2007年12月29日土曜日

出雲大社


前回は伊勢神宮を描いたので、今回はもう一方の雄、出雲大社を描きます。
こちらは伊勢神宮と違って、本殿に近寄ることができるので、ガードマンに邪魔されることも無く、じっくりと絵を描くことができます。


さて、実に不思議な建物です。
屋根は茅葺き。柱や壁は白木。材料は日本の普通の民家と同じで親しみを覚えるはずなのに、周囲の自然から突出したその巨大さに、尋常で無い威圧感を覚えます。
本殿の高さは24M。はるか昔はもっと高かったとか。
現代でも、交通不便なこの片田舎に、ろくに建築技術も無くこんな巨大な建物を建てさせたものは、やはり「信仰心」なのでしょうか。
でも出雲大社の良さは圧倒的なその大きさだけではありません。
絵を見てください。本殿と周囲の建物、大小の屋根の重なり方とプロポーションがリズミカルでとても面白いのです。そして屋根に乗る、空を突き上げる千木が画面の絶妙のアクセントになっています。そう、純粋に絵の題材としても一級品です。


信仰心だけでなく、古代人の芸術センスにも見習うものが大いにありそうです。

2007年12月22日土曜日

伊勢神宮


先週に続いて伊勢シリーズです。
伊勢といえばもちろん伊勢神宮。
昔、教科書で見たあの偉容を描こうとしましたが、ご存知の通り本殿に一般人は近づけず絵になりませんでした。


憤慨して参道を歩いていると二本の巨木の間から小さな社が見えました。
本殿のような威容はありません。
でも深い緑に囲まれ、枝葉の間から差し込む淡い光が建物を静かに浮かびあがらせる様には神々しいものがあります。
こんな厳かな光景が、昔の人の素朴な信仰心に訴えかけるのかもしれません。


夢中でスケッチをしていると、制服をきたガードマンがやって来て「この溝から向こうに立ち入ってはいけません。すぐに戻って。」と現実に引き戻されてしまいました。
「立ち入り禁止」と書いてあったわけでもなく、むしろ構図を考えて社から少し離れる位置で描いていたのですが、彼らには関係ないようです。


伊勢神宮はすばらしい。けれど信仰の管理は最低でした。残念!

2007年12月16日日曜日

伊勢 川崎町にて


今日の絵は伊勢 川崎町の町並みです。
ガイドブックによれば、「勢田川の水運を利用し、伊勢神宮の参拝客に物資を供給する街として発展した」とのことです。

前回までに描いた京都のお寺は、言わば中国という教科書をまねて発展したのですが、この絵のような民家は人々の記憶が受け継がれて作られたものだそうです。
京都で見たのが「日本の景色」とすれば、ここで感じるのは「生まれた場所の景色」でしょうか。

僕は子供の頃、田舎の民家で暮らしたことがあります。当時僕が持っていた「民家」のイメージは「薄暗くて、寒いもの」でした。正直言って快適な印象はありません。
でも今、この川崎町を歩いていると懐かしい、暖かなものを感じます。これが人の「記憶」そのものかもしれません。

船着場から街へ路地がつながっています。
突き当たりの鉢植えが色あざやかで、この街の優しさを表しているようでした。

2007年12月9日日曜日

麦わら帽子の少女


建物の絵が続いたので、今日は人物画です。
2002年8月10日。近くの文化センターで描いた一枚です。
この日はとても暑い日で、モデルさんはそれを表現してくれたのでしょうか。涼しげな衣装と麦わら帽子が良く似合っています。

絵を描くということは、その人のイメージをつかむことかもしれません。やわらかで自然なポーズ、女性らしいピンクの服。そしてきりっとした表情。
「やさしいけれど、芯の強い女性なんだろうな」・・・絵を描き終えた僕の「確かな」感想です。

2007年12月2日日曜日

東寺 講堂と金堂


東寺には文化的に見るべき建物がたくさんあります。
せっかく来たので出来るだけたくさんスケッチをしたいと思ったのですが、五重塔、大師堂と描いたところで、かなり陽が落ちてきました。閉門までそれほど時間がありません。


そこで、手っ取り早く講堂(重文)と金堂(国宝)を一度に描くことにしました。手前が講堂、奥が金堂です。
重文と国宝をまとめて描くなんて、「取材」ならば、「いいかげん!」としかられそうですが、スケッチは構図が面白ければ、それで十分です。

ひとつひとつは重厚な屋根も二棟分連なると、そこにダイナミックで華麗なリズムが生まれます。
しかも時刻は夕暮れ。お寺の屋根と参道を夕陽が照らし始めると、ここはまさに日本の風景そのものです。

描き終えると、ちょうど閉門。
一日の終わりを描きとめた充実感を胸に、帰途につきました。

2007年11月25日日曜日

東寺 大師堂


東寺の五重塔はその巨大さに感激しましたが、この大師堂は空海の住居だったこともあって、非常に小ぶりな落ち着いた建物です。当時の僧の生活を推測するのにとても貴重な遺構だそうです。(もちろん国宝)

