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2013年5月5日日曜日

出石の達磨さん

ゴールデンウィーク後半が始まりました。
先週、「龍野」にちょっとがっかりしたので、今週は「そば」で有名な「出石(いずし)」に出かけました。
もちろん龍野にはない「重要伝統的建造物郡保存地区」のお墨付きも確認済みです。

しかし、結局、結論を言うとここも、いまひとつ・・・。
まるで「出石そば」を売ることだけが目的の町のようでしらけます。
「重要伝統的建造物郡」も最近は基準がちょっと甘くなった気がします。

それでも、おやっと思うシーンがいくつかあります。これはそのうちのひとつ、願成寺。
建物の古びた存在感はもちろんですが、ご覧のように門を守る2体の木彫の達磨がなんともユニーク。
えっ、小さくて見えない?
いいんです。そういう方は、まったくの偶然ですが僕と同じように達磨の面白さに目をつけた最近発行された但馬銀行のポスターをご覧ください。
若い女性がしゃがみこんで木彫の達磨さんと見つめあう、とてもほほえましいポスターです。

街自慢は「そば」だけじゃない。

2013年4月28日日曜日

龍野の町並み


龍野は「播磨の小京都」と呼ばれる旧脇坂藩の城下町。
ゴールデンウィークの初日、期待に胸を躍らして電車に飛び乗りました。
姫路から姫新線というローカル電車に揺られ20分。ワンマン電車らしく、自分でボタンを押してドアを開き、ホームに降り立ちます。

江戸の文化と龍野の自然がとけあった見事な町並み・・・
は、残念ながらどこにもありませんでした。
あるのは、格子戸を取り払い、シャッターやアルミサッシを嵌め、うだつの横にエアコンの室外機を置き、腰の木羽目をタイルに張り替えた奇妙な建物ばかり。
あるいはコンクリートブロック塀に白ペンキを塗って「白壁の通り」とうたう無神経さ。
絵になるシーンを足を棒にして一日中探しましたが、「美しい」と思える場所はとうとう見つからず。

「今日は成果なし」と諦めかけましたが、考えてみれば僕の憤りは「地方の真実」でもあります。
それを描くのも悪くない。

ご覧のように、屋根は崩れかけ軒先は垂れ下がっています。
柱の間には、やはりシャッターが。色はくすんでもう何年も開けた形跡がありません。
人はもう住んでいないのだろうと思っていたのですが、スケッチブックを閉じ、帰路につこうとした瞬間、人が出て来ました。
どうやら用事は壁に埋め込んだ(赤と青の)自動販売機のメンテナンスのよう。
この町並みの真実がここにあります。

2012年4月8日日曜日

桜の季節

やっと桜の季節になりました。
しかし各地に被害をもたらした季節はずれの強風と寒波の中、薄着で我慢したおかげで、すっかり体調を崩し、せっかくの休日に、布団の中で微熱に苦しむはめになりました。
と言うわけで今週はこのブログを休もうかとも思いましたが、せめて昔の桜のスケッチを載せることにします。
場所は明石城。・・・しんどいので、今日は細かなコメントは省略。
皆さんも寒い花見で風邪をひかぬよう、お気をつけください。

2011年8月28日日曜日

海とヨット

生まれて初めて、ヨットのクルージングを経験しました。
もっとも操船は全て船長任せ・・・僕は気楽に甲板に座っているだけ。
本来の「男らしい」マリンスポーツとは程遠かったのですが、おかげで真夏の海と爽快な向かい風を十二分に楽しむことが出来ました。

翌日の早朝。
港から淡路島の山並が朝もやの中にうっすらと浮かび上がります。ふだん不健康な朝を迎えている僕にとって、見たこともない感動的な光景でした。
よく見ると、気の早い仲間のヨットがはや、出航の準備をしています。
どうやら台風が近づいているようです。

というわけで、僕らの船も早々に出航。
帰りは神戸の街を海から眺めながらのクルージング。いつも見ているはずの神戸なのに、次から次へと見慣れぬ風景が現れます。
貴重な経験をさせてくれた船長に感謝!

2011年8月14日日曜日

旧篠山裁判所(篠山市立歴史美術館)

武家屋敷も商家も個人の住宅。
江戸時代の人々の生活を想像できるのがその魅力でした。
一方この建物は明治になって旧篠山藩庁を改造して造られた裁判所。
魅力は文明開化に向けた明治政府の「威厳」でしょうか。
外観はご覧のとおり和風ですが、内部は完全に洋風。
保存されている法廷のインテリアは簡素でありながら重厚・・・当時の雰囲気がよく伝わってきます。
今は美術館として公開されているので誰でも中を見ることができます。
あなたも、その「被告席」で過去を想像してみてはいかがでしょう?

