2010年12月26日日曜日

日本銀行大阪支店

この日本銀行を設計したのは、言わずと知れた辰野金吾。
いかにも重厚なそれらしい建物・・・石積みの外壁はグレーに沈み、空は今にも雨が降りだしそうな、灰色の雲に覆われています。
いつもなら、シックで威厳ある外観に思いを寄せるところです。
ただ、ここは銀杏並木で有名な御堂筋。まさにこの季節、鮮やかな黄色のアクセサリーが華やかに建物の両袖を飾ってくれます。
そして葉が散る頃、今度は眩いイルミネーションがこの通りを照らします。
時の流れは設計者の知らぬうちに、街と建築に新たな魅力をもたらすようです。

2010年12月12日日曜日

如意寺

神戸市の西端、明石市の北10キロあたりに、少し前から開発された「西神ニュータウン」という新興住宅地があります。
三宮からそこへ行く市営地下鉄に乗り、「西神南」と言う駅で降り、いかにも新興住宅街らしい整備された大きな公園を抜け、深い竹藪に入り歩くこと20分。
突然視界が開け、この如意寺が現れます。

この三重の塔は室町時代初期の建立、重要文化財です。
モノトーンの寺院と手前の紅葉の対比が鮮やかでした。

しかし道路も、鉄道もろくに無いこの時代、よくこんなところにこんな凝った建物を創ったのものです。
京都や奈良と違い、周りには教えを説く民もおらず、食料の確保さえままならなかったに違いありません。
信仰心の乏しい僕にとってはまさに驚きですが、こんな田舎にあったおかげで戦時下でも焼けず生き残ることが出来たのかもしれません。

2010年12月5日日曜日

青いスカートの婦人

今日のモデルさんはちょっと太め。
しかも衣装はゆったりしたセーターとスカート。
服のしわばかりが気になって、正直言うと僕には苦手な題材です。
でも不思議なことに、椅子に座ってポーズをとるとピタッと「さま」になりました。

自然でゆったりした、日常の風景。
そんな空気を感じてもらえれば・・・。

2010年11月28日日曜日

秋色のハーモニー

スケッチを始めた人なら誰もが、秋らしい紅葉の風景を描きたいと思うはず。
ところが最近は紅葉が遅く、色つき始めた頃にはもう冬。
枝先に残った数枚の色鮮やかな葉が季節の自己主張とは情けない限りです。
しかしここ神戸森林植物園は日曜画家の期待を裏切りませんでした。
紅葉(もみじ)は文字通り落ち着いた紅色に染まり、アメリカふうは華やかなオレンジ色をしています。
同じ木でも十分に陽を浴びた木と水辺で涼しい夏を過ごした木ではやはり色合いが違います。
それぞれ微妙に交じり合って、「秋色」のハーモニーを奏でています。
「自然」という指揮者は絶妙のテクニックを持っている気がしてなりません。

2010年11月21日日曜日

母と子

子供の成長は早いもの。
以前このブログに登場したはしゃぎまわるわが子も例外ではありません。

小学生になるとひとりで遊ぶ姿よりもやはり「母と子」が絵になります。
危なっかしい包丁の先からそれなりに娘の真剣さが伝わってきます。

「ただいま。」
・・・玄関から久しぶりに娘の声。
そうだった。娘は今年結婚したんだった。

2010年11月14日日曜日

不忍池

大都会「東京」にもまだ「江戸」の面影を残す場所があります。
この不忍池もそのひとつ。
僕の好きな小説「御宿かわせみ」や「鬼平犯科帳」では幾度となく「不忍池の弁天堂で・・・」と、登場人物たちがここを舞台に秘密を語ります。

当時の地図を見ると弁天堂は現在のようにボート池への通過点ではありません。
お堂へは、お参りのための橋が一本のみ。
まさに想いをこめる池の中心でした。
お堂は建て替えられ昔の姿ではありませんが、今も残る一面の蓮に取り囲まれるその存在感は十分に過去の物語を僕に思い起こさせてくれます。

2010年11月7日日曜日

神戸夢風船

気がつけば今日は立冬。
さわやかな秋の風景を描いたという実感がないまま、冬が来てしまいました。
それでもあえて秋らしいスケッチを一枚あげるとすれば・・・。
ここは新神戸駅のちょっと上の展望台。
「神戸夢風船」というロープウェイで約10分揺られると到着します。
この日は快晴で、はるか紀伊半島まで見渡せます。
近江八幡のような田園風景はありませんが、人工都市ポートアイランドの向こうに広がる海と空の風景はモダンでさわやか・・・とても神戸らしい風景です。

2010年10月31日日曜日

見越しの松

建築学的に言うと近江八幡で一番に見るべきものは、このブログでも何度か登場した「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている新町通り商家の町並みでしょう。
ただどういうわけか現地の観光案内でもらったガイドマップにはこの新町通りは観光ルートに入っていません。
よく見ると推薦場所には建物の番号があり、どれもレストラン、みやげ物屋ばかり。
スポンサー重視のマップであることがまるわかりで少し残念です。これからここを訪れる方はご注意を。

