは川向こう、正面にあるこの石仏。
崖を削って創ったこの巨大な造形、パンフレットによれば出来たのは鎌倉時代、高さは13.65メートルもあります。

こんな場所に、いったいどうやって・・・またしても昔の人の信仰心とパワーに脱帽です。

2012年7月15日日曜日

長谷寺の登楼

先々週、長谷寺の特徴は「登楼」であると書きました。

しかしあたりまえですが、その下を歩いていると外観は見えず、参道を外れると深い木立に隠れてやはりその姿を見ることはできません。

登楼がまともに、見えるところは無いのか!と実は少々いらついていたのですが、あきらめかけて帰ろうとしていたその矢先、この風景を見つけました。

林の中に佇むお堂たちの中を掻き分けるようにして登っていく屋根が実にダイナミックです。
祈りの空間への架け橋であることを強調しているのかもしれません。

そしてスケッチ完了。
あとはこの階段を降りるだけ・・・明日からの日常が待っています。

2012年7月8日日曜日

長谷寺の舞台から

ここは長谷寺 本堂の舞台。
高さも大きさも絶景も、本家清水の舞台」に負けていません。

眼下に広がるのはこの寺のお堂の数々。
みな地形に合わせて建てられたのでしょうか、ご覧のように屋根の向きは全部ばらばらです。
おかげで、屋根と森は微妙にかばいあって、この山全体がお寺であることを主張しています。

向こうに見えるのは長谷寺温泉郷の森、さらに谷を隔てて竜門の山並みが続きます。
人里は見えず、見渡す限り山ばかり・・・「祈り」の空間がここにあります。

2012年7月1日日曜日

長谷寺

2012.6.1 
奈良の長谷寺を訪れました。
山の辺の道の出発点だった桜井からは二駅ほど向こうにあります。
言わずと知れた有名なお寺で、特に女性に人気があるようです。
この日は快晴で、大混雑を覚悟しましたが、意外なことに人影はまばら。
それもそのはず、今は名物の牡丹の花が散ったばかり、紫陽花にはまだ少し時間がある・・・と言うわけで、境内の彩りはやや寂しく、欲張りな観光客には不満だったのかもしれません。

長谷寺の特徴は399段の階段を擁する登楼と舞台のある本堂。
それらしい雰囲気を求めて描いたのがこれ。
かすかに見える登楼の屋根、鐘楼、そして正面の本堂。
緑に包まれながらも、屋根の甍はきらりと輝き、どれも存在感たっぷり。
人気の秘密は牡丹だけではありません。

2012年6月24日日曜日

長岳寺


山の辺の道、最後のスケッチになりました。
パンフレットによればこの「長岳寺」の魅力は「四季おりおりの花」だとか。

池の対岸でこの日の主役を発見しました。「かきつばた」です。
夕刻の弱い陽射しにもかかわらず、緑陰に沈む本堂とは対照的に鮮やかな青紫色が輝いています。
身近な自然と素朴な建物がひとつになる一瞬・・・山の辺の道を歩く楽しみはここにあります。
こんな風景がいつまでも輝きを失わないことを望みます。

2012年6月17日日曜日

30年の時を経て

さて30年前に山の辺の道を訪れたとき、もう一枚スケッチを描いたのがこれ。(紙が黄ばんでいるのがわかりますか?)
やはり、寺の名も場所も忘れてしまっていたのですが、先週描いた地蔵さんのすぐ近くでこの風景を見つけました。
寺の名前は「念佛寺」。
どうやら、この寺の墓地の入り口を守るのがあの六地蔵だったようです。
先週は30年の時をはさんだ「新旧のスケッチ」を載せたのですが、今回は「旧」のみ。

なぜかと言うと、現在このお堂の左側にいわゆる「社務所」なのでしょうか・・・街中でよく見かけるごく普通の2階建てプレハブ住宅がくっついて建っているからです。
その姿を想像していただければ、僕が「新」スケッチをする気が無くなったことを理解していただけるでしょう。