2011年8月7日日曜日

河原町商家群その2

河原町商家群は重要伝統的建造物群保存地区として2004年に認定されています。
「妻入りの軒先が規則正しく繰り返され江戸時代の町並みを見事に残している」のが評価されたようですが、当然すべてがその原則通りではありません。
このスケッチにも中央に一軒だけ平入の家があります。明治以降の城下町動乱期の中で、へそ曲がりの主人が建て替えたのに違いありません。
そしてその手前の民家のように実に奇抜なデザインの家も登場します。
本来シンプルなうだつを仰々しい2層の小屋根で飾り、その壁は手首をたらしたような奇妙なカーブを描き、軒の両脇を挟み込んでいます。
この変形うだつの意匠はこの家だけのオリジナルかと思いましたが、街を歩くうち、他にも似たような事例を発見しました。
個人的な趣味を超えたボキャブラリーが存在するようです。
いったいいつから、誰が造り始めたのか・・・この問いの答えをご存知の方、是非お知らせください。

2011年7月31日日曜日

河原町商家群

大名屋敷も侍屋敷も共通しているのは、通りに対して閉鎖的なこと。
土塀、板塀などの違いはあっても通りから中をうかがうことはできません。
前回、前々回と内部の坪庭や屋根の形をテーマにしたのは、そんな閉鎖性にやや物足りなさを覚えたからかもしれません。
その点、同じ城下町にありながら商家の町並みには、人々の生活が現れます。
この川原町商家群もその例にもれません。
武家が茅葺の屋根だったのにこちらは全て瓦屋根、ほとんどが妻入りの形式に統一され、その豊かさが推測されます。
格子戸、なまこ壁、道に出した植木、屋根つきの伝言板など、庶民の生活を語ってくれる小物があふれています。
雨がぽつぽつと落ちる中、真ん中の店の赤いのぼりが印象的でした。

2011年7月24日日曜日

篠山の武家屋敷

お徒士町には安間家だけでなく、茅葺入母屋の元侍屋敷の住宅がいくつも残っています。ただ茅葺屋根や土塀は維持するのが難しいためか、けっして保存状態がよいとは言えません。

この一連の建物は比較的、よく当時の雰囲気を伝えてくれていますが、やはり塀周りにちょっと不自然、残念なところがあります。
それでも、夕暮れが迫るこの時刻、西日に浮かぶ屋根の形が作り出す風景は、都会のスカイラインに慣れた僕にとってはとても新鮮です。
この町並みをいつまでも残してほしいと思います。

2011年7月18日月曜日

安間家住宅

城下町につきものの武家屋敷。
ただし廃藩置県のとき全国いたるところで、大名屋敷は取り壊され、現在残るのはほとんどが下級武士の「侍屋敷」だそうです。

ここ篠山に残る安間家も「御徒町」にある住宅で、藤沢周平の時代小説によく登場する、いわゆる「10石三人扶持」の(たぶん)貧しい武士の家です。
門も母屋も屋根は瓦でなく茅葺。裏庭にも作物を栽培していた跡が見えます。
建物はそれなりの広さがあるものの、下僕を雇わねばならない生活は楽ではなかったことが見て取れます。
でも、座敷に座り、この小さな坪庭を眺めていると不思議にほっとするものを感じます。
武家とはいえ、現代の私達と同じようにこの庭で季節の移り変わりを話題にしたに違いありません。
有名寺院の庭園のような広さも凝った意匠もありませんが、ここには当時の人の心が残されているような気がします。

2011年7月10日日曜日

篠山城 大書院

大正ロマン館の通りを南へ行くと篠山城跡に出ます。
築城の名手であった藤堂高虎によるものだけあって見事なお堀が取り囲んでいます。
ただし現在残っているのはこの大書院だけ。
これも昭和19年に焼け、2000年4月再建されたものです。当時の図面を元に「当時のまま木造で復元された」とあります。
パンフレットにはお城正面の門とこの大書院を映した写真が載せられていましたが、それではこの建物の魅力は伝わりません。
歩き回った末、玄関と反対側、庭の塀越しに見るのが一番だと気がつきました。
足元のぬかるむなか、つま先だって中をのぞく姿勢で屋根と庭を超広角で画面に入れました。よって若干の不自然さはご容赦ください。
見所は大屋根に対しわざと正面をはずした唐破風と庇端部を入母屋とする珍しい構成です。
だから・・・高く、伸びやかにかつ複雑な、格好の良い屋根が出来たのでしょう。
設計者はもちろんわかりませんが、うらやましいデザイン力です。