さてこの町並みで特徴的なのは「見越しの松」。
僕がそれを知ったのは柴田錬三郎「眠狂四郎」で江戸っ子がまくしたてる一文・・・確かおめかけさんを囲った宅としてお江戸の風物詩であったような・・・。
ネットで調べると「見越しの松とは、下枝から二番目の枝を壁の外側にわざわざ出す松を植える様式」とあります。
また、さらに深い意味が込められているようで、「壁に囲まれた屋敷の中では、世の中の動向を見失うことがあります。その事を松に託して、壁の外を歩く人々の動きや流行現象、人々の噂や不平不満など、世の中のさまざまな動向に常に注意をしておくように・・・」という教訓が込められているとか。
なるほど、さすれば僕のおぼろげな記憶もどうやら、それほど間違ってはいなかったようです。

2010年10月24日日曜日

八幡堀の風景

そろそろ夕刻。空模様も怪しげで、一雨来そうな気配です。
せっかく来たのだから、一番有名なお堀の風景を描こうと、観光客が行き交う人ごみの中、狭い橋の上に陣取って急いでペンを走らせました。
でもさすがの僕もここで着色するほど、あつかましくはありません。
帰ってからパソコンで色付けしたのが、この絵です。
商家が堀沿いに建ち並ぶ様は、江戸時代に来たような錯覚を覚えますが、ここはれっきとした現代・・・風土を愛する人達が生活の中で守ってきた風景なのです。

2010年10月17日日曜日

近江八幡の水郷 その2

「西の湖」から「八幡堀」へ。
単調な田園風景もたまにはいいものです。
あぜ道を行くと水路にぶつかり、橋を探して後戻り・・・。
青々と繁る緑の畑があったかと思うと、植え替えた新芽が地面から顔を出している田もあります。
黒い土がむき出しになっているのはこれから肥料でもやるのだろうかなどと素人なりにあれこれ推理をしてしまいます。
さて やっと八幡堀に到着し、そのままロープウェーで山頂へ。
目の前に先ほど見た水郷の風景が広がります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
見事な「水と緑のパッチワーク」!。

2010年10月10日日曜日

近江八幡の水郷

久しぶりに近江八幡を訪れました。
9月も半ばを過ぎると、厳しかった夏の陽射しも、さすがに遠慮がちで、木陰に入るとさわやかな風が通り過ぎます。

ここはヨシが群生する有名な西の湖。
スケッチを始めるとちょうど橋の下へ水郷めぐりの小船がやってきました。
涼しげな水辺の風景にぴったり・・・と言いたいところですが、木陰のない船上はやはりちょっと暑そう。
秋の風景を満喫するには、もう少し時間が必要なようです。

2010年10月3日日曜日

新港貿易会館

このちょっと風変わりなビルは以前に紹介した神戸税関の南、旧市立生糸検査所(左側の建物)の隣にあります。
設計は「新港相互館」。個人名は無く、会社内の設計部または設計事務所と思われます。

現在も事務所ビルとして使われいるようで、そっと1階を覗いてみましたが、エントランスの重厚なインテリアは最近のオフィスビルのデザイン密度とは比べものになりません。
退屈な様式ディテールの繰り返しでもなく、かといって単調な直線だけの構成でもなく、まさに「奇妙な」オリジナルデザインを生み出しています。

見方によっては「かわいい?」外観に人気があるのか、インターネットでの紹介記事も多いようです。
目の前はすぐ海・・・。港を味わうついでに是非覗いてみてください。

2010年9月25日土曜日

アンティカ・オステリア

以前、「北浜レトロビル」という明治から現代までビルの谷間で生き抜いた小さなつわもの建築を紹介しました。

ここ淀屋橋にも、今なお、自己主張する小さな古い建物があります。 その名も「アンティカ(古い)・オステリア(食堂)」。

北浜レトロビルは小さいながら格式ある様式を誇っていますが、こちらはなんとなく風変わり。
それもそのはず、建設当初の用途は中央のアーチ下に消防車を納める消防署だったのです。

どことなく窮屈な感じがするのは、そのためでしようか。
しかし、たかが消防署にここまでデザインする、そのこだわりに同じ建築を志す者として共感を覚えます。
この大正時代の熱き建築家の名前は・・・・残念ながら「不明」です。

2010年9月18日土曜日

ロシアの民族衣装を着た少女

久しぶりに人物画を載せます。
さて、どこの国でも「民族衣装」は原色が似合うようです。
ご覧ください。今日はロシアの民族衣装。
もちろん、際立つのは鮮やかな赤。
そして清潔な白に黄色とブルーのアクセント。

少女の顔もなんとなくエキゾチックに見えるのはこの異国の衣装のせいでしょうか。

2010年9月12日日曜日

神港ビル

神戸の 海岸通りにある近代建築はこのブログでほとんど紹介してしまったのですが、唯一残っていたのがこの「神港ビル」です。
設計は木下益次郎。昭和14年竣工です。ちなみに右となりのビルは以前に紹介したチャータードビルです。

アールデコ調と呼ばれる塔屋も規則的に繰り返される端整な窓も本来なら描いていて、心地よさがあるのですが、この日は例によって猛暑。
とにかく、額を流れる汗が眼にしみます。
もっと涼しくなってから描きにくればよかった・・・・。
さりとて、今年の暑さにひるんでいては、「毎週更新する」というこのブログの公約が果たせません。
そんな悲壮な覚悟でなんとか完成・・・「約束を守る」とはつらいことです。

2010年9月5日日曜日

多聞ビル

ウィキペディアによれば、明治末期から昭和初期にかけて「阪神間モダニズム」という活発な芸術運動があったそうです。その主要な舞台である神戸市灘区では当時の資産を「灘百選」という冊子にまとめているほどです。
実は先週スケッチをした「六甲山ホテル」とこの「多聞ビル」はいずれもこの運動の重要な遺産で、設計者は同じ古塚正治氏です。

