埼玉県に「深谷」という町があります。
「渋沢栄一」の生家があることで有名で、先日訪れる機会があり、地元の方から色々と話を聞かせていただきました。
すると実はこの町は中山道の宿場町でもあったそうで、歴史好きの僕は、さっそくその名残を求めて街道沿いを歩いてみました。
道路はアスファルトで狭い道を車がすごい勢いで走り抜けます。正直言って、情緒があるとは言いがたいのですが、そんな中で唯一「らしい」風景を見つけました。
漆喰の蔵と古めかしい木の門、レンガの煙突がセットになったちょっと面白い建物です。
ただ周りはどこにでもある普通の地方都市で、保存されていると言うより、取り残されていると言ったほうが似合います。この先どうなるのか、気にかかるところです。
ところで、この町のもうひとつの名物は「ねぎぼうとう」。そのうどんと葱で暖まって出かけようとした僕が神戸から来たことを知ると、お店の人がわざわざこの中山道まで車で送ってくれました。
冷たい北風にめげず、このスケッチを描けたのは、町を愛する人達の温かさのおかげです。
この元宿場町の未来はきっと明るい・・・に違いありません。
水彩画が好きな人のサイトです。あなたは漫然と絵を描いていませんか。旅先で描く風景画、魅力的な人物画などプロのテクニックを教えます。美緑空間は下記のサイトに移動しました。 https://miryoku-yoshine.com/
2009年1月25日日曜日
2009年1月18日日曜日
ながはま御坊表参道
北国街道を描いた後、門前町としての長浜を描こうと大通寺にやってきました。
縁台を張り出した店、しっくいの土蔵など江戸時代のような街並みの正面に、がっしりした山門が構えます。「表参道」の名にふさわしいその姿は、当時のにぎやかさを想い出させてくれます。
山門をくぐると・・・・残念ながら、寺院の各所とも損傷がひどく、文化財としての感動よりも痛ましさの印象が強かったことを覚えています。
改めて、インターネットで調べてみると、町おこしの成功に伴ってその後色々と修復工事が行われたとか。
今は「山門をくぐると・・・桃山文化の世界」と記されています。その変貌をこの目で確かめるべく、またいずれこの場所を訪れたいと思っています。
縁台を張り出した店、しっくいの土蔵など江戸時代のような街並みの正面に、がっしりした山門が構えます。「表参道」の名にふさわしいその姿は、当時のにぎやかさを想い出させてくれます。
山門をくぐると・・・・残念ながら、寺院の各所とも損傷がひどく、文化財としての感動よりも痛ましさの印象が強かったことを覚えています。
改めて、インターネットで調べてみると、町おこしの成功に伴ってその後色々と修復工事が行われたとか。
今は「山門をくぐると・・・桃山文化の世界」と記されています。その変貌をこの目で確かめるべく、またいずれこの場所を訪れたいと思っています。
2009年1月11日日曜日
長浜にて
先週触れた神岡町のように、過疎化に悩む地方が多い中、この長浜はいわゆる「町おこし」に成功した例でしょうか。
秀吉が治めた城下町であり、大通寺の門前町であり、北国街道の宿場町でもあったため、今でも当時を思い出す文化的遺産が多く残っています。
この絵は「黒壁スクエア」の入り口付近、往来で立ったままスケッチしたものです。
町おこしが成功した理由のひとつは、建物が今もこの土地の人々の生活を支えるものとして使われていることです。売られている食べ物も着るものも、日用品も地元の生活感たっぷりです。
だからここでは「土蔵ふうカフェ」などというものはありません。
いつもは描かない人の姿をつい、絵にいれてしまったのも、「街道」の主役は建物ではなく人なのだということをなんとなく感じたからに違いありません。
秀吉が治めた城下町であり、大通寺の門前町であり、北国街道の宿場町でもあったため、今でも当時を思い出す文化的遺産が多く残っています。
この絵は「黒壁スクエア」の入り口付近、往来で立ったままスケッチしたものです。
町おこしが成功した理由のひとつは、建物が今もこの土地の人々の生活を支えるものとして使われていることです。売られている食べ物も着るものも、日用品も地元の生活感たっぷりです。
だからここでは「土蔵ふうカフェ」などというものはありません。
いつもは描かない人の姿をつい、絵にいれてしまったのも、「街道」の主役は建物ではなく人なのだということをなんとなく感じたからに違いありません。
2009年1月4日日曜日
あの町はどうなった?
