2012年6月24日日曜日

長岳寺


山の辺の道、最後のスケッチになりました。
パンフレットによればこの「長岳寺」の魅力は「四季おりおりの花」だとか。

池の対岸でこの日の主役を発見しました。「かきつばた」です。
夕刻の弱い陽射しにもかかわらず、緑陰に沈む本堂とは対照的に鮮やかな青紫色が輝いています。
身近な自然と素朴な建物がひとつになる一瞬・・・山の辺の道を歩く楽しみはここにあります。
こんな風景がいつまでも輝きを失わないことを望みます。

2012年6月17日日曜日

30年の時を経て

さて30年前に山の辺の道を訪れたとき、もう一枚スケッチを描いたのがこれ。(紙が黄ばんでいるのがわかりますか?)
やはり、寺の名も場所も忘れてしまっていたのですが、先週描いた地蔵さんのすぐ近くでこの風景を見つけました。
寺の名前は「念佛寺」。
どうやら、この寺の墓地の入り口を守るのがあの六地蔵だったようです。
先週は30年の時をはさんだ「新旧のスケッチ」を載せたのですが、今回は「旧」のみ。

なぜかと言うと、現在このお堂の左側にいわゆる「社務所」なのでしょうか・・・街中でよく見かけるごく普通の2階建てプレハブ住宅がくっついて建っているからです。
その姿を想像していただければ、僕が「新」スケッチをする気が無くなったことを理解していただけるでしょう。

山の辺の道は今、世界最古の道として「世界遺産」に登録しようという動きがあるとか・・・・。
そんな人たちの熱意が、この場所の風景を守ってくれることを祈ります。

2012年6月10日日曜日

六地蔵発見


昭和58年5月1日
スケッチの左下に30年前の僕のサインがあります。
今回の旅の狙いはこの懐かしい地蔵さん。

でも歩けど歩けど姿を現わしてくれません。
ついに前回来た「竹之内環濠集落」を過ぎ「萱生町環濠集落」も過ぎてしまいました。
周りは田園風景。確かにこのあたりに違いないと思いつつ、ところどころアスファルトの道があったり、真新しい住宅があったりするのを見ると
「おかしい・・・ひょっとして壊されてしまったのか・・・」という不安が頭をよぎります。
しかし「いやいや、そんな罰当たりなことをする人がいるはずが無い」と思い直し,ひたすら歩きます。
五社神社を過ぎると道は墓地の中へ。そのはずれに、粗末な、小さな瓦屋根の建物が・・・。
「あった!」.。

違いを比べてください。
実はほんとに30年経ったの?と言いたくなるくらい変わっていません。
敢えて言えば、横の板塀が剥がれていることと、一番左の地蔵さんのよだれ掛けが無くなっていることくらいでしょうか。
さすが山の辺の道、時間の進み方ものどかなようです。

2012年6月3日日曜日

石上神宮

山の辺の道は十分に堪能したはずなのですが、30年前にスケッチしたあの場所は結局見つかりませんでした。
同じ場所に何度も行くのも芸が無いと思いつつ、結局その「謎」を解きたくなって2週間後、再度山の辺の道にチャレンジしました。

前回の道程を振り返ると、桜井から桧原神社、萱生町環濠集落から竹之内環濠集落まではすでに歩いたので、残るは天理から竹之内環濠集落までか、萱生町環濠集落から桧原神社までの間ということになります。
完璧を期すため、今度は天理から桜井に向かって歩くことにしました。
最初の目印は天理教の本殿。
壮大な木造建築で、思わずスケッチしたくなりましたが、今日はあの場所を探すのが第一の目的なので、通過して先を急ぐことに。
駅から1時間弱で「石上神宮」に到着。
読み方は「いそのかみじんぐう」。
奈良時代以前で「神宮」と呼ばれるのは伊勢神宮とここだけという由緒ある宮です。
 
国宝の拝殿よりも、森の奥深く佇むこの楼門の姿が美しく、いかにも大和の国を連想させるのでこちらをスケッチしました。
けたたましく鳴く鶏の声が印象的でした。
さて、先を急ぎましょう。あの地蔵さんはまだ現れません。