この「多聞ビル」は阪神電車西宮駅から歩いて10分ほど、国道43号線に面して建っています。
白く美しい建物ですが、描いた足元の緑色が気になります。
実はこれ、きちんとした植栽ではなく、舗装の間から伸びたぺんぺん草・・・つまり何年も手入れがされていないという証です。
そう言えばどの窓もシャッターが降ろされて中は見えません。
たまたまこの日が休みなのかとグーグルアースでこの建物を観察しましたが、やはりシャッターは閉じられたまま・・・どうやら現在は空き家のようです。

えっ、このスケッチの窓には灯(あかり)があるって?
すみません。これはこのビルが蘇るに違いないという僕の希望的観測とメッセージを織り込んだ「偽りのスケッチ」なのです。

2010年8月29日日曜日

真夏の六甲山


この日、暑さを避けて六甲山にやってきました。
ここ六甲山ホテルの展望台から見ると、大阪湾をはさんで神戸の町並みと神戸空港、そして関西国際空港が一直線に並ぶのがわかります。
この小さな発見に少し興奮して早速、スケッチを始めました。
しかししばらくすると突然、真っ白な霧が僕の周りを包んで、あっと言うまに何も見えなくなりました。しかも霧の水分が猛烈な風に乗って僕の体温を奪っていきます。
山で遭難するとはこういうことかと実感しつつ、あわてて館内へ避難。
描きかけでやめるわけにもゆかず天気が晴れるのを待つこと1時間。
やっと霧が晴れ、先ほどの風景が現れましたが、視界の隅はやはり霞んでいつまた見えなくなるか予断を許しません。
海も山も白いベールをまとったように、鈍く光ります。それでいて街中だけが明るく灼熱の太陽で焼かれているのがわかります。
手早く残りのスケッチを終えたとたん、予想通りまたしても霧。

「真夏の六甲山」から神戸の街を見る・・・。
当然、期待するのは「輝く青い海」と「ソフトクリームのような白い雲」。
残念ながら今年の夏はそれを許してくれませんでした。

2010年8月22日日曜日

あかがね御殿のDNA

「わがまち加古川50選」によれば、「あかがね御殿」を建てたのは多木化学の創業者多木久米次郎氏だそうです。
そして、山陽電鉄別府駅からあかがね御殿へ至るルートにやはり少し風変わりな外観の多木化学の本社があり、その隣にいわくありげに佇むこの民家があります。


よく見るとこの民家は少々風変わりです。
まず、通常独立して建てられる蔵の外壁が母屋と繋がっているのでそれだけで、面白い形になります。しかも高さの違う棟ごとに別々の屋根を複雑に重ね、一体とする構成は普通の民家とは一味違います。

スケッチをし、帰ってから詳しく調べてみると、この民家はなんと多木久米次郎氏の生家だったようです。
言われてみれば、「あかがね御殿」の不思議なデザインと共通するものがあります。
きっと多木氏の「建築好き」DNAがまさにこの「生家」で醸成されたに違いありません。

2010年8月15日日曜日

あかがね御殿

「人」と「建築」をテーマとするこのブログの性格上、どうしても、いわゆる「重要文化財」の類を取り上げることが多くなります。
ですから今日は、有名な寺院に「飽きてきた」かもしれない人のために、少々奇妙な建物を紹介します。

以前、鶴林寺を訪れた時、駅の観光案内で「わがまち加古川50選」という小冊子をもらいました。
この「あかがね御殿」はその中で偶然発見したものです。
地元では有名らしいのですが、建築の専門書にはまったく記載されていない「アウトロー建築」です。
何しろいくつもある屋根のかけ方や角度、方向がばらばらで統一性が無く、窓もその高さ、大きさ、プロポーションにやはり規則性がありません。
建築家としては、「常識知らず」と言われても仕方がない建物です。
しかも外装はなんと銅板張り。出来た当時は「ぴかぴかに輝いていた」というのも、日本人の美意識からするとちょっといただけません。

それでも、現物を見ると、別府(べふ)港という小さな港に面していることもあり、たいそう存在感があります。
全体のデザインも不思議と格好良く、十二分に絵になります。こんなものを設計する人は一体誰だ?とインターネットのあちこちのサイトを調べましたが「不詳」とのこと。
残念です・・・本当の天才を知ることができたかもしれなかったのに。
(なお、この建物は平成14年に国の登録有形文化財となったそうです。その意味では「アウトロー」は少々言いすぎ?)

2010年8月8日日曜日

同志社クラーク記念館

良い建物なのに、一般の人が見ようとすると、写真はもちろんスケッチもだめという施設が増えてきました。(特に京都の有名なお寺ほどその傾向が強いとか・・・)
そんな中、同志社は重要文化財の建築が多いにもかかわらず、一般の人も自由に入って見ることができます。(もちろんスケッチしていて、入場料を要求されたり、とがめられたりすることはありません)
自由な精神を愛した新島襄の心意気に「感謝!」です。

さてこのクラーク記念館は明治26年竣工。設計はR・ゼールです。
この日、どこかのカルチャーセンターの風景画教室があったようで、何人もの「熟年受講生」達がスケッチブックを片手に構内で奮闘していました。
近くに陣取って、スケッチする僕が気になったのでしょうか、30分ほどで線描きを終えた頃、声をかけてくれました。
「もう終わったの?早いですね!」・・・と。
思わぬ問いかけに「はい、いえ・・・、ありがとうございます・・・」
ちょっと言葉に詰まったものの、日曜画家達のコミュニケーションに暖かいものを感じました。
昨今、色々と不安視される老人大国日本の社会も捨てたものではありません。
そのためにも「建物スケッチくらい自由にさせろ!」と言いたいのですが・・・。