このブログをはじめて2度目のお正月を迎えました。しかも今回がちょうど100話目。
子供の頃、日記など3日しか続かなかった僕としては、毎週毎週、一度も休まずよく投稿を続けられたと我ながら感心しています。
さて、この休みを利用して大学時代の仲間が集まる会があり、昔話に大いに花が咲きました。
「あいつは・・・、あの頃は・・・・、今は・・・・」などと話をしていると、やはり昔の記憶が戻ってきます。そこで今日は「あの頃の・・・絵」を載せることにしました。
場所は岐阜県最北端の神岡町。美術部の夏合宿で行きました。この町は鉱山の町で有名で、スケッチした当時の印象は「美しいけれどなんとなく寂れた町」でした。
この町で描いた絵は2枚。
1枚はその昔鉱山で働いた人達が住んでいた家(と勝手に思い込んだ?)が川沿いに並んでいる絵。河原の向こうに茶褐色の板壁と切妻屋根がリズミカルに続く様が面白かったことを覚えています。その絵ハガキは友人に送り、今は手元にありません。
もう一枚がこの絵です。
何しろ30年も前の事、よく覚えていませんが、暑い中、丘の上に登って描いたことを覚えています。美しい川と山脈、小さな家が続く町並みにひとつだけ、似つかわしくない、光り輝く曲線の建物があります。これが「神岡町役場」。磯崎新という有名な建築家の作品です。
自分の記憶の糸をインターネットで手繰ってみました。
この川の名前は「高原川」。橋の位置と役場の角度から地図で調べると描いた場所は神岡城のようです。(城があった記憶はないのですが・・・)
そして残念ながら「寂れた」印象の通り、町の過疎化はさらに進み、「神岡町」は合併されて無くなり、今は「飛騨市」となったようです。
神岡町役場は「神岡振興事務所」と名を変えていました。まさに昨今話題の「地方復活」の砦として期待されているのかもしれません。
時が経つと一枚の絵からいろいろなドラマが生まれそうです。
あの美しい町はどうなった?・・・機会があればまた同じ場所を訪れてみたいものです。
子供の頃、日記など3日しか続かなかった僕としては、毎週毎週、一度も休まずよく投稿を続けられたと我ながら感心しています。
さて、この休みを利用して大学時代の仲間が集まる会があり、昔話に大いに花が咲きました。
「あいつは・・・、あの頃は・・・・、今は・・・・」などと話をしていると、やはり昔の記憶が戻ってきます。そこで今日は「あの頃の・・・絵」を載せることにしました。
場所は岐阜県最北端の神岡町。美術部の夏合宿で行きました。この町は鉱山の町で有名で、スケッチした当時の印象は「美しいけれどなんとなく寂れた町」でした。
この町で描いた絵は2枚。
1枚はその昔鉱山で働いた人達が住んでいた家(と勝手に思い込んだ?)が川沿いに並んでいる絵。河原の向こうに茶褐色の板壁と切妻屋根がリズミカルに続く様が面白かったことを覚えています。その絵ハガキは友人に送り、今は手元にありません。
もう一枚がこの絵です。
何しろ30年も前の事、よく覚えていませんが、暑い中、丘の上に登って描いたことを覚えています。美しい川と山脈、小さな家が続く町並みにひとつだけ、似つかわしくない、光り輝く曲線の建物があります。これが「神岡町役場」。磯崎新という有名な建築家の作品です。
自分の記憶の糸をインターネットで手繰ってみました。
この川の名前は「高原川」。橋の位置と役場の角度から地図で調べると描いた場所は神岡城のようです。(城があった記憶はないのですが・・・)
そして残念ながら「寂れた」印象の通り、町の過疎化はさらに進み、「神岡町」は合併されて無くなり、今は「飛騨市」となったようです。
神岡町役場は「神岡振興事務所」と名を変えていました。まさに昨今話題の「地方復活」の砦として期待されているのかもしれません。
時が経つと一枚の絵からいろいろなドラマが生まれそうです。
あの美しい町はどうなった?・・・機会があればまた同じ場所を訪れてみたいものです。
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