山の辺の道は今、世界最古の道として「世界遺産」に登録しようという動きがあるとか・・・・。
そんな人たちの熱意が、この場所の風景を守ってくれることを祈ります。

2012年6月10日日曜日

六地蔵発見


昭和58年5月1日
スケッチの左下に30年前の僕のサインがあります。
今回の旅の狙いはこの懐かしい地蔵さん。

でも歩けど歩けど姿を現わしてくれません。
ついに前回来た「竹之内環濠集落」を過ぎ「萱生町環濠集落」も過ぎてしまいました。
周りは田園風景。確かにこのあたりに違いないと思いつつ、ところどころアスファルトの道があったり、真新しい住宅があったりするのを見ると
「おかしい・・・ひょっとして壊されてしまったのか・・・」という不安が頭をよぎります。
しかし「いやいや、そんな罰当たりなことをする人がいるはずが無い」と思い直し,ひたすら歩きます。
五社神社を過ぎると道は墓地の中へ。そのはずれに、粗末な、小さな瓦屋根の建物が・・・。
「あった!」.。

違いを比べてください。
実はほんとに30年経ったの?と言いたくなるくらい変わっていません。
敢えて言えば、横の板塀が剥がれていることと、一番左の地蔵さんのよだれ掛けが無くなっていることくらいでしょうか。
さすが山の辺の道、時間の進み方ものどかなようです。

2012年6月3日日曜日

石上神宮

山の辺の道は十分に堪能したはずなのですが、30年前にスケッチしたあの場所は結局見つかりませんでした。
同じ場所に何度も行くのも芸が無いと思いつつ、結局その「謎」を解きたくなって2週間後、再度山の辺の道にチャレンジしました。

前回の道程を振り返ると、桜井から桧原神社、萱生町環濠集落から竹之内環濠集落まではすでに歩いたので、残るは天理から竹之内環濠集落までか、萱生町環濠集落から桧原神社までの間ということになります。
完璧を期すため、今度は天理から桜井に向かって歩くことにしました。
最初の目印は天理教の本殿。
壮大な木造建築で、思わずスケッチしたくなりましたが、今日はあの場所を探すのが第一の目的なので、通過して先を急ぐことに。
駅から1時間弱で「石上神宮」に到着。
読み方は「いそのかみじんぐう」。
奈良時代以前で「神宮」と呼ばれるのは伊勢神宮とここだけという由緒ある宮です。
 
国宝の拝殿よりも、森の奥深く佇むこの楼門の姿が美しく、いかにも大和の国を連想させるのでこちらをスケッチしました。
けたたましく鳴く鶏の声が印象的でした。
さて、先を急ぎましょう。あの地蔵さんはまだ現れません。

2012年5月27日日曜日

萱生町環濠集落

さて、バスに乗って先を急いだのには理由があります。
実は30年前にスケッチした、のどかなあぜ道に建っていたあの地蔵とお寺をもう一度見たいという気があったからです。
歩いているうちにそれに出くわせば、と思っていたのですが、どうも山道の多い大神神社あたりの風景ではなさそう・・・地図を見ると山の辺の道が田畑の間を辿るのはどうやら竹之内環濠集落のあたりだと気づいたのです。

バス停を降り、その集落をめざして歩くこと30分。
周りにはあぜ道と古い民家こそあるものの、やはりあのあたりの風景はありません。
それでも何か絵になれば、と探しましたが、「環濠」とは名ばかりで現在はほとんど埋め立てられあまり魅力は感じられません。

そろそろ時刻は夕暮れ。
帰りの時間を気にしつつも、ぎりぎりまでこの道を堪能しようと、今度は萱生(かよう)町の環濠集落を目指しました。
またまた歩くこと30分。この日最後の一枚がこの風景です。

「環濠集落」は戦国時代の農民が村を守るために周囲に水を引いてできた村だそうです。
竹之内と違いこちらはまだ水辺に浮かぶ民家の景観が残っていてこの地方ならではの風情を感じます。

今日は我ながらよく歩きました。
30年前の記憶を確かめることはできませんでしたが、山の辺の道の魅力は十ニ分に堪能できた気がします。

2012年5月20日日曜日

二上山

大神(おおみわ)神社から歩くこと30分、桧原(ひばら)神社に到着しました。
ここまでひたすら山道だったので、普段運動不足の僕にはかなりの重労働。
神社の境内に詰めているボランティアガイドの方に尋ねると次のお目当て「長岳寺」まではまだ1時間もかかるとのこと。