国宝であっても、スケッチするには僕なりの価値観があります。

一番面白かったのは屋根でしょうか。桧皮葺で親しみやすい材料を使いながらも、複雑な入り組んだ構成で、破風の見え方がかっこよい。
「お寺」の重苦しさのない、気持ちの良い建物でした。

2007年11月18日日曜日

落葉

ここは以前にも描いた、僕のお気に入りの散歩コース石屋川公園です。

秋晴れと呼ぶにはあまりにも暑い日でした。

ひんやりとした木陰が肌に気持ちよく、小川の水音が耳に心地よい、散歩にはもってこいの気候です。

岩に腰をおろし、水面を眺めると、周りの樹はまだまだ緑色なのに、鮮やかな赤色をした、少し気の早い落葉が何枚も浮いています。
まもなく紅葉の季節です。

2007年11月11日日曜日

ふるさとの風景


岐阜は僕の故郷です。
先日同窓会があり、久々に長良川にやってきました。背後の山は金華山。そして山頂にぽつんと見えるのは織田信長が居城にしたあの稲葉山城(岐阜城)です。

岸辺に腰をおろして、眺めていると、ちょうど釣り船で漁師さんたちが、投網を使うところでした。
水音以外なにも聞こえない静かな時間・・・。子供の頃は何も感じなかったこの風景が今はなぜか感動的でさえあります。

城はコンクリートによる再建で、文化財的な価値はなく、長良川も清流とは言い難い。
それでも、やはり「ふるさとの風景」は格別です。

2007年11月4日日曜日

東寺 五重塔

日本の文化を味わう、 本願寺に続く京都シリーズ(?)、今日は東寺です。まずは有名な国宝 五重塔。新幹線から良く見えるので、皆さんご存知でしょう。江戸時代初期の再建ながら国宝です。


日本最大の五重塔と言われるだけあって、その大きさと迫力に圧倒されます。
もう秋とは言え、この日は快晴。しかも時間は正午。太陽を背に逆光に輝く五重塔はひたすら、大きく、シルエットが僕の目に焼きつきました。

大きく見えるのは、塔の逓減率(上層にいくほど小さくなる割合)が小さいのと、装飾が控えめで男性的な表現だからでしょう。

池の水も緑もさわやかな秋晴れの東寺でした。

2007年10月28日日曜日

風見鶏の家















2007.10.14
神戸では北を上(山側)、南を下(海側)と言います。
神戸の「異人館」が、そこらの洋館(?)と違うのは「上」にあって坂道を登ってゆくと異人館の顔がさまざまに変化するからです。
これは有名な「風見鶏の家」ですが、この角度の絵は「通(つう)」で無いと描けません。
実は隣の「北野天満宮」の参道をさらに登り、境内の釣鐘を横ににらみながら描いたものです。
うろこ雲とさわやかな風。眺望も抜群、皆さんも秋の神戸を味わってみてください。

2007年10月20日土曜日

今日のモデルは・・・

今日は絵の雰囲気がちょっと違うのにお気づきでしょうか?
いつもモデル探しに苦労する僕に、「描いて!」というありがたい申し出がありました。
なんと新地(東京で言えば銀座かな)の某クラブの歌姫です。

「描いたら、ブログで全世界に公表するけどいい?」
「いいわよ」


と言うわけで、酔っ払ったペンで華麗な衣装の歌姫のクロッキーとなりました。


数分間おしゃべりを我慢し、モデル苦行に耐えた見返りはそれなりにあったようで、本人もとても気に入ったようです。


店のママもたいそうほめてくれましたが、もちろんお勘定の割引はありませんでした。

2007年10月14日日曜日

西本願寺 唐門

西本願寺の誇る国宝のひとつ、唐門です。
安土桃山時代の遺構で昭和53年からの改修で色彩も当時の状態に復元されたとか。

屋根の曲線は軽快なのに、全体の雰囲気は重厚感があります。
黒漆塗りの壁と黄金の化粧金物、鮮やかな水色が目を引く濃密な彫刻群。
作った人たちのエネルギーに圧倒されました。・・・さすが国宝。

この唐門は、裏道に面しており、出入はなくいつも閉ざされています。そのため、こんなすばらしい建物であるにもかかわらず、訪れる人もほとんどいません。
この静かなたたずまいを大切に保存してくれた、西本願寺に感謝。

2007年10月8日月曜日

京都 西本願寺御影堂門


西本願寺と東本願寺。
ガイドブックによれば、文化財という観点では東本願寺に軍配があがるそうです。
前回描いた西本願寺勅使門と同じように境内から「御影堂門」を見返した姿を描こうとしましたが、仮設の休憩所や案内所があって絵になりません。
それではと言うわけで、堀川通り正面から描こうとしたら、無粋な巨大な鉄骨看板がすぐ脇に門よりも目立つ装いで建っています。
しょうがないので、結局看板の反対側から、この構図を探しだしました。当然鉄骨看板は省略です。
門そのものは、屋根のデザインも、彫刻も立派で文句ありません。ただ美しいものを美しく見せるという姿勢では、どうやら東本願寺に負けたようです。

2007年9月30日日曜日

京都 東本願寺勅使門(ちょくしもん)

















実は今まで、一度も京都のスケッチをしたことがありません。

観光客が多くて騒がしいのと、「国指定重要文化財・・・・」という肩書の響きに反発を感じる心が僕の中にあったからです。

とは言うものの、日本文化の凝縮された姿を観るのはやはり京都が一番と、最近やっと思い始めました。
[遅い!」としかられそうですが、とにかく、僕にとって記念すべき京都スケッチ第一号がこの東本願寺勅使門です。

古く見えますが、実は明治時代の設計で、各所に彫られた彫刻もすべて設計者のデザインだとか・・・。そのディテールに対するこだわりは、尊敬に値します。そして細かな様式論は別として、現代の僕達の目からみてもプロポーションがかっこいいと思いませんか?

