雪景色の温泉街を堪能した翌日、倉吉の「白壁土蔵」を訪れました。
曇天の冬の日は街をモノトーンの世界に封じ込めるようです。
空は明るいグレー。
白壁を眩く照らすはずの陽はありません。
そのためか、風化し始めたしっくいの細かな肌合いまでもがやさしく感じられます。
屋根の上で融けはじめた雪は水と埃を吸って、
純白の装いに少し疲れたような表情を見せています。
でもこんな静謐なシーンにもかすかなノイズがあります。
それはおかきを焼く醤油の香り・・・。
この煙突は街が生きている証でもあるようです。
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2012年3月25日日曜日
2012年3月18日日曜日
雪化粧
わが家はみんな寒がり。
だからスキーやスケートなど、ウインタースポーツはまったく興味が無く、例年寒さを避けてひたすら部屋で春が来るのを待ったものです。
ただ、今年はちょっと事情が違います。山陰に蟹を食べに行こうと珍しく冬の旅を企画したのです。
豪雪対策にと、あわてて長靴やら、かっぱを買い求め、なんとか旅館に到着。
障子を開けると、まさにそこは雪国。
ほどよい「雪化粧」をほどこされた温泉街のひなびた風景が一面に広がります。
寒がりの新発見でした。
だからスキーやスケートなど、ウインタースポーツはまったく興味が無く、例年寒さを避けてひたすら部屋で春が来るのを待ったものです。
ただ、今年はちょっと事情が違います。山陰に蟹を食べに行こうと珍しく冬の旅を企画したのです。
豪雪対策にと、あわてて長靴やら、かっぱを買い求め、なんとか旅館に到着。
障子を開けると、まさにそこは雪国。
ほどよい「雪化粧」をほどこされた温泉街のひなびた風景が一面に広がります。
寒がりの新発見でした。
2012年3月11日日曜日
高梁市 商家資料館(池上邸)
民家、城、寺、武家屋敷とスケッチしたあと、最後に城下町に無くてはならないもの、「商家」をスケッチすべくこの「池上邸」にやって来ました。
見事な町並みが続いているように見えますが、実はこの画面の2/3は「池上邸」。
パンフレットによれば、江戸時代、すぐ傍を流れる高梁川の水運を利用して醤油で財を築いたとあります。
先週描いた武家屋敷の折井家は160石。
以前に描いた10石3人扶持の篠山藩安間家と比べれば、はるかに豊かな住宅ですが、この「池上邸」と比べるとやはり見劣りします。
なんといっても敷地は1200㎡、建物面積は500㎡もあるとか。
かつてのこの町の繁栄を象徴しているようです。
さて、一泊二日で備中吹屋から高梁まで駆け巡りましたが、そろそろ引き上げの時間がきました。
正直言うとこの「高梁市」は寂れた町という印象で、商店街はいわゆる「シャッター通り」。観光客が訪れることもほとんど無いようです。
しかし、町の再興に向けた地元の人の熱意は半端ではありません。
この日は「お城祭り 秋の陣」。
地元の子供からお年寄りまで総出で、イベントを開催し、観光客をもてなしているようです。
いつの日か、伝統的な文化が未来の文化として、この街に再び活気を呼び戻してくれることを期待したいと思います。
見事な町並みが続いているように見えますが、実はこの画面の2/3は「池上邸」。
パンフレットによれば、江戸時代、すぐ傍を流れる高梁川の水運を利用して醤油で財を築いたとあります。
先週描いた武家屋敷の折井家は160石。
以前に描いた10石3人扶持の篠山藩安間家と比べれば、はるかに豊かな住宅ですが、この「池上邸」と比べるとやはり見劣りします。
なんといっても敷地は1200㎡、建物面積は500㎡もあるとか。
かつてのこの町の繁栄を象徴しているようです。
さて、一泊二日で備中吹屋から高梁まで駆け巡りましたが、そろそろ引き上げの時間がきました。
正直言うとこの「高梁市」は寂れた町という印象で、商店街はいわゆる「シャッター通り」。観光客が訪れることもほとんど無いようです。
しかし、町の再興に向けた地元の人の熱意は半端ではありません。
この日は「お城祭り 秋の陣」。
地元の子供からお年寄りまで総出で、イベントを開催し、観光客をもてなしているようです。
いつの日か、伝統的な文化が未来の文化として、この街に再び活気を呼び戻してくれることを期待したいと思います。
2012年3月4日日曜日
備中高梁武家屋敷
備中松山城は名だたる山城。
だから、その周囲の武家屋敷も山の麓(ふもと)の坂道に軒を並べることになります。
残念ながら、現在残っているのは旧折井家と旧埴原(はいばら)家くらい。
それでもご覧のように、白い漆喰壁と石垣が折り重なって続く様は、江戸時代の城下町を思い起こすには十分です。
だから、その周囲の武家屋敷も山の麓(ふもと)の坂道に軒を並べることになります。
残念ながら、現在残っているのは旧折井家と旧埴原(はいばら)家くらい。
それでもご覧のように、白い漆喰壁と石垣が折り重なって続く様は、江戸時代の城下町を思い起こすには十分です。
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