2011年12月25日日曜日

三菱一番館

2009年9月、東京のど真ん中に出来たこの建物。
高層ビルに囲まれた地価の高い土地によくもまあ、こんな効率の悪い建物が建ったものです。
しかも、すべて石と煉瓦造りの本物志向。遊園地にあるプラスチックのまがい物ではありません。
建築基準法を守りつつ、現在の技術と材料でこの建物を復元するには相当お金がかかったはず。
噂によれば隣の超高層ビルと同じ金額だったとか・・・。

この建物、もともとは英国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計され、明治27年に竣工したオフィスビル。
その後、倣うように続々とオフィスビルが建てられこのあたりは「一丁倫敦(いっちょうロンドン)」と呼ばれるようになったそうです。
私が訪れた時、内部の美術館でちょうど「一丁倫敦と丸の内スタイル」展が開催されていました。
「今日は帝劇、明日は三越」という当時はやったコピーの通り、センスのよいインテリアと衣装で描かれる日常は実に豊かです。

この建物の復元に巨額の投資がなされた狙いはよく知りません。
しかし「建物を設計することは文化を創ること」・・・現代の設計者にはやはり実現困難なこの言葉を思い出させてくれただけで、この建物が再建された甲斐があったと思っています。

2011年12月18日日曜日

西本願寺 伝道院

西本願寺正面の参道沿いに奇妙な建物が建っています。
通りは仏具などを売る老舗が立ち並び、門前町らしい雰囲気を醸し出していますが、この伝道院だけが異彩を放っています。

赤い煉瓦と少し扁平なドーム屋根。
両端が少し跳ね上がる微妙な曲線の窓飾り。
そして車止めの上には変な怪物像などなど・・・。
ネオルネサンス、ネオバロックなど当時の堅苦しい銀行建築とは一味違うこの建物を設計したのは「伊東忠太」。
明治末期から昭和初期にかけて、活躍した建築史家です。

実は4年ほど前、その異才に触れるべくスケッチに訪れたのですが、あいにく工事用の仮囲いで覆われており、見られませんでした。
今年保存修復工事が終わり、やっと念願がかなったと言うわけです。
1階は当時のデザインを生かしたまま、展示スペースとして公開されています。
あなたも是非訪れてみてください。
エキゾチックな風貌がお寺の町と妙にフィットしていることを感じるでしょう。

2011年12月11日日曜日

北海道庁旧本庁舎

JR札幌駅の南、歩いて10分ほどの距離にこの赤れんがの庁舎があります。
幕末から明治にかけての動乱を思えば、北海道に本格的な洋風建築が建ち始めるのは大正や昭和になってからと勝手に解釈していましたが、なんと竣工は明治21年とあります。
僕がこのブログで描いた神戸の代表的洋館である兵庫県公館は明治35年竣工であることを考えれば、驚くべき速さで北海道に文明開化の波が押し寄せたのがわかります。

おそらく明治政府の威信をかけて建てたのでしょう。正面からみるその姿はドーム屋根を中心に左右対称、間口61mの堂々たる官庁建築そのものです。
左右対象のデザインは建物の背面にも徹底されているようで、観光パンフレットにはその美しさを「後姿美人」とたたえています。
そこでこのスケッチ・・・えっ、そんなに大きく見えない?
そう、これは正面でもなく、後ろでもない、側面のスケッチなのです。
それでも入り口のアーチを中心とした左右対称の構成は守られています。シンボルとしてのドーム屋根もちゃんと見えます。アーチ状の窓など正面には無いパーツもちりばめられており、周到にデザインされた跡が見られます。
美人は「横顔」も美しい・・・などと思ったかどうかはわかりませんが、昔の建築家のこだわりは十二分に伝わってきます。

2011年12月4日日曜日

醍醐寺 五重塔

ガイドブックによれば、醍醐寺の創建は平安時代初期。その後戦国時代にほとんど焼失し、秀吉の有名な「醍醐の花見」のときに再建されたとのことです。
その中でこの五重塔だけは唯一創建当時(951年)のままの姿を見せています。

今までこのブログでいくつか描いた塔について調べてみました。
時代順に並べると、薬師寺東塔が白鳳時代、この醍醐寺五重塔が平安時代、興福寺五重塔が室町時代、東寺五重塔が江戸時代となります。

一つ一つ思い出してみると、何となく歴史の法則を感じます。
つまり、時代が下るにつれて低く安定感がある形から、高く直線的な形に変化(技術的には進化)しているようです。

薬師寺(高さ34m)は最下層の屋根が特に広いことと、上層の裳階(もこし)が屋根よりも小さくついているため、どっしりとした感じがします。
興福寺は裳階も無く、上から下まで屋根の先端ががすっきりと流れ、高さが51mもあるため、軽快かつ勇壮な感じがします。
東寺は屋根の逓減率が極めて小さく直線的で、高さは日本最大の55mもあるため、圧倒的迫力を感じます。

そしてこの醍醐寺五重塔の高さ(38m)は時代の順番通り、薬師寺と興福寺の中間にあります。さらに特徴は下から上への屋根の逓減率、曲線の重なり具合が実に微妙なことです。
軒先のラインを追っていると、屋根の先端の位置が狂い、複雑な組み物にとらわれているうちに全体がおかしくなり・・・スケッチ失敗!・・・下書きをしないペン画には天敵と言ってよい題材でしょう。
何とか描き終えたその姿は、どっしりとした薬師寺と軽快で勇壮な興福寺のちょうど中間のイメージ、まさに「繊細」で「優美」な平安調の五重塔と言えるでしょう。