これから、暇を見て京都をスケッチしようと思っています。
自分の目で日本の文化のすばらしさを確かめるために。

2007年9月23日日曜日

長崎グラバー邸

1984.4.22
日付を見ると、社会人になって3年目、もうずいぶん前になります。確か生まれて始めての九州でした。

ここは有名な長崎グラバー邸。ミステリーの好きな方なら、内田康夫の「長崎殺人事件」の舞台となっていることもご存知でしょう。

古い建物が好きな僕ですが、瓦屋根とアーチ、多角形の平面形状、木と石の使い方など、和洋折衷で長崎らしい趣が特に、印象に残っています。
本当は幕末当時の生活をじっくりと想像しながら、この家の良さを描きたかったはずなのですが、彩色する時間は無かったようで、手元に残っているのは、サインペンの線描きのスケッチだけです。

え?色がついているって?そう、このブログに載せるため、実は昔の絵にパソコンで色付けをしました。アナログの思い出をデジタル化すること・・・・結構気に入っています。
というのは、描いているうちに、当時一緒に行った人々の顔やあわただしかったスケジュールのことなどがだんだんはっきりしてくるのです。
蘇るのは絵だけではありません。

2007年9月15日土曜日

ホテルのオーナー


アーサー・ヘイリー 原作の「ホテル」を読みました。アメリカ人にとってホテルのオーナーになることは男のロマンそのものなのですね。

1994.10.29。この絵は広島のKikkawa Hotel Flexの一室です。無理を言ってオーナーにヒアリングをお願いしました。

当時ホテルの設計をしていた僕としては、このホテルはとても興味を引かれました。というのは、外観の奇抜さもさることながら、客室のつくりが少し変わっていたからです。

部屋は狭く、観光客には物足りません。デスクは狭く仕事で使うには物足りません。しかも部屋の中に柱型がはみ出していて、レイアウトに制限があります。

でもオーナーは自信たっぷりに話してくれました。
「高級好みの人はリーガロイヤルに行けばよい。私のホテルは雰囲気がよく、趣味の良い、しゃれて、家族的な、こだわりのホテルを目指しているんですよ。
芸術家も喜んで泊まれる、そんなホテルにしたいんです」

確かに客室の床はフローリング・・・住宅の感覚を大切にするためでしょう。テーブルは円形で楽しく、色使いもセンスがよくとても落ち着きます。もちろんこの規模のホテルにしてはレストランは立派で、調度品も凝っていました。

オーナーの言葉を証明するように、レストランでは僕のヒアリングの間中、地元の音楽家によるコンサートが行われていました。
アルベニス作曲 スペイン組曲「伝説」という曲だそうです。当時の僕のスケッチブックのメモに「すばらしい・・・」とコメントがあります。
「オーナー魂」に感銘を受けた一夜でした。

2007年9月8日土曜日

琵琶湖一望

2007.8.17
伊吹山に登りました。

真夏の太陽が湖面に照り注いでいます。乱反射した光は空も湖も街や田畑も包み込み、輝くばかりの、幻想的な風景は、スタジオジブリに出てくる、おとぎの国のようです。

帰り道、木陰の中をを歩いて行くと、聞きなれた蝉ではなく、虫の音が聞こえました。
暑かった夏もやっと終わりを迎えるようです。

2007年9月1日土曜日

石山寺その2

雨が止みました。
境内をまっすぐ登ってゆくと、木陰の間から桧皮葺の落ち着いた、建物が現れます。有名な多宝塔です。
通路の方向といい、建物の見える角度といい、庭の中で完全に作られた構図なのですが、その作為を感じさせません。雨上がりの湿った空気の中でみる姿は、とてもきれいでした。
これぞ日本の美!言葉はいりません。

2007年8月25日土曜日

石山寺その1

2007.8.14

暑い最中、琵琶湖のほとりの石山寺に行ってきました。緑に囲まれたお寺なら、少しは涼しいかと期待して境内を散策していると、突然のにわか雨。あわてて、軒下に駆け込み、雨宿りをしていてこの光景を見つけました。


苔に覆われた巨大な岩と赤い鳥居。さすがに1000年の歴史を誇るお寺には、あちこちに無言の趣があります。雨が止んで涼しい風が吹くかと思いきや、温度は下がらず、湿気が充満・・・・まるでサウナ風呂にいるようでした。


