2009年3月29日日曜日

知覧の武家屋敷

生まれて初めて鹿児島を訪れました。まずは武家屋敷で有名な知覧です。
鹿児島市内からバスで一時間以上かかるのですが、江戸時代の昔、よくもこんな山奥に屋敷を構えたものだと感心してしまいます。
武家屋敷の町並みは重要伝統的建造物郡保存地区に指定されていて、メインストリート沿いに立派な石積みと生垣が並んでいます。

さて絵を描こうと歩き回りましたが、生垣が立派過ぎて、奥の建物がさっぱり見えず、僕好みの構図が取れません。
そこで正面から描くのをあきらめ、隣の空き地を覘いてみると見事な光景が現れました。
隣地の茅葺屋根だけでも十分に絵になりますが、何よりも僕の目を惹いたのは咲き乱れる菜の花です。

なんという鮮やかな「黄色」・・・・刺激的なはずの都会のパレットにもこんな色はありません。

2009年3月21日土曜日

立姿の婦人像

人物画を描く時、いつも悩むことがあります。
多少のデッサンの狂いは無視して筆の勢いで描くか?あるいは、じっくり見て正確に描くか?
見る方にもそれが伝わるのか、このブログを見て、「あなたの絵は酔っぱらって描いたほうが良い」などと失礼な(正直な)コメントをよこす人もいるくらいです。

そういう意味では、今回は、立ちポーズの線を大切に、色は印象的な部分だけをさっと塗ってみました。
横からのアングルですが、その分しなやかに、魅力的に描けたのではないかと、満足しています。

えっ、まだまだ?
・・・そう、だから人を描くのは面白いのです。

2009年3月14日土曜日

梅林公園

僕の故郷である岐阜に地元ではちょっと有名な「梅林公園」があります。
訳あって、実に三十数年ぶりに訪れました。
記憶に残っているのは「とても大きかった」こと、「写生大会で絵を描いた」ことです。もちろん梅が「美しかった」などという大人びた想い出はありません。

あの時絵を描いた場所を探そうと、歩いてみると広いはずの公園は意外と狭く、お目当ての場所はあっさりと見つかりました。
記憶が教える目印は池と橋。三十数年の時を経ても変わらぬ見事な造形・・・・と期待しましたが、残念ながら今眺めると、どちらも人工的でわざとらしく、それほど魅力は感じません。
僕が成長したのか、はたまた子供の頃の純粋さを失ってしまったのか?

しかし、昔は気づかなかったこの公園の魅力に気づきました。
それはもちろん「梅林」そのもの。
桃色に染まる視界はどこまでも幻想的です。
昔と今。夢と現実。梅の花が全てを包み込んでしまったようです。

2009年3月8日日曜日

竹原 その3

この町を訪れた時、駅前の観光案内所で地図をもらいました。
僕が建物に興味があることを伝えると、係りの女性がどの建物がどんな価値があるとか、あの有名人が住んでいたとか・・・見所を丁寧に教えてくれました。
その教えに従って描いたのがこの「小笹屋」です。

歴史的な町並みには大抵、そこの風土にあった屋根の形や勾配があり、軒先もきれいに揃うのが普通です。ところが竹原の町並みは、各々の家が結構勝手に屋根をデザインしています。
この小笹屋は由緒ある酒蔵で、周囲が平入りであるのに対してここだけ、妻入りの棟を3つ並べて存在感を誇示しています。
内部は酒造資料館として公開されていて、黒光りする太い柱や梁が酒造りの長い営みを物語っています。

絵を描き終えたところで、帰りの列車の時刻が迫ってきました。
あわてて買ったお土産はもちろんお酒。「この町のお土産は?」という問いへの、係りの女性のお勧めがやはりお酒だったからです。

2009年3月1日日曜日

竹原 その2

街道を行くと裏山に通じる路地があり、さらに階段を登ると前回僕が想像した「子供達が遊んだに違いないお寺」・・・西方寺があります。
門前の階段から町を振り返ると格子と漆喰でお化粧されたきれいな観光地とは違った、別の顔を見ることができます。

この視線にあるのは連続する屋根瓦と路地の土。
瓦は美しい銀色というよりはくすんだねずみ色で、建物が風雪にさらされてきた時間の名残を感じさせてくれます。
そして都会のアスファルトに慣れた僕に何より新鮮だったのはその土の複雑な表情。
地面は雨を吸って濃い土色になり、道の真ん中は陽に干されて堅くひび割れます。
そして風の日には土ほこりとなって舞い上がる一方、いつも日陰の湿ったところは雑草がしっかり根を張って自分の領土を守っています。
この瓦屋根の軒下を鉢植えで飾り、竹箒を手に女達がおしゃべり・・・・。
またまたこの町の楽しい空想が広がってゆきそうです。