2009年1月4日日曜日

あの町はどうなった?

このブログをはじめて2度目のお正月を迎えました。しかも今回がちょうど100話目。
子供の頃、日記など3日しか続かなかった僕としては、毎週毎週、一度も休まずよく投稿を続けられたと我ながら感心しています。

さて、この休みを利用して大学時代の仲間が集まる会があり、昔話に大いに花が咲きました。
「あいつは・・・、あの頃は・・・・、今は・・・・」などと話をしていると、やはり昔の記憶が戻ってきます。そこで今日は「あの頃の・・・絵」を載せることにしました。

場所は岐阜県最北端の神岡町。美術部の夏合宿で行きました。この町は鉱山の町で有名で、スケッチした当時の印象は「美しいけれどなんとなく寂れた町」でした。
この町で描いた絵は2枚。
1枚はその昔鉱山で働いた人達が住んでいた家(と勝手に思い込んだ?)が川沿いに並んでいる絵。河原の向こうに茶褐色の板壁と切妻屋根がリズミカルに続く様が面白かったことを覚えています。その絵ハガキは友人に送り、今は手元にありません。
もう一枚がこの絵です。

何しろ30年も前の事、よく覚えていませんが、暑い中、丘の上に登って描いたことを覚えています。美しい川と山脈、小さな家が続く町並みにひとつだけ、似つかわしくない、光り輝く曲線の建物があります。これが「神岡町役場」。磯崎新という有名な建築家の作品です。

自分の記憶の糸をインターネットで手繰ってみました。
この川の名前は「高原川」。橋の位置と役場の角度から地図で調べると描いた場所は神岡城のようです。(城があった記憶はないのですが・・・)
そして残念ながら「寂れた」印象の通り、町の過疎化はさらに進み、「神岡町」は合併されて無くなり、今は「飛騨市」となったようです。
神岡町役場は「神岡振興事務所」と名を変えていました。まさに昨今話題の「地方復活」の砦として期待されているのかもしれません。

時が経つと一枚の絵からいろいろなドラマが生まれそうです。
あの美しい町はどうなった?・・・機会があればまた同じ場所を訪れてみたいものです。