2010年8月1日日曜日

貴船神社

疲れました・・・。
鞍馬山から貴船へ約2時間。
これほど険しい道とは・・・いやこれほど体力が衰えているとは・・・と言ったほうが良いのでしょうか。
とにかく何とか貴船神社にたどり着きました。

参道の入り口は有名な赤い灯篭の並ぶ石段。
スケッチするのに魅力的な構図ですが、疲れ果てた体で正確な段と灯篭の繰り返しを描ききる自信がなく、パス。
しばらく散策していると、涼しげな光景に出会いました。
鳥居と橋、そしてその下に森の奥から滝となって落ちてくる水が流れています。
飛び散る水滴はまわりの空気を緑色に染めて、まるで生命が宿っているようです。
その空気を十分に吸い込んだせいでしょうか?
体力も気力も一気に回復。
無事スケッチを終え、家までたどり着くことが出来ました。
下界はもちろん猛暑。 また疲れが倍になったような・・・。

2010年7月25日日曜日

鞍馬寺

鞍馬寺に来ました。
そう、その昔源義経が幼少の頃修行したと言われているお寺です。

山門をくぐり、5分ほど歩くとこの由岐神社拝殿の正面に出ます。
この建物自身も重要文化財だけあって、見ごたえがありますが、何よりも目を惹くのはまるで屋根から天までとどくかのように聳え立つ巨大な杉の木です。

現代の僕達が見ても、昼なお薄暗い森林から現れるこの光景に神秘的なものを感じてしまいます。
まして平安の人々にとって「天狗たちと義経が飛び回っている」この場所は、まさに畏れそのものだったに違いありません。

2010年7月18日日曜日

紫陽花

あじさいは神戸市の花。
青紫と赤紫のグラデーションは上品かつ個性的という意味で神戸っ子の自慢の種でもあります。
先週の絶景は実は紫陽花を描きに来て偶然お目にかかったものです。
本当の狙いはこちら・・・摩耶山頂の自然観察園に群生する紫陽花です。

森が発散する湿った空気はひんやりと肌を冷やしてくれます。木々の間から差し込む光線は花びらの紫色を鮮やかに眼に映します。
うっとおしい梅雨の唯一の清涼剤です。

ただ気になることがひとつ。
以前見た時よりも随分花が小さくなったような気がします。
色も単調であの上品なグラデーションの美しさは感じられません。
ここにも地球温暖化の影響が・・・と気にしてしまうのは僕だけでしょうか。

2010年7月11日日曜日

梅雨の空

神戸の海をつつみこむ梅雨の空・・・偶然、そんな絶景を捉えました。
画面中央の小さな橋はパールブリッジ(明石海峡大橋)。
橋の向こうにあるのは当然淡路島。そして左に和歌山、右に四国の山々、橋の手前にあるのはジェームズ山でしょうか。
ずらりと並ぶ神戸の千両役者を見るだけでいつもなら十分感動的なのですが、今日は低く垂れ込めた暗雲が舞台を盛り上げます。
灰色の雲は何層にもなって、果てしなく続くように見えます。
でも水平線にはかすかにオレンジ色の大気が光って、間もなく晴れることを予感させます。
そしてたぶんこの梅雨ももう終わり・・・早く夏になれ!

2010年7月4日日曜日

F嬢

今日のモデルさんはとてもスリム。
一緒に絵を描いている周りのおば様たちも「細いわねー」と思わずため息を漏らしていたほど。
わざとらしいポーズをとらず、まっすぐ前を見つめ、指を柔らかく膝にのせる・・・・それだけで十分に絵になりました。

2010年6月27日日曜日

日本丸入港

「日本丸」と言う帆船をご存知でしょうか?
独立行政法人が所有する練習船で、今回は海王丸と揃って神戸港にやって来ました。
帆船には豪華客船にはない、わくわくする冒険の匂いがあります。
しかも青い空に白い帆を張った姿の美しさは誰もが 認めるところでしょう。

この貴重な機会を逃すまいと、さっそくスケッチに出かけました。
残念ながら停泊していたのは日本丸一艘のみ。
しかも帆は几帳面にたたまれ、マストから垂れる幾本ものロープだけが風を受け流していました。
それでも神戸のポートアイランドをバックに停泊する姿は、十分に美しく、スケッチするのに不足はありません。
この日は夏を思わせる暑さでしたが、空の色は正直です。
5月の真っ青な空ではなく、真夏の白く輝く空でもなく、青に紫がにじんだような6月の柔らかな空色でした。
海の色は深く、濃い青色。そして船体はもちろん白。
何も塗っていないはずの「白」が優美な日本丸の主役です。

2010年6月20日日曜日

洲本アルチザンスクエア

洲本城の急な山道を下り、街中へ。
無料の足湯で疲れを癒した後、寺町を経由してアルチザンスクエアへ向かいました。
さほど気を惹かれる風景の無かった寺町に比べ、アルチザンスクエアは魅力たっぷり。
旧鐘紡洲本工場跡を利用した再開発で、公園を中心として図書館、ショップ、レストラン等に変貌した煉瓦建築群が並んでいます。
煉瓦の塊が見せる存在感もさることながら、一見廃墟のような門をくぐると、図書館の前庭があったり、ショップの玄関があったりと、人を惹き付ける仕掛けが見事です。
本当はその魅力をたくさん描きたかったのですが、帰りのバスの時刻が迫っていて時間切れ・・・残念ながらスケッチできたのはこの煉瓦倉庫のみです。
調べてみると大正時代に造られた建物のようで設計者は誰なのかわかりません。
しかし、現在はレストランとして大人気。しかも町の再生にも一役買っていることを知れば、設計者もきっと満足していることでしょう。

