特徴はご覧の通り、圧倒する巨大な石垣と、鐘楼、本堂の絶妙なバランスです。
ちなみに、すぐ下は田圃なのに何故わざわざこんな石垣を積んでお寺を造ったのかというと、戦国時代は備中松山城の城塞として使用されていたからだとか。
城下町のお寺には、それなりの事情があるようです。
本堂は江戸時代初期の建設で、かなり古びています。
しかしよく見ると、屋根は赤い石州瓦、板壁はべんがら塗りで吹屋の町と同じ造りです。
しかしよく見ると、屋根は赤い石州瓦、板壁はべんがら塗りで吹屋の町と同じ造りです。
山奥と城下町、山村の民家と大寺院と営む生活も使用目的も違うはずですが、建築の文化には共通したものがあるようです。
こんな些細な事実を発見するのも、スケッチの楽しみかもしれません。
こんな些細な事実を発見するのも、スケッチの楽しみかもしれません。