「日本の夏」を描くことは、精神修行にもなるようです。

2007年8月18日土曜日

酒蔵

暑い夏が続いています。
実は(特に社会人になってからというもの)真夏の絵はほとんど描いていないことに気がつきました。
当然です。暑いときはクーラーの元でゆっくり・・・。
でも、「美緑空間」と言うからには、真夏の空間もチャレンジすべきだと思い、今年のお盆休みは出来る限り絵を描きに出かけました。今回から4回ほどその成果を公表したいと思います。



まず、1回目は以前述べた、私のお気に入りの散歩コース、石屋川公園の河口にある酒蔵です。 ご存知のように、神戸は「灘の生一本」で有名ですが、実は震災でほとんど主要な酒造工場は壊れ、今では昔の面影はありません。この酒蔵は生き残った貴重な文化財です。

灼熱の太陽の下で絵を描きながら思ったことが2つあります。

ひとつは、乾いた川の面白さ。石屋川の水は枯れ、雑草が生い茂っています。本来なら涼しげな水辺の風景のはずなのですが、川底の乾いた砂に酒蔵が落とす影は、今まで知らなかった真夏の厳しい一面を教えてくれています。

もうひとつは、懐かしい風景を描くことの難しさでしょうか。
この絵の奥にある高速道路の姿に気がついたと思います。これがなければ、昭和30年代の絵と同じかもしれません。でも昔の姿を描くことは現実にはほとんど不可能で、周りは新しい分譲住宅や工場で埋め尽くされ、この絵はほとんど限られたワンカットなのです。

街の美しさを守り、創る・・・・。その難しさを見たような気がします。

2007年8月11日土曜日

真鶴(まなづる)

1987年真鶴(まなづる)でのスケッチです。

この頃、僕は鎌倉に住んでいました。
仕事で歩き回る時に見る東京や横浜の海はお世辞にも、美しいとは言えません。

でも、さすがに真鶴まで来ると海の色は青く、のんびりとした浜辺の風景に変わります。

旅館で食べた刺身の味も格別でした。

2007年8月4日土曜日

若き日の自画像

先日、NHKの日曜美術館でデューラーを取り上げていました。彼は史上初めて「自画像」を描いた画家だそうです。はるか昔は、画家が許されるのはイエスや天使など宗教上の登場人物だけで、自画像を描くことは、神をも恐れぬ大胆な行いだったのです。


そういうわけで(?)、今日は僕の若き日の自画像です。いつ描いたかわかりませんが、多分20代後半でしょう。珍しくパステルで描いています。
もちろん、デューラーのような挑戦的な意思があったわけではなく、人物画の好きな僕にとって一番手軽なモデルは自分だったというだけのことです。


そんな僕も、最近はさっぱり、自画像を描かなくなりました。老いた自分を何となく認めがたい気分があるからだと思います。
歳をとるということは・・・・・それなりに複雑です。

2007年7月28日土曜日

子供

1986年。(多分年末?)
僕の子供も大きくなり、「友人の子供」
(2007.3.31のブログを参照してください)と同じくら い成長しました。







生まれて1年くらいの子供は本当によく動きます。一分間もじっとしていません。絵に色を塗るなんてとんでもなくて、やっとの思いで、この2枚を描きました。

描いていて思うのは、「子供」はやはり「かわいい」ということです。我が子だからという意味ではなく、手や足のプロポーション、顔の中の目や口の愛らしさなど、生き物すべてに共通するような気がします。



















さてさて、どのようにこの子は育つのでしょうか。

2007年7月22日日曜日

八幡神社

2007年7月16日。まだ梅雨は明けていません。
今日は自宅近くの八幡(やはた)神社にやって来ました。 地元では有名で、僕の厄除けも、当然ここでしてもらっています。

建物は国宝でも、重要文化財でもなく、ただ古いだけの平凡な神社です。
でも門や土塀、うっそうと茂る樹齢何百年になる樹々、水盤の岩にこびり付いた苔などが、この神社の歴史を感じさせてくれます。

こんな「身近にあるありふれた風景」の面白さを、描き続けたいと思っています。

2007年7月15日日曜日

真夏のシドニー

1991年真夏のシドニーです。
そしてこれは、ご存知、「オペラハウス」。「現代建築は描く気がしない」と言った私も、この建物の美しさには圧倒されました。

青い空と緑色の海にぽっかりと白い屋根が浮かぶ姿は、まるでヨットのようです。
優美な曲線がいくつも重なってできる貝殻のような屋根は、真夏の強烈な太陽の光を反射して、まばゆいばかりです。

拙い英語を駆使し(?)、チケット買って、早速中に入りました。
上演していたのは、なんと「サンタのクリスマスコンサート」
オーストラリアのクリスマスは真夏でした。

2007年7月4日水曜日

西表島

就職を間近に控えた、1981年3月初旬、友人と沖縄に出かけました。
社会人になったら自由な時間がなくなるという脅迫観念から、なるべく遠くへ旅行しようと思い、ここ西表島までやってきました。
当時「日本最後の秘境」と呼ばれていたせいか、ハブ対マングースの決闘を見せられたり、「ハブが多いので決して藪に近づいてはいけません」というガイドの忠告を耳にしたりすると、徐々に「秘境」の雰囲気に浸り、それなりに緊張して、歩いた事を覚えています。