2010年6月13日日曜日

淡路島の雲

淡路島は「島」と言うには大きすぎて、無人島に上陸する探検家が抱くような興奮はありません。
しかし、ここ「洲本城跡」から見下ろす半島の絶景は十分に訪れた人の絵心を刺激してくれます。

海の色は意外に淡く、寄せる潮の流れが感じられるほどです。
大きな神戸港とシンプルな須磨の海岸を見慣れた僕には小ぶりな港と幾重にも重なる入り江は見ていて飽きません。
そして高い建物の無いこの風景で一番大きな顔をしているのはなんと言っても、広い空。
そこに悠然と浮かぶ雲は、下界を監視しているようで・・・そう、まさに島の主人公です。

2010年6月6日日曜日

法隆寺

国宝「法隆寺」。
回廊の内に、塔と金堂を並列配置するという、左右対称をわざと崩した日本独自の配置が特筆に価すると学生時代に習った気がします。

田園風景の中に塔と金堂が並ぶその構図を求め、歩き回りましたが、今は人里の中、残念ながら願いはかないませんでした。
しかし、裏山の小道を歩くと、木々の間からほんの一瞬、五重塔を垣間見ることができます。
そこにある人工物は土塀と瓦、お寺の黒っぽい軸組みと白い漆喰壁のみ。
豊かな緑とモノトーンの構成は都会のノイズに鳴らされた僕らの眼にはとても新鮮です。
難しい解説は無くとも、感じることができます。
・・・まさに国宝と。

2010年5月30日日曜日

法輪寺 5月

平城の昔を偲ぶ・・・奈良は今、遷都1300年祭で賑わっています。
再建された大極殿のある平城京跡や市内の混雑ぶりは大変なものです。
しかし人ごみの嫌いな僕は、そんな中心部を避け、静かな「山里の寺院」を求めて斑鳩へやってきました。

JR法隆寺駅から田舎道を歩くこと20分。
田園風景のなかに浮かぶ三重の塔を発見。法輪寺です。
5月の若葉に埋もれると、地味なはずの黒っぽい建物がその存在感を増すから不思議です。
そして手前の田んぼには一面に広がる紫色・・・懐かしいれんげの花です。
子供の頃、男の子はその草原を走り、女の子は花で紫の首飾りを作ったのを覚えているのは僕だけではないでしょう。

僕たちにとっての単なる思い出が、ここ斑鳩の里では、平城の昔から続いている現実の風景なのかもしれません。

2010年5月23日日曜日

東京銀行協会

東京駅丸の内北口から皇居に向かって5分ほど歩くと、交差点の角にこの「東京銀行協会」があります。2階建ての煉瓦造で竣工は大正5年です。
設計者は「松井貴太郎」・・・実は調べてみると先週描いた「旧安部邸」の設計者と同じであることがわかりました。
さっそくブログにこの事実をと思いましたが、このスケッチはクロッキー帳にペンで描いたもので、残念ながら着色ができません。
しかし何とかこの設計者の足跡を語りたいと思い、原画をスキャナーで取り込み、パソコン上で色付けをしました。
筆をマウスに持ち替え、悪戦苦闘・・・。
時間はいつもの倍、色は単調であまり気に入っていませんが、重厚な雰囲気を伝える役割はそれなりに果たせたようです。
ちなみに、建物上部の目障りなグレーの筆跡(マウス跡)は操作ミスではありません。
そう、例によって上部に高層ビルが載っているのです。
筆でも、マウスでもこの違和感を減ずることは出来ないようです。

2010年5月16日日曜日

芦屋川 旧安部邸

久しぶりに芦屋川を訪れました。
かつてはこの静寂な佇まいに、洋館がずらりと建ち並んでいたに違いないのですが、残念ながら今はすっかり様変わりしています。

それなりにどの建物も立派ではあるのですが、奇をてらった、少し風変わりな邸宅が目立ち、スケッチしたくなるような面白い建物は、ほとんどありません。
そんな中で唯一と言っていいほど、昔の雰囲気をとどめているのがこの旧安部邸です。

海に向かって開かれたバルコニーはもちろん庶民の憧れですが、背後に六甲山、目の前に芦屋川という環境はまさに「上流階級」の証明です。
現在はかなり痛みが激しいものの、某企業の保養施設として使われているようです。

貴重な「芦屋」文化の継承者として、これからも生き続けてほしいものです。

2010年5月9日日曜日

尼崎の寺町

戦時中の空襲のため、阪神間の古い寺院はすべて焼け落ち、残っていないと思っていました。
ところが、阪神電車 尼崎駅のすぐ近くに、「寺町」と呼ばれる、古いお寺が昔のまま残っている一角があったのです。
こんな良い画題を知らなかったとは実に不覚・・・。
路地を挟んで、いくつものお寺がたたずむ姿は京都のようです。
もちろん規模では勝てませんが、その分観光客もほとんどおらず、静かに町の雰囲気を楽しむことができます。

