2010年1月31日日曜日

愛珠幼稚園

この建物は何に見えますか?お寺?武家屋敷?料亭?
・・・いずれもはずれ。なんと「幼稚園」です。
場所はやはり大阪淀屋橋。先週描いた「シェ・ワダ高麗橋本店」のすぐ近くにあります。
竣工は明治34年、日本最古の現存幼稚園だそうです。
残念ながらこの日は休日。門は閉ざされ子供達の走り回る姿は見られませんでした。
周りはオフィスビルばかりですが、それだけに木造2階建てのプロポーションと素材感は存在感たっぷり・・・。
こんな贅沢を味わった子供達の未来が楽しみです。

2010年1月24日日曜日

シェ・ワダ高麗橋本店

先日、気になる記事を見つけました。芸術新潮1月号の「私が選ぶ日本遺産」です。
とある著名人の言葉を、誤解を恐れず要約すれば、世界遺産や煉瓦建築に惹かれるのは素人であって、文化人(?)は電柱と電線こそ日本の都市景観の面白さを表現していることに気づくべき・・・だそうです。
何たる暴言!・・・この筆者のように建築の研究者ならともかく、大多数の学生やサラリーマンは世界遺産などそうそう見る機会は無いはず。
その彼らに向かって、電柱、電線との比較を説くことには無理があります。
仮にあのうっとうしい姿の奥に何らかの思想が潜んでいるとしても、それを考えるのは個人であって、押し付けがましく教育するのはいかがなものか・・・・?。

何故こんな事を長々と書いたかと言うと、今日載せようとしていたのが、なかなか味のある「煉瓦造」の建築だったからです。
場所は大阪淀屋橋・・・辰野片岡建築事務所設計の「シェ・ワダ高麗橋本店」です。
実は絵を描いている僕のすぐ眼の前に「電柱」が立っており、そこから電線が建物すれすれに縦横無尽に這い回っています。先ほどの筆者なら感激するに違いありません。
この日はここで結婚披露パーティがあったようで、着飾った男女が出て来ました。
楽しそうに語らうこの人達を見ていると、少なくとも「煉瓦つくり」は日常的でない「お祝い」の演出に一役買っていることは間違いないようです。
一方、画面を覆っていた電線は、いわば「日々の生活のシンボル」。
ですから、「邪魔な」電柱と電線は僕の画面からは消えています。
さて、この「電柱談義」・・・皆さんはどう思われますか?

2010年1月17日日曜日

1995.1.17

15年前の今日、早朝5時46分、あの阪神大地震がありました。
神戸では、追悼式典に皇太子御夫妻が出席されることもあり、TVでさかんに特集番組が流されています。
この絵はその1995年の年賀状として描いたものです。
数日後に大災害が起こるとはつゆ知らず、いかにも平和な娘と妻をスケッチしています。
実はこの年、他にはまったく絵を描いていません。仕事に追われる毎日・・・典型的な会社人間であったようです。

そして奇しくもその数日後、激震!
電気もガスも水道も、TVも新聞も途絶え、寒さと乏しい食料に不安を抱いて夜を過ごしました。
当然、仕事などどうでも良く、家族のため昼は水と食料探しに歩き回り、夜は暖房の無い家で毛布に包まり、蝋燭の明りの元、数年ぶりに皆でトランプをしたことを覚えています。
そう、家族の大切さを改めて思い知った年でもありました。

2010年1月10日日曜日

兵庫県公館再び

「似ている」とは同時に(暗に)両者の優劣をつけることでもあります。
「京都府庁舎」と「兵庫県公館」・・・気になって再び「兵庫県公館」を訪れました。
正面に大屋根がかかった玄関棟があり両翼に端正な窓がリズミカルに並ぶ構成はまったく同じですが、前者は正面にネオ「ルネサンス」の証であるギリシャ神殿風の破風と円柱がありますが、後者は連続アーチのみ。
前者の壁はやけに新しいアイボリーに塗られて、ちょっと不自然ですが、後者は落ち着いた石の肌色に統一されてなじんでいます。
ディテールも後者のほうが彫りが深くどっしりとした感じがあります。
と言うわけで、この勝負は「兵庫県公館の勝ち!」
・・・これで僕も「神戸っ子」の称号がもらえるかもしれません。

2010年1月3日日曜日

京都府庁旧館

聖アグネス教会から少し西に行ったところに京都府庁があります。
そのうち旧館は明治37年竣工で、県庁、府庁の類で現役使用されている建物としては日本最古のものだそうです。(設計者は地元京都出身の松室重光で、やはり辰野金吾の弟子です)

ご覧のとおり、威厳に満ちた建物ですが、以前に取り上げた兵庫県公館とイメージが似ていますね。
調べてみると、京都府庁は「ネオルネサンス」、兵庫県公館は「ネオバロック」と記されています。
起源は当然ヨーロッパにあり、前者が絶対王政が終わった19世紀前半、後者が列強同士の争いが激しくなった19世紀後半に発展した様式です。
細かな様式の区分はさておき、明治の各政庁が「幕府」という権力から独立した事実に対して、「人間性」を謳って「ルネサンス風」に、「権威と威厳」を謳って「バロック風」に政庁様式を民衆に「誇示」する必要があったのでしょう。
これは、ヨーロッパの近代建築史100年を明治末からのわずか20年で経験してしまったことになります。

今、明治末期の男達の情熱を描いたTVドラマ「坂の上の雲」が話題です。当時の建物にもその熱情が乗り移っている気がしてなりません。