2009年9月27日日曜日

二条城 本丸御殿

突然の雨。
二の丸御殿を描こうと庭を散策していましたが、あわてて近くの門へ雨宿りしました。
ふと見ると、ここから本丸御殿の一部が覗けます。
雨が降って水分を吸ったせいでしょうか、少し湿った石垣のきれいな肌合いと赤味を帯びた建物の木肌がよくなじんでいます。
風景を光と影で色分けしてしまう夏の陽射しに慣れすぎたのかもしれません。僕の眼にこのしっとりとした光景はとても心地よいものに映ります。
そう、季節は確かに、少しづつ変わっているのです。

2009年9月20日日曜日

二条城 唐門

夏の終わりに二条城を訪れました。小学生のころ、修学旅行で来て以来です。
記憶に残っているのは「うぐいすばり」の廊下のみ。あとはきれいさっぱり忘れてしまいました。
さすがにこの年になると、この建物が江戸時代の将軍の住まいであったこと、家光が訪れてから幕末までなんと200年以上将軍が入城することはなかったことなどを知ると、少し違った目でこの建物を見るようになります。
まず入り口の唐門の前でその豪華さに見とれてしまいます。巨大な柱と優美な屋根、軒下の金や銅、木彫細工の見事なこと!
・・・どうやら「行ったことがある」という修学旅行の確信は全部洗いなおす必要がありそうです。
このブログにまた新しいテーマができてしまいました。

2009年9月13日日曜日

御影公会堂と火垂るの墓

毎年、終戦記念日のころになると野坂昭如原作「火垂るの墓」がTVで公開されます。
空襲で両親を失った幼い兄妹が二人だけで生きてゆこうとするストーリーで、結末は言うまでも無く悲しいものです。
そして実はそのドラマの舞台がここ石屋川で、まさにこの絵を描いている僕の足元にその記念碑があります。

この日は8月12日。いつもの様に散歩に出かけました。
見慣れたはずの「御影公会堂」もこの映画の痛ましい記憶と重ねると、その存在感が際立ちます。二人の心に映った公会堂はどんな風景だったのだろうかと・・・・。

2009年9月6日日曜日

鹿児島市中央公民館

この一風変わった建物の設計者は片岡安。
設計者を調べると色々面白いことがわかってきます。このブログにやはり何度も登場する辰野金吾が関西で開設した設計事務所が「辰野片岡建築事務所」。つまり彼は辰野金吾の弟子だったのです。
そして 実は以前「水都大阪」の項で取り上げた中之島の中央公会堂の設計者がその「辰野片岡建築事務所」でした。しかし中之島の公会堂とこの鹿児島の公民館では随分デザインのイメージが違っていて、何故?という素朴な疑問が湧いて来ます。


中之島公会堂の竣工が大正7年、この建物の竣工が昭和2年です。この9年の間にきっと彼は独立したのでしょう。そしてもはや親分に頼らない、自分だけのデザインを工夫したに違いありません。まさに「独立」の気負いがこの公民館に現れている気がします。
当然、「煉瓦と石のストライプ」に代表される「辰野調」のモチーフは姿を消します。そして建物の頂部や正面の窓周りに独自の装飾を施す一方、全体としてはシンプルな壁面に恣意的な窓を設ける独創的で斬新な意匠を生み出したのです。

建物が古ければ古いほど、こんなデザインの謎解きも面白くなります。
推理の結末が正しいかどうかは別として、「何故?」を問う「建築ミステリー」の魅力をあなたも味わってください。