この「善通寺」はまずその屋根のデザイン(しころ葺きと呼びます)の奇抜さが眼を惹きます。
そして何より風変わりなのは塀がレンガ積みであることです。
通常、お寺の塀は土壁、漆喰壁、板壁など和風の素材で作られ、時間を経ると「朽ちた」イメージが背景の建物とよく似合うようになります。
でも、こうしてみるとレンガもなかなかのもの・・・十分に「風化した」煉瓦の肌合いは、やはりこの町の歴史を語っているようです。

2010年5月2日日曜日

南禅寺 水路閣

京都が東京に首都の座を奪われた頃、京の威信を賭けて行った大事業がありました。
それが琵琶湖疏水。
琵琶湖から鴨川まで人工の運河を通すという、当時の技術では困難極まりない工事で、苦労に苦労を重ね、明治23年にやっと完成しました。
その甲斐あって、今も京都市の水道はほとんどこの疎水に頼っているそうです。

南禅寺に入るとそれは「水路閣」と呼ばれ、いつも誰かが絵を描いている人気スポットになりました。
幸いにもこの時の絵描きは僕一人。
ゆっくり気に入ったアングルを探しながら、考えました。
この水道橋が日曜画家達の気を引くのは何故でしょう?
和風の寺院と洋風レンガの組み合わせが面白いから?
いやそれだけではありません。
「神聖な木立」を縫うように「人工のアーチ」が正確に、延々と続いている不思議を感ずるからにちがいありません。
「京の威信」は近代技術に対する技術者の心意気となってここに表現されたと言えそうです。

2010年4月25日日曜日

南禅寺三門

南禅寺の三門は藤堂高虎の寄進により建てられた、格式ある二重門として有名です。
しかし残念ながら参道の正面から見ると両側の木々に遮られて全体を見ることはできません。
門の足元に歩み寄り、初めてその勇壮さを仰ぎ見るという仕掛けです。
さらに、その高さを実感したい人は(有料ですが)門の2階に登るとよいでしょう。
地上からは邪魔だった松林の間から見えるはるかな都の姿は絶景だとか・・・。

このスケッチは脇の参道に回り、端の水路ぎりぎりまで寄ってなんとか全体を納めたものです。
超広角の、描きにくいアングルを強いられましたが、門の全貌をつかむにはこれで十分です。
なんと言っても無料ですから・・・・。

2010年4月17日土曜日

神戸税関

港町神戸の歴史は、徳川幕府最後の年(1868年)、兵庫開港と同時に始まると言って過言ではありません。
海岸通り東端の交差点から海側を臨むと、このシーンが現れます。
手前が神戸税関、その向こうに見えるのが旧神戸市立生糸検査所です。
現代的なビルに囲まれて、ぽつんと生き残る近代建築が多い中、これら2棟が並ぶ、異国情緒たっぷりの眺めは一見の価値があります。

せっかくなので調べたデータを載せておきます。
竣工は両者とも昭和2年。税関は今でも現役使用中で設計は大蔵省です。
そう聞くと、かっこいいと思った外観もいかにも「偉そうな姿」に見えてしまうから不思議です。
旧生糸検査所の設計は神戸市。こちらは昭和2年とは思えないモダンな姿をしています。
最近、取り壊しが前提で入札にかけられたそうですが神戸市が買取り、保存されることが決まったとか。今後の使われ方が楽しみです。

2010年4月10日土曜日

チャタードビル

神戸の「海岸通り」は近代建築の宝庫です。
「チャータードビル」は「海岸ビル」から少し東へ歩いたところにあります。
昭和13年竣工で、イオニア式の列柱と左右対称の構成から想像できるとおり、元は銀行として建てられました。
設計者はJ.H.モーガンというアメリカ人建築家です。大正9年に来日し、昭和12年63歳で亡くなるまで日本で仕事をしていたようです。

現在は銀行としての使命を終え、レストランとブティックとして再生していますが、ただ単に「生き残っている」わけではありません。
近代建築独特の高い天井を生かした独特の内装が人気を呼んでおり、海岸通りのビル群のなかでも観光客の認知度は抜群です。
「海岸通り」は知恵と工夫の宝庫でもあるようです。

2010年4月4日日曜日

海岸ビル

先週に引き続き神戸の街を歩きます。
中華街の長安門を南へ、海岸通りに出たら東へ5分ほどの距離にこの「海岸ビル」があります。
設計者は以前このブログでも取り上げた「海岸ビルヂング」と同じ河合浩蔵です。
いわゆる「ギリシャ」や「ゴシック」様式の真似ではなく、作者のオリジナルな、センスの良い装飾が僕は気に入っています。

若干の肌寒さを感じつつ、さっそくスケッチを開始。
でも予想以上に多い装飾と繊細なプロポーションに気をとられ、大苦戦・・・。
それでも何とか描き上げ、気がつくと2時間半が経過していました。

さて、完成した絵をご覧ください。
建物の上になにやら黒い影が・・・。
そう、実はこのビルの上には高層オフィスビルが乗っています。つまり昔のビルの正面デザインを残して建て替えられたのです。

この方法が良かったのか、悪かったのかわかりません。
ただこの寒い中、僕のように2時間半もこの建物をじっと見つめる人がいたという事実は、まだまだこのビルが魅力的だという証(あかし)にちがいありません。