この絵は確か、船着場の近くだったと思います。
原生林の合間を流れる川の豪快な水しぶきに魅かれてスケッチをしました。
熱帯雨林特有の、水蒸気が漂う、蒸し暑い空気が今でも忘れられません。

しかし、この絵が僕にとって印象深いのは、西表島の「秘境度」ではありません。
学生時代の終わりを象徴する思い出深いスケッチだからです。
「あり余る時間を好きに使う自由」・・・これが「学生時代」そのものだった気がします。

2007年7月1日日曜日

歳時記


梅雨のすきまを狙って、スケッチに出かけました。場所は神戸森林公園です。

本当は紫陽花が狙いだったのですが、まだほとんど咲いておらず、何を描こうかとうろついていて、この風景に出会いました。
もはや夏の陽射しに、池の睡蓮が涼しげに咲いています。
木陰がとても快適でした。
紫陽花やこの睡蓮など、今の季節、僕らが魅かれるのは「涼しげ」という感覚なのでしょう。
この森林公園のパンフレットによると、今日(6/20)はコブシ、ツツジ、サツキ、ハナミズキ、カキツバタなどいわゆる春の花がすべて散り、6月末の紫陽花の全盛期を待つ狭間になっています。
まさにその通り。自然の時計は正確です!
地球環境の大切さはこんな「歳時記」を守ることかもしれません。

2007年6月23日土曜日

個性を描く

風景画が続いたので、今日は人物画を載せることにしました。

以前にも述べましたが、僕は人物画が非常に好きです。どんな人にも表情や体つき、服装から、にじみ出る個性があって、それが際立っているほど、僕の創作意欲もかきたてられます。
このスケッチは20数年前、会社の美術部で描いたものです。モデルは部員の知り合いを頼んでお願いしました。

彼女はいわゆる子悪魔的な美人で僕の創作意欲を大いに満たしてくれました。
ツンとすました横顔とわざと崩した服装。
生意気な、男っぽい座り方・・・・等等。

間違いなく彼女の「個性」が輝いています。

2007年6月17日日曜日

ビーナスブリッジ 2007



先日、卒業以来、初めて高校同窓会に出席しました。30年ぶりに見る顔、聞く声、伝わる人柄は懐かしさと驚きの連続でした。こんな一瞬(ひととき)が楽しいと感じるのは、僕たちは多分「時を経ること」の面白さを本能的に知っているからだろうと思います。


さて、前回が「ビーナスブリッジ1983」。今回が「ビーナスブリッジ2007」というタイトルでわかるように、今日のテーマは、この24年間の神戸の街の変貌をスケッチすることです。

実は、以前と同じ場所を探したのですが、なかなか見つかりません。やっとの思いで発見すると、そこは、木々が生茂っていて、視界はすっかり閉ざされていました。成長するのは、人間だけでないのですね。

そんなわけで、この絵は1983年に描いた時とほぼ同じ角度で、もっと上から見ています。水平線の高さの違いを感じてください。

でも違うのはもちろんそれだけではありません。震災から復興した街は相変わらずきれいなのですが、この画面では神戸の象徴であるポートタワーよりも目立つ建物が2つ建っています。

左側の細身のビルはホテルオークラ。絵の中央に存在感たっぷりに居座るのは兵庫県警のビルです。ホテルオークラはともかく、県警は暗く、威圧的で神戸の町並みには合いません。正直言うとスケッチから抹消しようと思ったくらいです。せっかく勇んで行ったものの、僕にとっては、すこし残念な結果に終ってしまいました。



つまり「時を経ること」は面白くはあっても、自分にとって愉快なものとは限らないということです。

これはある意味で人生の真実なのですが、あきらめてはいけません。未来の神戸の街はきっと、さらに美しくなっているでしょう。

「ビーナスブリッジ2030」という投稿がそれを証明してくれるはずです。

2007年6月8日金曜日

ビーナスブリッジ 1983



神戸と言えば「夜景」。インターネットで調べると、「ビーナスブリッジから見る夜景が最高!」と書いてあります。

僕の理論によれば、夜景が美しくなるためにははまず地形が重要です。つまり海辺が一番低く、山に向かって急激に、市街地が、高密度に広がること。そうすると夜の明かりに高さの変化が生まれます。そして市街地であれば、ネオンサインなど色に変化が、さらに海に点在する反射光がアクセントとなり、100万ドルの夜景が誕生するというわけです。

この絵はまだインターネットの紹介など無い頃、1983年に描いています。夜景ではありませんが、僕の理論通りに、街が広がっていることがわかっていただけると思います。
この日は晴れ。中央のポートタワーの赤色、青い空と海。再度山の緑。
神戸は実にきれいな街です。皆さんもビーナスブリッジに登ってみてください。

2007年6月3日日曜日

新入社員の頃

就職戦線。
世間では、売り手市場になったとか。新入社員の諸君もやっと職場の雰囲気になれた頃でしょうか・・・?

