2009年12月27日日曜日

聖ヨハネ教会堂

聖アグネス教会と同じく、この聖ヨハネ教会も明治時代に建てられたものです。

現在は明治村にあり、ユニークな「木造ゴシック」様式が面白くてスケッチをしました。
木陰から覘く二つの尖塔が絵になります。
いわれを探ると元は京都河原町にあり、解体直前に保存が決まって、この明治村に移築されたとのこと。
皆さんすでにお気づきでしょう、そう、この幸運な建物の設計者はなんと、アグネス教会と同じ「ガーディナー」でした。

意外な発見・・・「スケッチ」にはこんな楽しみ方もあるのです。

2009年12月20日日曜日

聖アグネス教会

京都御所のすぐ西側にこの教会はあります。
明治31年竣工、設計者はアメリカ人宣教師J.Mガーディナー、今では貴重な純粋な煉瓦造りの建物です。
教会というとどうしても「荘厳な」とか「重厚な」イメージを思い浮かべてしまいますが、この教会は小ぶりで、親しみが湧きます。
絵を描いている最中に信者と思われる方が何人も出入りしていました。礼拝があったのかもしれません。
本当はその人たちについて行きたかったのですが、残念ながらこの日は時間切れ。
次は是非とも、ステンドグラスの光の下、内の雰囲気を味わいたいものです。

2009年12月13日日曜日

青衣の婦人

二回連続人物画を載せたのは理由があります。
そうです。寒くなってきてだんだん屋外でのスケッチがつらくなってきたからです。

そんな理由はともかく、今回も魅力的な女性です。
ただし前回の可憐な少女と打って変わってちょっと大人の雰囲気です。
表情は怜悧で理知的。手足は伸びやかに、服の色はシャープなブルー・・・。
「絵になる」ためには、やはりそれなりの訳があるのです。

2009年12月6日日曜日

黄色の帽子

伏目がちな表情、膝の上に重ねた両手。
本当はポーズとしては手足に伸びが無く、つまらない絵になりがちなのですが、この少女の可憐な表情に惹かれて一気に仕上げました。
暖かく、静かで、心が和むような・・・・黄色の帽子が良く似合います。

2009年11月29日日曜日

旧居留地15番館

先週に引き続き旧居留地を歩きましょう。
38番館から少し南東の交差点にこの「15番館」があります。
周りはの建物はすべて石やタイル、コンクリートで出来ていますが、この建物だけが木造の異人館風の佇まいで、少し違和感があります。
実は38番館など周辺の石造りの建物は古そうに見えますが皆、大正末期から昭和初期に建造されたもので、けっして居留地時代のものではなく、この15番館が唯一当時の生き証人なのです。
その機能は住宅ではなくアメリカ領事館・・・洋装の紳士淑女が出入りする映画のようなシーンが展開されたに違いありません。
ちなみに現在はウェディングも行う人気のレストラン。
やはり紳士淑女でにぎわっています。こんな形で建物が残ってゆくのも悪くない・・・・。

2009年11月22日日曜日

三都物語

少し前、「三都物語」なるJRのポスターをよく目にしました。
田舎の田園風景よりも都(みやこ)の面白さを味わおうというものらしい。
JRの狙いが当たったかどうか知りません。が、言われてみれば、このブログでここ数回取り上げたのはすべてそれらしき都ばかり。
大阪~奈良~京都と歩き、今回はまた神戸。
都市にふさわしいモチーフがあり、雰囲気があります。しかも神戸も京都も奈良も大阪からいずれも電車で30分程度で行けます。
全然性格の違う都市がこんなに密集している土地は日本広しと言えど、他にはありません。「住むなら関西に限る」と言った人の気持ちが良くわかります。

そんな訳で今日は「旧居留地38番館」。設計者は以前にも触れたあのヴォーリズです。珍しくギリシャ神殿風のデザインです。昔はナショナルシティ・オブ・ニューヨーク神戸支店、そして現在は大丸神戸店の別館として使われています。
よその大丸には無い神戸らしい雰囲気が旅行客に人気のようです。覗いてみると、この日も大賑わい・・・「三都物語」のキャンペーンはきっと大成功だったに違いありません。

2009年11月15日日曜日

平野神社

北野天満宮の帰り、すぐ近くの平野神社に寄りました。
実は、規模も小さく、本殿は奥に隠れてきっと見えないだろうし、たぶん絵にはならないだろう・・・と半分あきらめつつ、足を運んだのです。
ところが正面に立ってびっくり。
塀に遮られているので、建物の下半分はどうなっているかわかりません。でも面白いのはその上。
中央の門に対して左右対称に2棟づつセットになった4つの破風が並んでいます。
そして神社建築のシンボルでもあるいくつもの「千木」が鎮守の森を背景に、空に向かってリズミカルに交差する様が、独特の面白さを生み出しています。

家に帰って早速調べてみました。
伝統的な妻入の本殿に庇をつけたものが「春日造」、そしてこの平野神社のように、2棟ずつ4殿を連結したものを「比翼春日造」と呼ぶそうです。
神社と寺院のデザインが混ざり合っていく過程で誕生したとても珍しい形式だそうです。
実に勉強になりますね。
この歳になってもまだまだ学ぶことは多いようです。

2009年11月8日日曜日

北野天満宮

神社と言えば「神々しさ」がその身上。
普通の人が本殿に近づくことは許されません。伊勢神宮しかり。出雲大社しかり。
しかし同じ神社でも全国に1万以上あると言われる、「天満宮」はすこし趣を異にします。
祀ってあるのは神ではなく「人」である菅原道真公。
そのせいか、建物も「荘厳」「厳粛」というよりむしろ「品の良さ」「立派さ」を感じてしまいます。