思案のあげく、思い切ってバスを利用し、途中をパスすることに。
そして、国道へ下る途中で出会ったのがこの光景。
空に霞むふたこぶの山、銀色に光る民家の瓦屋根、そしてまわりは眩い新緑と5月の奈良らしさがぴったりと納まります。
これはいいと、疲れも忘れスケッチをし始め、描くこと約1時間。
満足感とともに得られたのは「棒のようになった足」。
そう、この構図は立ったままでないと、見られないのです。
この後、さらに疲れた足を引きずってバス道へと歩いたのでした。


※なお、この印象的な形の山は「二上山(ふたかみやま)」と言い奈良ではとても有名な山です。
ガイドブックによれば天武天皇の子である「大津皇子」の墓があるとか。
その歴史的背景にも興味深いものがあります。僕と同様、この際もう一度勉強してみることをお勧めします。

2012年5月13日日曜日

大神神社

このブログの第2話は30年前に描いた「山の辺の道の地蔵さん」のスケッチでした。
あの時の自然ののどかさが忘れられず、今年のゴールデンウイーク、またこの道を訪れました。

以前の記憶がほとんど無いので、とりあえずJRの桜井駅から道しるべを頼りに歩くことにしました。
駅から約1時間。この「大神(おおみわ)神社」が現れます。
建築学的にはとても珍しい構成で、本来なら神が鎮座する一番大切なはずの「本殿」がありません。
あるのは人がお祈りするための拝殿だけ。
何故かというと神は正面にある「三輪山」だから・・・大自然にまさる神はないということでしょうか。

しかし、そんな理屈はさておき、この桧皮葺きの拝殿もなかなか立派なもの。
手前の御神木が落とす木陰でスケッチをしていると、真夏のようなこの日の暑さも忘れ、いつしか無我の境地に・・・信仰心の希薄な僕にも大自然への畏れがなんとなく理解できたような気がします。

2012年5月6日日曜日

二重橋

東京で外人観光客に最も有名な施設のひとつがこの「二重橋」でしょう。
ですが、案外日本人はそのいわれを知らないのでないではないでしょうか?
なぜ「二重橋」なのか。
奥の鉄製の橋と手前の石橋と二重に見えるから・・・と思っていた人ははずれ!
手前のアーチが2連だから・・・と思っていた人もはずれ。
正解は奥の由緒有る鉄橋が当初は2階建ての2重橋だったからだそうです。
今は1階建ての普通の橋なので、正確な意味での「二重橋」は現存していないのです。
この事実、僕もこのブログを描こうとして初めて知りました。
日本人としてまだまだ勉強不足ですね。

2012年4月29日日曜日

富田林の町並み その3

普通、商家の町並は高さを合わせた二階建ての建物が並びます。
揃えた軒先が美しい日本の町並みを演出するわけです。
しかし画面の中央にある建物は少し風変わり。
木造の3階建てで、この一軒だけが妻入りなので、
当然他の家と軒は揃うはずもありません。
しかもよく見ると小屋根は垂木を一本づつ斜め部材で支えるという、
伝統的な工法には無いユニークなディテールを採用しています。

由緒有る町並みを乱すこの異端児に、
文化的には「許しがたい!」と思う一方で、
画一的なルールを嫌い、ユニークな技術で存在感を示すこの建物は、
天邪鬼(あまのじゃく)の僕好みでもあります。
面白くて、絵になる・・・それで十分ではないですか。

2012年4月22日日曜日

富田林の町並み その2


「寺内町」と言うからには中心となるお寺があるはず・・・。
それが画面の中ほどにある「興正寺別院」で、パンフレットによれば戦国時代1561年の建立とあります。
似たような意匠の民家が続く町並みの中にあって、ユニークな花頭窓を持つ「鼓楼」と背の高い「鐘楼」が程よいアクセントになっています。

2012年4月15日日曜日

富田林の町並み

関西の古い町並みは京都や奈良だけではありません。
ここは近鉄富田林駅から歩いて5分、「寺内町」の町並みです。

特徴は木の腰壁と白い漆喰のコントラスト。
もちろん虫籠窓(むしこまど)やかまどの煙を外に出す屋根の上の煙だしといった古民家のパーツも揃っています。
見事に保存された町並みはつい最近(平成9年)「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されました。
それほど有名でないためか、訪れる人もごくわずか。
京都のような人ごみを気にすることも無く、ゆっくりと江戸の雰囲気に浸れます。

おすすめです!

