ガイドブックによれば、醍醐寺の創建は平安時代初期。その後戦国時代にほとんど焼失し、秀吉の有名な「醍醐の花見」のときに再建されたとのことです。
その中でこの五重塔だけは唯一創建当時(951年)のままの姿を見せています。
今までこのブログでいくつか描いた塔について調べてみました。
時代順に並べると、薬師寺東塔が白鳳時代、この醍醐寺五重塔が平安時代、興福寺五重塔が室町時代、東寺五重塔が江戸時代となります。
一つ一つ思い出してみると、何となく歴史の法則を感じます。
つまり、時代が下るにつれて低く安定感がある形から、高く直線的な形に変化(技術的には進化)しているようです。
薬師寺(高さ34m)は最下層の屋根が特に広いことと、上層の裳階(もこし)が屋根よりも小さくついているため、どっしりとした感じがします。
興福寺は裳階も無く、上から下まで屋根の先端ががすっきりと流れ、高さが51mもあるため、軽快かつ勇壮な感じがします。
東寺は屋根の逓減率が極めて小さく直線的で、高さは日本最大の55mもあるため、圧倒的迫力を感じます。
そしてこの醍醐寺五重塔の高さ(38m)は時代の順番通り、薬師寺と興福寺の中間にあります。さらに特徴は下から上への屋根の逓減率、曲線の重なり具合が実に微妙なことです。
軒先のラインを追っていると、屋根の先端の位置が狂い、複雑な組み物にとらわれているうちに全体がおかしくなり・・・スケッチ失敗!・・・下書きをしないペン画には天敵と言ってよい題材でしょう。
何とか描き終えたその姿は、どっしりとした薬師寺と軽快で勇壮な興福寺のちょうど中間のイメージ、まさに「繊細」で「優美」な平安調の五重塔と言えるでしょう。
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