2010年3月28日日曜日

神戸 中華街

中華街と言えば横浜が有名ですが、神戸にも南京町(なんきんまち)と呼ばれる中華街があります。
町の東側、旧居留地と接するようにこの「長安門」があります。

周りは現代的なビルばかりですが、この門をくぐると雰囲気ががらっと変わります。
垂れ幕や縁台のテントの色は赤や緑の、はでな色ばかり。
普段はお行儀を気にする神戸っ子もここでは、立ち食いのし放題です。
ラーメン、シュウマイ、中華饅頭はもちろん、ハンバーガーも中華風。 しかもビールとセットで○○円・・・となかなかお手ごろ。
売り子の陽気な、中国訛りの掛け声に釣られて、僕も大好きな瓶出しの紹興酒を買ってしまいました。
あなたも是非、この「別世界」の面白さを味わってみてください。

2010年3月21日日曜日

かやぶきの里


3月の中旬、京都府美山町「かやぶきの里」を訪れました。
「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されていますが、妻籠や産寧坂に比べると認定されたのが比較的新しいせいか、観光客もそれほど多くありません。

この日は、この時期にしてはとても暖かく、ゆったりとした気分でスケッチブックを開くことができました。
畑の若草色、かやぶき屋根のくすんだ赤茶色、杉木立のやや色あせた緑色とそれを包む雑木林の紫がかった枯葉色など、「田舎の色」のハーモニーをたっぷりと味わうことができました。

ただ、このかやぶき屋根は囲炉裏の煙で毎日あぶってやらないと、10年で腐ってしまうとのこと。
住んでいる人にとっては、かなりの負担に違いありません。
「里」の保存と「今」の生活・・・両方を守るのはむつかしいようです。

2010年3月14日日曜日

赤い薔薇の婦人

この日のモデルさんは薔薇が好きなようです。
眼を惹くのはまず胸の薔薇飾り。
スカートは艶のある白地に赤と緑の薔薇模様。
そして 絵のモデルさんにしては珍しい濃い目の口紅。
・・・・きっと薔薇の花びらを意識したからに違いありません。

2010年3月7日日曜日

来島

さわやかな 伊勢志摩も海の水はまだまだ冷たそうでした。
でも今日は3月7日。
海も山もそろそろ春に向かって装いを調えてくるはずです。
暖かな海にあこがれる・・・そんな一枚がこのスケッチです。

絵に記された日付は98年3月29日。
四国今治の瀬戸内に浮かぶ小島から見た風景です。
目の前にある小さな島は「来島」。
そしてその向こうに造船所らしき船影とクレーンが立ち並びます。
海と空、草と土。どの色も穏やかで暖かそうです。
スケッチをしていて思わずまどろんでしまいそうな、心地よさと開放感。
すっかり忘れていた、12年前のあのひとときが鮮やかに蘇ってきました。

2010年2月28日日曜日

伊勢 的矢湾

同窓会の翌朝は雲ひとつ無い快晴。
いわゆるリアス式海岸の絶景を見ようと、早速、朝の「的矢湾」を散策しました。

蒼い海面は、入り江と小島で幾重にも切り取られて、
その度に海の色は明るく、そら色に近づいてゆくようです。
そして湾をつつむ岬の向こうで、ついに空と一緒になります。
これだけでも十分に、自然の造形に感動してしまいますが、この光景にはもうひとつ秘密があります。
水平線を良く見てください。岬の先端にぽつんとかすかなシルエットが浮かびます。
これが「安乗埼灯台」。
一点の「人の気配」がこの光景をさらに魅力的にしてくれました。

2010年2月21日日曜日

天の岩戸

最近ちょっと硬い話題が続いたので、今日は少しやわらかく・・・・。

さて久しぶりに大学の同窓会があり、伊勢志摩にやってきました。
集合時間までにまだ間があったので途中下車し、天の岩戸を見学。
もっとも正確に言うとこの絵にあるのは岩戸の近くにある「風穴」。
本家「岩戸」は少し飾られすぎで、残念ながらあまり絵にはなりません。

天の岩戸からさらに森の奥深く、細い山道を歩いて行くとこの「風穴」に出ます。
かすかに差し込む2月の陽光、冷たい風の音。
薄緑に染まった岩肌が真っ暗な穴の奥まで続いています。
この向こうに不思議な世界がありそうな・・・そんな想像をさせてくれる洞窟です。

2010年2月14日日曜日

甲南漬資料館

僕のいつもの散歩コースである石屋川を南に下り阪神電車を越えたところで西へ約10分ほど歩くとこの「甲南漬資料館」があります。
アーチ状の搭や窓と庇の構成がとても個性的、現代的なデザインですが、竣工したのは昭和6年・・・十分に古い建物なのです。
ただこの頃建築界にちょっとした変化が訪れます。ルネサンス風やら、バロック風などあまりにも形式的なデザインに反発して、斬新なデザインを試みる風潮があったようです。
設計者は清水栄二。実は以前に登場した「御影公会堂」と同じ設計者です。
外観はモダンですが内部は大正ロマンが漂う本格的な洋風のインテリアと純日本的な和室大広間が共存する奇妙な、それでいて調和の取れた空間が広がります。
異種文化をまとめあげた努力に感服すると同時に、この頃の設計者の頭はいったいどうなっていたのだろうと半分、あきれてしまいます。

現在、名前の通り、甲南漬けの販売はもちろんですが、クラシカルなインテリアを生かした灘の酒バーもあり、ちょっとした観光のスポットにもなっているようです。
一度訪れることをお勧めします。新しい発見があるかもしれません。