さて、私の周りにもフレッシュな新人諸君が頑張っています。彼らを見ていると自分のその頃が懐かしく、私が新入社員の頃の絵を探してみました 。
1981年社会人1年目の秋に描いたスケッチがありました。

会社の寮が神戸深江にあったので、日曜日に、散歩しながらこの芦屋浜まで来ました。

特に絶景というわけではありませんが、
埋立地のコンビナートと沖を行く船、浜辺で遊ぶ子供達と夕陽が一日の終わりを告げているようです。

絵を描き終えたことに満足感があるものの、長年の学生気分が抜けきらず、「明日も仕事か・・・」とつぶやいたことを覚えています。

頑張れ!新人!

2007年5月27日日曜日

一子誕生



タイトル「友人の子供」で近い将来の僕を予感したわけですが、その4年後現実となりました。

1985年12月28日。僕の第一子誕生です。

実はこの時のために新しいスケッチブックとパステルを準備していました。
それは僕なりの生まれてくる子への敬意だったのですが、柔らかな寝具に包まれた子供を見ると、そんなことはどうでもよく、やはり圧倒的な生命の不思議に魅かれてスケッチをしていました。

生まれた直後の肖像画。貴重な一枚です。

2007年5月19日土曜日

商船三井ビルディング


今日は、有名な旧居留地「商船神戸三井ビルディング」(設計:渡辺節)をスケッチしました(2007.5.19)

ご覧のように凝った建物で、スケッチするのにはちょっと覚悟がいります。
でも、寸法やプロポーションが実に微妙で、石やタイルなど材料の使い方も自然で気持ちのよい建物です。
描いていて、いつの間にかその魅力に惹き込まれていました。
観光客に人気があるのも、もっともです。

それに比べ、僕たちが設計している「現代建築」は、残念ながら今のところ、文化的価値においてこの三井ビルのような歴史的建築物に勝てないと思っています。

「何故だ・・・」というような難しい議論はさておき、日曜画家達(僕もその一人です)が、現代建築は見向きもせず、この旧居留地や異人館通り ばかりをスケッチしているのがその良い証拠です。

自戒の念をこめて・・・・・設計者は「絵を描きたくなるような建物を設計すべし!」

2007年5月7日月曜日

ビジネスホテル


前回描いたトアロードホテルは神戸の女性向の部屋でしたが、今回は当時(1989年)、最先端のビジネスホテルと言われた東京 「ニューオータニイン」の1035号室です。
一目見てわかるのは、僕の下手な文字のコメントが多いことです。入り口にキータグスイッチがあり、キーの置き場と部屋の照明の自動点灯、消灯をコントロールするしくみなど、当時では斬新な工夫がされています。
ワードローブ内、浴室内の設備、システム冷蔵庫、TV、デスクまわりの機能など、細かな書き込みを見ていただければ、 この部屋に泊まるビジネスマンへの僕の同情心がよくわかってもらえると思います。

「24時間戦えますか」という当時流行った某栄養ドリンクコマーシャルはこんな部屋のためにあったのかも・・・。

2007年5月4日金曜日

赤色



「赤色」とはどんな色と聞かれて、すぐ答えられますか?
「情熱の赤」は心理的に過ぎます。
「真っ赤な夕陽」は比喩としては申し分ありませんが、説得力に欠けます。一番妥当なのは、芸能人のステージ衣装くらいでしょうか。

2007年4月29日。ここは京都長岡天満宮。参道が霧島ツツジで覆われています。一面の赤、赤、赤。
池越しに、スケッチしていても、赤が際立っています。

ここまで鮮やかな赤は花の色以外ありません。
訪れたお嬢さんがこの赤を背景に写真を撮ってもらっていました。さすがにこの花の赤に対抗する気は無かったのか、着ていた服は可憐な白でした。


このお嬢さんなら、先の問いにきっとすぐに答えてくれるに違いありません。

2007年4月21日土曜日

横浜赤レンガ倉庫 昔と今

 
「君の絵は風景や人のときはそうでもないけど、建物を描くときの線は硬いね」という貴重な意見をいただきました。


言われて見ると、特にこのスケッチのように、若い頃描いた建物の絵に顕著のようです。(1982年の秋) たぶん仕事で建物の設計を始めたばかりで、絵にもその気負いが出ていたのでしょうか。

 2002年に商業施設として甦ったこの赤レンガ倉庫は、現在は有名な観光スポットとして、若い人でにぎわっています。しかし僕がスケッチしていた頃は、ごらんのように、倉庫の前には建設資材が山と積まれ、雑草が生茂った、まさに「廃墟」でした。
でもその分、人気(ひとけ)が無く、ボーっと一人で過ごすには快適な場所で、隠れ家に来ているようなひそかな興奮があったのです。

 昨年、家族で久しぶりにここを訪れましたが、あの頃の面影はまったくありません。過去の遺物を珍しがる人でごった返していると言ったらよいのでしょうか。僕「一人」が、パンをかじりながらスケッチした、あの頃の「静けさを独占する楽しみ」はもうありません。

 でもそれは、贅沢というものかもしれません。今は「一人」だけでなく、「家族」とここで食事する楽しみが出来たのだから。
僕の「硬い線」もきっと、だんだん、柔らかくなっていくことでしょう・・・。

2007年4月17日火曜日

春の色

このブログを見た人から色々なご意見をいただいています。
「昔話ばっかりで、新しいのはないの?」というご要望にお応えして、今年の絵(2007/3/31)を載せることにしました。