2011年7月3日日曜日

大正ロマン館

長々と続いた「ハワイ篇」は先週で終わり。
気がつくと日本は五月、新緑のころ。常夏の気候に慣れた肌には空気がまだ冷たく感じます。
そんな頃、以前から訪れたいと思っていた「丹波篠山」に来ました。

篠山は神戸からJRで約一時間。手軽な行楽地で、「牡丹鍋」が有名です。
しかし、じっくりと歩いてみると、戦国、江戸、明治、大正と歴史的にも見ごたえのある遺産がたくさんあることがわかります。
あいにく天気は小雨と曇りの繰り返し・・・建物を描くには難儀でしたが、歴史の街の雰囲気は十分に味わえました。

さて最初は「大正ロマン館」。
櫓(やぐら)を載せた屋根と二重の破風がある玄関の構えがユニークです。
竣工は大正12年(1923年)。設計者はわかりません。
現市庁舎建て替えのときに解体の危機に見舞われたようですが、市民の保存運動のおかげで、観光センターとして生き残ることが出来たようです。

ただその時の改修のせいでしょうか。外観は艶のあるピンク色ですが、木肌が塗りつぶされていて、素材感がまったくなく、少し違和感を覚えます。
建具の明るいグレー色もどうも建物のイメージに合いません。
おそらく建設当初の資料が残っていなかったからでしょう。
でも・・・ちょっと残念です。

2010年8月22日日曜日

あかがね御殿のDNA

「わがまち加古川50選」によれば、「あかがね御殿」を建てたのは多木化学の創業者多木久米次郎氏だそうです。
そして、山陽電鉄別府駅からあかがね御殿へ至るルートにやはり少し風変わりな外観の多木化学の本社があり、その隣にいわくありげに佇むこの民家があります。


よく見るとこの民家は少々風変わりです。
まず、通常独立して建てられる蔵の外壁が母屋と繋がっているのでそれだけで、面白い形になります。しかも高さの違う棟ごとに別々の屋根を複雑に重ね、一体とする構成は普通の民家とは一味違います。

スケッチをし、帰ってから詳しく調べてみると、この民家はなんと多木久米次郎氏の生家だったようです。
言われてみれば、「あかがね御殿」の不思議なデザインと共通するものがあります。
きっと多木氏の「建築好き」DNAがまさにこの「生家」で醸成されたに違いありません。

2010年8月15日日曜日

あかがね御殿

「人」と「建築」をテーマとするこのブログの性格上、どうしても、いわゆる「重要文化財」の類を取り上げることが多くなります。
ですから今日は、有名な寺院に「飽きてきた」かもしれない人のために、少々奇妙な建物を紹介します。

以前、鶴林寺を訪れた時、駅の観光案内で「わがまち加古川50選」という小冊子をもらいました。
この「あかがね御殿」はその中で偶然発見したものです。
地元では有名らしいのですが、建築の専門書にはまったく記載されていない「アウトロー建築」です。
何しろいくつもある屋根のかけ方や角度、方向がばらばらで統一性が無く、窓もその高さ、大きさ、プロポーションにやはり規則性がありません。
建築家としては、「常識知らず」と言われても仕方がない建物です。
しかも外装はなんと銅板張り。出来た当時は「ぴかぴかに輝いていた」というのも、日本人の美意識からするとちょっといただけません。

それでも、現物を見ると、別府(べふ)港という小さな港に面していることもあり、たいそう存在感があります。
全体のデザインも不思議と格好良く、十二分に絵になります。こんなものを設計する人は一体誰だ?とインターネットのあちこちのサイトを調べましたが「不詳」とのこと。
残念です・・・本当の天才を知ることができたかもしれなかったのに。
(なお、この建物は平成14年に国の登録有形文化財となったそうです。その意味では「アウトロー」は少々言いすぎ?)

