2010年9月25日土曜日

アンティカ・オステリア

以前、「北浜レトロビル」という明治から現代までビルの谷間で生き抜いた小さなつわもの建築を紹介しました。

ここ淀屋橋にも、今なお、自己主張する小さな古い建物があります。 その名も「アンティカ(古い)・オステリア(食堂)」。

北浜レトロビルは小さいながら格式ある様式を誇っていますが、こちらはなんとなく風変わり。
それもそのはず、建設当初の用途は中央のアーチ下に消防車を納める消防署だったのです。

どことなく窮屈な感じがするのは、そのためでしようか。
しかし、たかが消防署にここまでデザインする、そのこだわりに同じ建築を志す者として共感を覚えます。
この大正時代の熱き建築家の名前は・・・・残念ながら「不明」です。

2010年9月18日土曜日

ロシアの民族衣装を着た少女

久しぶりに人物画を載せます。
さて、どこの国でも「民族衣装」は原色が似合うようです。
ご覧ください。今日はロシアの民族衣装。
もちろん、際立つのは鮮やかな赤。
そして清潔な白に黄色とブルーのアクセント。

少女の顔もなんとなくエキゾチックに見えるのはこの異国の衣装のせいでしょうか。

2010年9月12日日曜日

神港ビル

神戸の 海岸通りにある近代建築はこのブログでほとんど紹介してしまったのですが、唯一残っていたのがこの「神港ビル」です。
設計は木下益次郎。昭和14年竣工です。ちなみに右となりのビルは以前に紹介したチャータードビルです。

アールデコ調と呼ばれる塔屋も規則的に繰り返される端整な窓も本来なら描いていて、心地よさがあるのですが、この日は例によって猛暑。
とにかく、額を流れる汗が眼にしみます。
もっと涼しくなってから描きにくればよかった・・・・。
さりとて、今年の暑さにひるんでいては、「毎週更新する」というこのブログの公約が果たせません。
そんな悲壮な覚悟でなんとか完成・・・「約束を守る」とはつらいことです。

2010年9月5日日曜日

多聞ビル

ウィキペディアによれば、明治末期から昭和初期にかけて「阪神間モダニズム」という活発な芸術運動があったそうです。その主要な舞台である神戸市灘区では当時の資産を「灘百選」という冊子にまとめているほどです。
実は先週スケッチをした「六甲山ホテル」とこの「多聞ビル」はいずれもこの運動の重要な遺産で、設計者は同じ古塚正治氏です。

この「多聞ビル」は阪神電車西宮駅から歩いて10分ほど、国道43号線に面して建っています。
白く美しい建物ですが、描いた足元の緑色が気になります。
実はこれ、きちんとした植栽ではなく、舗装の間から伸びたぺんぺん草・・・つまり何年も手入れがされていないという証です。
そう言えばどの窓もシャッターが降ろされて中は見えません。
たまたまこの日が休みなのかとグーグルアースでこの建物を観察しましたが、やはりシャッターは閉じられたまま・・・どうやら現在は空き家のようです。

えっ、このスケッチの窓には灯(あかり)があるって?
すみません。これはこのビルが蘇るに違いないという僕の希望的観測とメッセージを織り込んだ「偽りのスケッチ」なのです。