2010年5月30日日曜日

法輪寺 5月

平城の昔を偲ぶ・・・奈良は今、遷都1300年祭で賑わっています。
再建された大極殿のある平城京跡や市内の混雑ぶりは大変なものです。
しかし人ごみの嫌いな僕は、そんな中心部を避け、静かな「山里の寺院」を求めて斑鳩へやってきました。

JR法隆寺駅から田舎道を歩くこと20分。
田園風景のなかに浮かぶ三重の塔を発見。法輪寺です。
5月の若葉に埋もれると、地味なはずの黒っぽい建物がその存在感を増すから不思議です。
そして手前の田んぼには一面に広がる紫色・・・懐かしいれんげの花です。
子供の頃、男の子はその草原を走り、女の子は花で紫の首飾りを作ったのを覚えているのは僕だけではないでしょう。

僕たちにとっての単なる思い出が、ここ斑鳩の里では、平城の昔から続いている現実の風景なのかもしれません。

2010年5月23日日曜日

東京銀行協会

東京駅丸の内北口から皇居に向かって5分ほど歩くと、交差点の角にこの「東京銀行協会」があります。2階建ての煉瓦造で竣工は大正5年です。
設計者は「松井貴太郎」・・・実は調べてみると先週描いた「旧安部邸」の設計者と同じであることがわかりました。
さっそくブログにこの事実をと思いましたが、このスケッチはクロッキー帳にペンで描いたもので、残念ながら着色ができません。
しかし何とかこの設計者の足跡を語りたいと思い、原画をスキャナーで取り込み、パソコン上で色付けをしました。
筆をマウスに持ち替え、悪戦苦闘・・・。
時間はいつもの倍、色は単調であまり気に入っていませんが、重厚な雰囲気を伝える役割はそれなりに果たせたようです。
ちなみに、建物上部の目障りなグレーの筆跡(マウス跡)は操作ミスではありません。
そう、例によって上部に高層ビルが載っているのです。
筆でも、マウスでもこの違和感を減ずることは出来ないようです。

2010年5月16日日曜日

芦屋川 旧安部邸

久しぶりに芦屋川を訪れました。
かつてはこの静寂な佇まいに、洋館がずらりと建ち並んでいたに違いないのですが、残念ながら今はすっかり様変わりしています。

それなりにどの建物も立派ではあるのですが、奇をてらった、少し風変わりな邸宅が目立ち、スケッチしたくなるような面白い建物は、ほとんどありません。
そんな中で唯一と言っていいほど、昔の雰囲気をとどめているのがこの旧安部邸です。

海に向かって開かれたバルコニーはもちろん庶民の憧れですが、背後に六甲山、目の前に芦屋川という環境はまさに「上流階級」の証明です。
現在はかなり痛みが激しいものの、某企業の保養施設として使われているようです。

貴重な「芦屋」文化の継承者として、これからも生き続けてほしいものです。

2010年5月9日日曜日

尼崎の寺町

戦時中の空襲のため、阪神間の古い寺院はすべて焼け落ち、残っていないと思っていました。
ところが、阪神電車 尼崎駅のすぐ近くに、「寺町」と呼ばれる、古いお寺が昔のまま残っている一角があったのです。
こんな良い画題を知らなかったとは実に不覚・・・。
路地を挟んで、いくつものお寺がたたずむ姿は京都のようです。
もちろん規模では勝てませんが、その分観光客もほとんどおらず、静かに町の雰囲気を楽しむことができます。

この「善通寺」はまずその屋根のデザイン(しころ葺きと呼びます)の奇抜さが眼を惹きます。
そして何より風変わりなのは塀がレンガ積みであることです。
通常、お寺の塀は土壁、漆喰壁、板壁など和風の素材で作られ、時間を経ると「朽ちた」イメージが背景の建物とよく似合うようになります。
でも、こうしてみるとレンガもなかなかのもの・・・十分に「風化した」煉瓦の肌合いは、やはりこの町の歴史を語っているようです。

2010年5月2日日曜日

南禅寺 水路閣

京都が東京に首都の座を奪われた頃、京の威信を賭けて行った大事業がありました。
それが琵琶湖疏水。
琵琶湖から鴨川まで人工の運河を通すという、当時の技術では困難極まりない工事で、苦労に苦労を重ね、明治23年にやっと完成しました。
その甲斐あって、今も京都市の水道はほとんどこの疎水に頼っているそうです。

南禅寺に入るとそれは「水路閣」と呼ばれ、いつも誰かが絵を描いている人気スポットになりました。
幸いにもこの時の絵描きは僕一人。
ゆっくり気に入ったアングルを探しながら、考えました。
この水道橋が日曜画家達の気を引くのは何故でしょう?
和風の寺院と洋風レンガの組み合わせが面白いから?
いやそれだけではありません。
「神聖な木立」を縫うように「人工のアーチ」が正確に、延々と続いている不思議を感ずるからにちがいありません。
「京の威信」は近代技術に対する技術者の心意気となってここに表現されたと言えそうです。