2010年6月20日日曜日

洲本アルチザンスクエア

洲本城の急な山道を下り、街中へ。
無料の足湯で疲れを癒した後、寺町を経由してアルチザンスクエアへ向かいました。
さほど気を惹かれる風景の無かった寺町に比べ、アルチザンスクエアは魅力たっぷり。
旧鐘紡洲本工場跡を利用した再開発で、公園を中心として図書館、ショップ、レストラン等に変貌した煉瓦建築群が並んでいます。
煉瓦の塊が見せる存在感もさることながら、一見廃墟のような門をくぐると、図書館の前庭があったり、ショップの玄関があったりと、人を惹き付ける仕掛けが見事です。
本当はその魅力をたくさん描きたかったのですが、帰りのバスの時刻が迫っていて時間切れ・・・残念ながらスケッチできたのはこの煉瓦倉庫のみです。
調べてみると大正時代に造られた建物のようで設計者は誰なのかわかりません。
しかし、現在はレストランとして大人気。しかも町の再生にも一役買っていることを知れば、設計者もきっと満足していることでしょう。

2010年6月13日日曜日

淡路島の雲

淡路島は「島」と言うには大きすぎて、無人島に上陸する探検家が抱くような興奮はありません。
しかし、ここ「洲本城跡」から見下ろす半島の絶景は十分に訪れた人の絵心を刺激してくれます。

海の色は意外に淡く、寄せる潮の流れが感じられるほどです。
大きな神戸港とシンプルな須磨の海岸を見慣れた僕には小ぶりな港と幾重にも重なる入り江は見ていて飽きません。
そして高い建物の無いこの風景で一番大きな顔をしているのはなんと言っても、広い空。
そこに悠然と浮かぶ雲は、下界を監視しているようで・・・そう、まさに島の主人公です。

2009年7月26日日曜日

鶴林寺その2

「日本建築史」の教科書を紐解くと、以下のような記述があります。

寺院建築には日本独特の優美な「和様」、大陸的で豪快な「大仏様」、同じく大陸的ではあるけれどちょっと繊細で女性的な「禅宗様」という3つの流れがあり、それらを混ぜ合わせたものを「折衷様」と呼ぶ

そしてこの本堂(1937年建立)は「折衷様」の代表的な建物とされており、「国宝」たる所以もここにあります。
しかし細かな理屈はさておき、屋根は中国の寺院ほど反り返っておらず、かといって屋根の勾配はきつく、そびえ立つイメージは「優美な」日本の寺とも少し違うような・・・・僕にとっての「折衷様」はこれで十分・・・とにかく「格好いい」建物でした。

2009年7月19日日曜日

鶴林寺

明石と姫路の間に加古川という町があります。
観光都市としてはあまり有名ではありませんが、この「鶴林寺」は別格。
聖徳太子が建てたといわれるだけあり、国宝や重要文化財がずらりと並んでいます。
手前の鐘楼は1407年、その後ろの太子堂はなんと1112年の建立。よくもまあ、こんな田舎にこんな由緒ある建物が残っていたものだと、感心してしまいます。

この日、法話があったようで、金堂にはおじいちゃん、おばあちゃんが大勢押しかけていました。境内では学校の宿題でしょうか、何人もの学生が僕と同じようにスケッチをしていました。よく見ると、みんな気楽な装いで、どうも近所の人達のようです。このお寺が、遠来の観光客を当てにせず文化財を守ってこられた秘密は、こんな気取らないお寺のコミュニケーションにあるのかもしれません。

2008年10月5日日曜日

岩屋港

淡路島の農村風景を楽しんだ後は、船に乗って帰ろうと岩屋港に来ました。
実はここにくるのはこれで3度目。

残念ながら来る度にこの街は衰退していると感じてしまいます。
20年前に来たときは、魚市場に活気があり、そこで買ったイカの一夜干は最高でした。
10年前はターミナルの売店で同じ味を求めましたが、見事に期待は裏切られました。
今回はほとんど人もまばらで、ターミナルビルはゴーストタウン寸前・・・・。

それでも、有名な「絵島」に渡り、神戸の街を眺めると、淡路島にしかない絵になる景色が現れます。
黄土色の奇岩と青い海。
すぐ向こうに霞む白い街・・・。
世界中に自慢できる風景です。

2008年9月28日日曜日

淡路島の農村

神戸からパールブリッジ(明石海峡大橋)を渡り淡路島にやってきました。
有名な安藤忠雄さんの「水御堂」を見に来たのですが、バスは一日に数本しかない、相当な田舎です。

その田舎道をバス停に向かって歩いていると、こんな風景に出会いました。
刈り入れには少し早いのでしょうか?それでも一面に実った稲穂は本当にきれいです。
もう秋とは言え、まだまだ暑い日差の下で汗だくになってスケッチをしました。

このスケッチには、前回体験したような江戸時代の文化財は登場しません。でも素朴な田園風景には瓦屋根と板張りの農家で十分のようです。タイムスリップしなくとも、「田舎らしさ」を満喫した、すばらしい一日でした。