2012年4月8日日曜日

桜の季節

やっと桜の季節になりました。
しかし各地に被害をもたらした季節はずれの強風と寒波の中、薄着で我慢したおかげで、すっかり体調を崩し、せっかくの休日に、布団の中で微熱に苦しむはめになりました。
と言うわけで今週はこのブログを休もうかとも思いましたが、せめて昔の桜のスケッチを載せることにします。
場所は明石城。・・・しんどいので、今日は細かなコメントは省略。
皆さんも寒い花見で風邪をひかぬよう、お気をつけください。

2012年4月2日月曜日

上海 黄浦江

2010年10月
早朝の上海、黄浦江のスケッチです。

ご覧のように豪華客船も行き交う大河。
そして対岸には無数のビル群。
まさに現代中国のエネルギーの象徴です。
グーグルマップでこの川幅を調べてみると約600m。
そしてこの川はすぐ先で揚子江に合流し、その部分の川幅は、
なんと20Km・・・。
ちなみに子供の頃、僕が溺れかけた生まれ故郷の大河、長良川の川幅は200mしかありませんでした。

「河」にさえ、圧倒的な中国のスケールの大きさと活気を感じてしまいます。

2012年3月25日日曜日

倉吉 白壁土蔵

雪景色の温泉街を堪能した翌日、倉吉の「白壁土蔵」を訪れました。

曇天の冬の日は街をモノトーンの世界に封じ込めるようです。
空は明るいグレー。
白壁を眩く照らすはずの陽はありません。
そのためか、風化し始めたしっくいの細かな肌合いまでもがやさしく感じられます。
屋根の上で融けはじめた雪は水と埃を吸って、
純白の装いに少し疲れたような表情を見せています。

でもこんな静謐なシーンにもかすかなノイズがあります。
それはおかきを焼く醤油の香り・・・。
この煙突は街が生きている証でもあるようです。

2012年3月18日日曜日

雪化粧

わが家はみんな寒がり。

だからスキーやスケートなど、ウインタースポーツはまったく興味が無く、例年寒さを避けてひたすら部屋で春が来るのを待ったものです。
ただ、今年はちょっと事情が違います。山陰に蟹を食べに行こうと珍しく冬の旅を企画したのです。
豪雪対策にと、あわてて長靴やら、かっぱを買い求め、なんとか旅館に到着。
障子を開けると、まさにそこは雪国。
ほどよい「雪化粧」をほどこされた温泉街のひなびた風景が一面に広がります。

寒がりの新発見でした。

2012年3月11日日曜日

高梁市 商家資料館(池上邸)

民家、城、寺、武家屋敷とスケッチしたあと、最後に城下町に無くてはならないもの、「商家」をスケッチすべくこの「池上邸」にやって来ました。
見事な町並みが続いているように見えますが、実はこの画面の2/3は「池上邸」。
パンフレットによれば、江戸時代、すぐ傍を流れる高梁川の水運を利用して醤油で財を築いたとあります。
先週描いた武家屋敷の折井家は160石。
以前に描いた10石3人扶持の篠山藩安間家と比べれば、はるかに豊かな住宅ですが、この「池上邸」と比べるとやはり見劣りします。
なんといっても敷地は1200㎡、建物面積は500㎡もあるとか。
かつてのこの町の繁栄を象徴しているようです。

さて、一泊二日で備中吹屋から高梁まで駆け巡りましたが、そろそろ引き上げの時間がきました。
正直言うとこの「高梁市」は寂れた町という印象で、商店街はいわゆる「シャッター通り」。観光客が訪れることもほとんど無いようです。
しかし、町の再興に向けた地元の人の熱意は半端ではありません。
この日は「お城祭り 秋の陣」。
地元の子供からお年寄りまで総出で、イベントを開催し、観光客をもてなしているようです。
いつの日か、伝統的な文化が未来の文化として、この街に再び活気を呼び戻してくれることを期待したいと思います。