2010年2月7日日曜日

芝川ビル

寒い日が続き、なかなかスケッチに出られません。
この日は一月最後の休日。今の季節にしては陽射しが強く、風さえ我慢すれば何とか描けそう・・・と大阪まで出かけました。

この芝川ビルは御堂筋の一本東側、淀屋橋近くにあります。昭和初期の建物で、かなり痛みが激しいのですが、未だに事務所と商業施設として現役で使われています。
外観は何様式というのかさっぱりわかりません。スパニッシュ瓦あり、インカ風の飾りありと、とにかく風変わりで、ディテールは濃密です。

一体誰が設計したのだろうと調べてみると、「渋谷五郎」と「本間乙彦」とあります。
後者は不勉強でよく知りません。が、前者は僕が最も感銘を受けた本の一冊である大著「日本建築」の作者です。・・・これが彼の作品とは・・・意外でした。
というのは、その前文に確か「最近の(大正から昭和初期にかけてという意味ですが)建築界の風潮はけしからん。洋風のデザインを追い、日本人の精神を忘れている!」などという勇ましい(?)嘆きがあったと記憶してたからです。
その本人ががまさかこんな、思いっきり「洋風の」ビルを作っているとは・・・・・。
またひとつ面白い建築異聞を発見してしまいました。

2010年1月31日日曜日

愛珠幼稚園

この建物は何に見えますか?お寺?武家屋敷?料亭?
・・・いずれもはずれ。なんと「幼稚園」です。
場所はやはり大阪淀屋橋。先週描いた「シェ・ワダ高麗橋本店」のすぐ近くにあります。
竣工は明治34年、日本最古の現存幼稚園だそうです。
残念ながらこの日は休日。門は閉ざされ子供達の走り回る姿は見られませんでした。
周りはオフィスビルばかりですが、それだけに木造2階建てのプロポーションと素材感は存在感たっぷり・・・。
こんな贅沢を味わった子供達の未来が楽しみです。

2010年1月24日日曜日

シェ・ワダ高麗橋本店

先日、気になる記事を見つけました。芸術新潮1月号の「私が選ぶ日本遺産」です。
とある著名人の言葉を、誤解を恐れず要約すれば、世界遺産や煉瓦建築に惹かれるのは素人であって、文化人(?)は電柱と電線こそ日本の都市景観の面白さを表現していることに気づくべき・・・だそうです。
何たる暴言!・・・この筆者のように建築の研究者ならともかく、大多数の学生やサラリーマンは世界遺産などそうそう見る機会は無いはず。
その彼らに向かって、電柱、電線との比較を説くことには無理があります。
仮にあのうっとうしい姿の奥に何らかの思想が潜んでいるとしても、それを考えるのは個人であって、押し付けがましく教育するのはいかがなものか・・・・?。

何故こんな事を長々と書いたかと言うと、今日載せようとしていたのが、なかなか味のある「煉瓦造」の建築だったからです。
場所は大阪淀屋橋・・・辰野片岡建築事務所設計の「シェ・ワダ高麗橋本店」です。
実は絵を描いている僕のすぐ眼の前に「電柱」が立っており、そこから電線が建物すれすれに縦横無尽に這い回っています。先ほどの筆者なら感激するに違いありません。
この日はここで結婚披露パーティがあったようで、着飾った男女が出て来ました。
楽しそうに語らうこの人達を見ていると、少なくとも「煉瓦つくり」は日常的でない「お祝い」の演出に一役買っていることは間違いないようです。
一方、画面を覆っていた電線は、いわば「日々の生活のシンボル」。
ですから、「邪魔な」電柱と電線は僕の画面からは消えています。
さて、この「電柱談義」・・・皆さんはどう思われますか?

2010年1月17日日曜日

1995.1.17

15年前の今日、早朝5時46分、あの阪神大地震がありました。
神戸では、追悼式典に皇太子御夫妻が出席されることもあり、TVでさかんに特集番組が流されています。
この絵はその1995年の年賀状として描いたものです。
数日後に大災害が起こるとはつゆ知らず、いかにも平和な娘と妻をスケッチしています。
実はこの年、他にはまったく絵を描いていません。仕事に追われる毎日・・・典型的な会社人間であったようです。

そして奇しくもその数日後、激震!
電気もガスも水道も、TVも新聞も途絶え、寒さと乏しい食料に不安を抱いて夜を過ごしました。
当然、仕事などどうでも良く、家族のため昼は水と食料探しに歩き回り、夜は暖房の無い家で毛布に包まり、蝋燭の明りの元、数年ぶりに皆でトランプをしたことを覚えています。
そう、家族の大切さを改めて思い知った年でもありました。

2010年1月10日日曜日

兵庫県公館再び

「似ている」とは同時に(暗に)両者の優劣をつけることでもあります。
「京都府庁舎」と「兵庫県公館」・・・気になって再び「兵庫県公館」を訪れました。
正面に大屋根がかかった玄関棟があり両翼に端正な窓がリズミカルに並ぶ構成はまったく同じですが、前者は正面にネオ「ルネサンス」の証であるギリシャ神殿風の破風と円柱がありますが、後者は連続アーチのみ。
前者の壁はやけに新しいアイボリーに塗られて、ちょっと不自然ですが、後者は落ち着いた石の肌色に統一されてなじんでいます。
ディテールも後者のほうが彫りが深くどっしりとした感じがあります。
と言うわけで、この勝負は「兵庫県公館の勝ち!」
・・・これで僕も「神戸っ子」の称号がもらえるかもしれません。