この日は、暖かく、家にいるのはもったいなくて、久しぶりに絵を描こうと思い、出かけることにしました。
少しけだるい、かすんだ明るさには、農村こそがふさわしいと思ったものの、ここは神戸の街の中。
そんなに都合よく農村があるはずもありません。

ところが、案外手軽に農村と民家が見られる場所があったのです。それは大阪緑地公園の「日本民家集落博物館」。 ここの良いところは、「民家だけ移設しました」というのではなく、周りの環境を含めて全部再現していることです。だから描いていてほとんど違和感がありません。

いくつかあった民家からこれを選んだのは、枯れ草色の茅葺き屋根に芽吹いている黄緑色の雑草がとても鮮やかだったからです。
そして背景には咲き始めた桜の花びらがふんわりと浮かび、このあたりを包む空気全体をのどかな「春色」にしています。

これが今年の僕の「春の色」です。皆さんの「春の色」はどんな色ですか?

2007年4月9日月曜日

神戸港の釣り人



神戸っ子は港が大好きです。
その証拠に地元「神戸新聞」には毎日、明石海峡を通る豪華客船と神戸港に入港する船名が記されています。

そういうわけで、今日は港と船のスケッチです。1983年4月に描きました。

天気もよく海がきらきらと光って眩しい日でした。
釣り人と小さな船の取り合わせが面白くてスケッチをしました。
釣り人は二人連れでした。仲の良いカップルでしょうか。
船はずいぶん、ずんぐりとしたプロポーションでけっしてかっこよくはありません。でもそれが可愛らしく、休日の午後の、のどかなシーンにはとてもふさわしく思えました。

僕も神戸っ子に少し近づいた気がします。

2007年4月4日水曜日

好きな絵は

皆さんは「好きな絵は何?」と聞かれたらなんと答えますか。

僕ならこう答えます。
一番はコローの「真珠の女」。
モナリザと同じポーズの女性が僕を見つめています。その眼差しの魅力。一度実物が見たいと思っています。

2番目はフェルメール「ターバンの少女」。
振り返って見せる、まさに「つぶらな瞳」。数年前に日本に来たのですが、あいにく、見に行く時間が取れませんでした。残念です。

3番目はマネ「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」。
つい先日神戸市博物館で本物を見ました。上品でクラシカルな黒い服の装いとは対照的な、活動的で知的な表情に魅かれ、しばし立ち止まってしまいました。

つまり、簡単に言えば、僕は人物画、それも女性像が好きなのです。
だからこのブログも本来なら、女性像の絵で埋まるはずなのですが、プロの画家でない僕にはそう簡単にモデルが見つかりません。

そこで、数年前(2002年4月)、自宅近くの絵画教室に顔を出し、久しぶりに、この女性像を描く機会を得たというわけです。
長い髪と物静かな雰囲気が印象的なモデルさんで、遠くを見る視線が何かを語りかけているようです。とても素敵な横顔でした。

何故「つぶらな瞳」を描かないのかって?
それが描ける場所には、数年前に定年退職したと思われる歴戦の方々が、すでに陣取っていたからです。

2007年3月31日土曜日

友人の子供

彼らは学生結婚をしました。(夫婦とも僕の友人です)
だから僕が就職するとまもなく子供ができ、「遊びにおいで」の誘いにのって、ものめずらしさ半分で新居を訪問しました。

いました。子供が・・・・。

とにかくよく動く。一秒たりともじっとしていません。当たり前ですが僕が絵を描くまで待っていてはくれません。このとき彼のために、5~6枚クロッキー帳を費やしましたが、まともにおしまいまでかけたのはこれ一枚でした。


親戚の子や近所の子。「かわいい」子もいたけれど、この時のように、小さな生命を間近に、素直に感じたことはありませんでした。とても新鮮な経験で、特にこの子は後頭部がずいぶん大きくて、僕は思わず「森鴎外」みたいだとつぶやきました。

世間でよく言う「初孫はかわいい」というのは、そこにきっと昔の自分を見るからでしょう。
それに倣っていうなら「初めての友人の子供が新鮮」なのは、そこに僕の近い将来の期待と不安を予感させるからでしょうか。

この子は大きくなって、両親と同じように学生結婚をしたそうです。
「初孫はかわいい」という言葉も彼らに先を越されそうです。

2007年3月27日火曜日

花見



花見の季節です。
若いころは、大人の「宴会」のだらけた雰囲気がなじめず、ばかにしていたことを白状します。

でも最近は、同じ「美しい」桜を見ても、一緒に見る人によって、会話が違うということに気づき、花見の面白さにやっと、目覚めたというわけです。
だから、友人と行っても、会社の上司や後輩と行っても、家族と行ってもそれぞれ違う花見を心から楽しんでいます。

さてこの絵は1989年に描いているのですが、なんとなく花見らしくありません。
花は満開なのですが、人がいません。出店も、ちょうちんもなく、あるのは民家と広い空のみです。