2012年3月4日日曜日

備中高梁武家屋敷

備中松山城は名だたる山城。
だから、その周囲の武家屋敷も山の麓(ふもと)の坂道に軒を並べることになります。
残念ながら、現在残っているのは旧折井家と旧埴原(はいばら)家くらい。
それでもご覧のように、白い漆喰壁と石垣が折り重なって続く様は、江戸時代の城下町を思い起こすには十分です。

2012年2月26日日曜日

松連寺

もうひとつ高梁市の歴史遺産としてこの松連寺(県指定重要文化財)があります。
特徴はご覧の通り、圧倒する巨大な石垣と、鐘楼、本堂の絶妙なバランスです。
ちなみに、すぐ下は田圃なのに何故わざわざこんな石垣を積んでお寺を造ったのかというと、戦国時代は備中松山城の城塞として使用されていたからだとか。
城下町のお寺には、それなりの事情があるようです。

本堂は江戸時代初期の建設で、かなり古びています。
しかしよく見ると、屋根は赤い石州瓦、板壁はべんがら塗りで吹屋の町と同じ造りです。
山奥と城下町、山村の民家と大寺院と営む生活も使用目的も違うはずですが、建築の文化には共通したものがあるようです。
こんな些細な事実を発見するのも、スケッチの楽しみかもしれません。

2012年2月19日日曜日

備中松山城

吹屋からまたバスで揺られて1時間、JR高橋駅からさらにバスで15分、
松山城の中腹に来ます。
そこから徒歩で天守閣を目指します。
険しい山道を歩くこと30分、やっと到着です。

松山城は国指定重要文化財。
本物の天守閣がある城としてはもっとも標高が高い城だそうです。
城主はいわゆる有名な武将はおらず、何度も交代しています。
小ぶりですが、本瓦と白い漆喰、濃い色の板壁が美しいコントラストを見せています。
でもなによりも、素晴らしいのはここは険しい山の頂(いただき)であること・・・その美しい姿を邪魔するものは何も無いのですから。

2012年2月12日日曜日

吹屋の町並み その2

さらに坂道を下って町外れまできました。
振り返ると、やはり赤く染まった町並が見えますが・・・さて皆さん、もうひとつの特徴にお気づきでしょうか。
普通、日本の歴史的な町並みでは道に対して切り妻屋根の軒方向から入る「平入り」、妻側から入る「妻入り」どちらかで統一されています。
全国的には「平入り」が圧倒的に多く、「妻入り」はこのブログで取り上げた篠山市河原町の商家群など少数派です。
この街はご覧のようにまったくの「ごちゃ混ぜ」。
京の町屋のような軒を揃えた美しさはありません。
しかし考えてみれば、この街の蛇行する山道の起伏に合わせて軒を揃えてもきっとその苦労は僕らの視界に入りません。
むしろ、「変化」させるほうが面白い・・・などと昔の人が思ったのかどうか、
でもこれもまた、歴史の知恵なのかもしれません。

2012年2月5日日曜日

吹屋の町並み

小学校の坂道を下ると、
お目当ての「吹屋伝統的建造物群保存地区」の町並みが現れます。
目を惹くのは街の「赤」。
屋根は赤い石州瓦。
格子戸や板壁はすべてべんがら色に塗られています。
街を「赤」で染めるなど、現代人の感覚ではなかなか勇気がいります。
でも、すべてが自然の素材だからでしょうか、単純な赤色はどこにもなく、黄色味を帯びたもの、ピンクに近いもの、あるいは枯れた木の肌となじんだ赤茶色など、とても複雑な表情をしています。
山あいの小さな鉱山の街は、「赤色」がその歴史を語ります。

2012年1月29日日曜日

吹屋小学校

岡山県高梁市に吹屋(ふきや)という村があります。
JRの備中高梁駅からバスで1時間以上揺られてやっと到着という、とんでもない田舎です。
しかしこんな僻地にもちゃんと建築の文化がありました。
この「吹屋小学校は明治33年に建てられた木造校舎。
「べんがら」と「銅山」で栄えたこの町の全盛期に建てられただけあって小学校には珍しく玄関を中心とした左右対称の堂々とした構えをしています。
窓はモダンで大きな格子窓。デザインにもこだわりが見られます。

この日は、休日のせいか子供たちの姿はありません。
でも近づくと掲示板にはちゃんと「運動会のお知らせ」の張り紙が・・・
そう、この建物は現役として使用されている日本最古の木造小学校だそうです。