この頃、私はあるプロジェクトの設計のため、ここ四国今治に単身赴任していました。
たまの休日に一人で、することも無く、川べりを歩いていてこの風景に出会いました。

桜の咲き具合を語り合う人がいるわけでもなく、宴会を楽しむわけでもありません。ただ暖かい陽射しの中で、目の前に広がるピンク色をスケッチブックに重ねていました。
皆で楽しむ花見も楽しいのですが、一人の花見もよいものです。
絵が出来きてそろそろ帰ろうと思っていた時、お母さんと一緒に散歩に来ていた女の子が僕の絵をのぞき込んで「きれい」とほめてくれました。
「ありがとう」・・・僕の気持ちを理解してくれて。

2007年3月25日日曜日

ホテル




その昔「ホテル」というドラマがありました。石森章太郎の原作です。

そのドラマの人間模様に魅かれて・・・というわけでもないのですが、ホテルの客室はよく見ると結構面白く、僕にとっては、貴重なスケッチの対象です。

このスケッチは1994年11月2日に描いています。「ホテル トアロード」。神戸では女性客に人気のあるホテルです。

ホテルのパンフレットに「イギリス調・・・」のコメントがあるように、インテリアの家具は凝っていてなかなかおしゃれでした。10年以上昔のことでよく覚えていませんが、当時は白木でパステルカラーのホテルがはやっていた中で、濃い木目の、クラシカルなデザインが印象に残っています。

スケッチをよく見てください。ワードローブの中にスリッパが置かれています。ミニバーにはコップ、ポット、ティーバッグ、湯のみ。デスクにはテレビ、ティッシュボックス、ホテル案内、鏡、スタンド。ティーテーブルには灰皿とホテルのマッチが置いてあります。バスルームは浴室と化粧室が別れており、洗面カウンター上にはドライヤー、歯ブラシなどアメニティーセットの入ったカゴがおいてあります。浴室内には床置き用のマット、TEL、石鹸などが置かれています。ベッドはフリルのついたベッドカバーが特徴的です。部屋の窓はこれも珍しい、外に向かって開くタイプの貴族邸宅風(?)の窓。これらはひとつひとつが「ホテルマン」のもてなしの心の表われなのでしょう。

あなたも今度ホテルに泊まったら、人間模様の演出を味わってみたらいかがでしょう。

2007年3月22日木曜日

歴史都市メルボルン

1991年オーストラリア、メルボルンでのスケッチです。大学を卒業、就職して10年経ち、休暇を取ってオーストラリアに旅行しました。
僕の大学の専攻は建築史で、ゴシック建築はゼミなどで知識としては何度もお目にかかっていましたが、実物を見るのはこれが始めて。日本文化には無い堂々とした姿に魅かれて、思わずスケッチを始めていました。家内と娘をほったらかしにして気がつくと2時間が経過していました。
オーストラリアで観光都市としてはシドニーのほうが有名ですが、僕は歴史都市としてのメルボルンのほうが感銘を受けました。

2007年3月20日火曜日

歴史の街 近江八幡



2005年秋、近江八幡のスケッチです。
前の晩、一泊旅行で大学の建築学科の同窓会があり、仲間と別れた後、スケッチをするために、ここへ直行しました。
有名な観光地ですが、僕にとっては池波正太郎の小説(剣客商売)のTVロケ地であることのほうが重要です。
僕が彼の作品を好きなのは、とにかく人を描くその眼差しが暖かいことです。江戸の人々の日常がこの近江八幡の風景に見事に重なり、スケッチをしていてとても幸せな気分になりました。
そして翌日の新聞を見ると、この「近江八幡の水郷」が国指定の「重要文化的景観」第一号に選定された記事が載っていました。僕の文化を見る目の確かさが証明されというわけです。

2007年3月18日日曜日

山の辺の道の地蔵さん

 第 2回目です。今回はさらに昔に遡ります。
このスケッチは僕が大学を卒業して間もないころ、1983年のゴールデンウイークに描いています。場所は奈良の山野辺の道です。天気は曇りがちだったのですが、あたりは一面の田んぼで、草木の新緑があざやかだったことを覚えています。
たぶんガイドブックにある有名な寺も見に行ったと思いますが、印象に残っているのはこの地蔵さんです。6体あるのですが、どれも個性があって、窮屈そうに小屋の中に並んでいる姿がなんともユーモラスでした。
よく考えると、上屋だけ、あるいは、地蔵さんだけだったら、面白くありません。きっと描いていなかったでしょう。
建物と人(地蔵さん)がセットになって、懐かしい、暖かい感情を呼び起こしてくれたのだと思います。

2007年3月17日土曜日

石屋川と御影公会堂

このブログは僕がいままで描きためたスケッチをもとに、人と建物について想いを語るものです。
時系列に並べるつもりはなく、昔と今を往ったり来たりして楽しめればよいと思っています。

最初のスケッチは神戸の石屋川と御影公会堂です。1996年9月(阪神大震災の翌年)に描いています。場所は自宅の近くで、僕のお気に入りの散歩コースです。

古めかしい、壁やスチールサッシがあちこち痛んだ御影公会堂と静かで落ち着いた石屋川の取り合わせは何とも美緑的(魅力的)ではありませんか。このブログのタイトルの意味のひとつはここにあります。

もうひとつの意味は・・・・・いずれ語りたいと思います。