この絵は京都の北野天満宮。
文献に依れば、本殿と拝殿を石の間でつなぐ「八棟造り」という形式の神社で、特徴的なのはその屋根です。
きれいな桧皮葺で、素材感は優しいのに、構成はダイナミックで、複雑に重なる屋根の造形は実にバランスがよく、まさに芸術的です。
そして柱、梁、屋根周りの金細工は密度が高く、どれも超一流の工芸品。

ありがたいのは、巷の「神々しい」神社と違って、この国宝のすばらしさをすぐそばまで近づいて観ることができることです。
さすが学問の神様!・・・探求心旺盛な者に優しいようです。

2009年11月1日日曜日

興福寺五重塔

秋空の奈良。
興福寺五重塔を描きに来きました。
観光用の絵葉書では、猿沢池から塔の上層部を見た構図が有名で僕も確か大学生のときにスケッチした覚えがあります。
しかし、今回の狙いは真近の全景です。というのも、僕が立っているこの場所に間もなく別の建物が復元される計画があり、このアングル、この全貌を見られるのはこれが最後かもしれないからです。

微妙な曲線、華麗な屋根が5層重なる様は美しく、しかも迫力があります。
向こうから外人の観光客が来ました。
塔を見上げ、彼らはいっせいに「OH・・・・!」
英語の苦手な僕にも彼らの感動は十二分に伝わりました。

2009年10月25日日曜日

中之島図書館

「中之島をパリのシテ島と比べる・・・」

水都大阪2009の紹介コメントに確かそんな記述があった気がします。
僕は残念ながら本家の水都には行ったことがないのですが、公会堂とこの図書館は川の両岸から見られるロケーションにあることは間違いなく、担当した建築家はきっと街のシンボルとしてデザインに相当気を使ったに違いありません。

公会堂の設計者は日本の建築家の草分けである辰野金吾。そしてこの図書館は彼の東大の教え子である野口孫市。つまり師弟でこの中之島の街つくりにかかわったことになります。
図書館のデザインについて、資料には「ルネッサンス様式、新古典主義、パラディオニズム・・・などなど」とあります。大胆に略すと、ギリシャ、ローマ時代のデザインモチーフをダイナミックに応用した建築とでも言うのでしょうか。
いずれにしても、デザイン密度は周辺の近代建築の追随を許しません。言わば、中之島は当時の売れっ子建築家が腕を競って作り上げた街だったのです。

最近皆、やっとその価値に気づき始めたようです。街のあちこちで保存や改修工事が進んでいます。
しかし、ただ単に昔の遺産を残せば良いというものではありません。大切なのは私達がこの「文化を見守る視線」を持ち続けることなのです。
そうすれば、いつか「シテ島を日本の中之島と比べる」という記事をパリジェンヌが読む日が来るのかもしれません。

2009年10月18日日曜日

北浜レトロビル

「水都大阪2009」というイベントをご存知ですか?
大阪の元気を取り戻そうというのが狙いでしょうか、色々な催し物が企画され、市民の注目度も高かったような気がします。

もちろんこの街の建築文化を見直す試みもなされました。この「北浜レトロビル」も、そのうちのひとつです。
ご覧のように2階建ての小さな建物で高層ビルに挟まれ、いかにも窮屈そうです。
都市化の波に呑み込まれず、よくも取り壊されずに今日まで生き残ってきたとビルのオーナーを尊敬してしまいます。

設計者も、施工会社の名前も記録が残っていません。しかし入口や窓周りの見事な石の装飾、凝った屋根飾り、落ち着いた本物の煉瓦の外壁はこの建物が大正時代の文化の証(あかし)であることを示しています。
そしてこんな小さな建物でさえ、ここまでデザインしていたということは、実はこの時代は現代よりもはるかに豊かな文化を育んでいたのではないかと思いたくなります。

今のこのビルは紅茶専門店。そして窓の向こうには大川が流れています。
スケッチの後、入り口から内を覗くと「水都」で紅茶を味わおうという人でビルは超満員でした。 ・・・大阪の文化は健在です。

2009年10月11日日曜日

大徳寺 高桐院

大徳寺の塔頭はほとんどが非公開。この日も「真珠庵」「狐蓬庵」「方丈庭園」など有名な建物は見ることが出来ませんでした。仕方なく、偶然開いていた「高桐院」へ。
しかし門をくぐってびっくり。うっそうと生い茂る木立の中、苔むした石畳としっくい塀が、奥へと続いています。ひんやりと湿った空気は、木の葉の涼しげな緑色に塗りこめられて、まさに「静寂」そのもの・・・。
玄関の屋根上に繁る草木だけが、やけに鮮やかで、訪れる人を出迎えてくれているようです。

この魅力的なアプローチ空間に惹かれ、改めて建物のいわれを調べてみると、「1601年細川忠興により建立された」とあります。歴史好きの人ならガラシャ夫人の悲劇を思い起こすにちがいありません。
墓地に並んだ「忠興とガラシャの墓」に納得すると同時に、偶然立ち寄った塔頭にさえ、こんな豊かな空間と歴史のロマンが潜んでいることに感動を覚えてしまいます。
京都の文化と歴史の奥深さは、こんなさりげない佇まいにあるのかもしれません。

2009年10月4日日曜日

大徳寺法堂(はっとう)

涼しくなりかけてはまた暑くなり、9月も終わりだというのに、真夏に戻ったような日でした。
今日のお目当ては大徳寺。境内はとても広く、居並ぶ建物はどれも非常に趣があります。
これらは禅宗様という建築様式で、簡単に言うと、男らしく、かつ洗練されてかっこいい・・・というものです。
えっ、雑すぎる?素人でもよくわかる特徴は以下の通り。今度行ったら、確認してみてください。
屋根の勾配がきつく、そそり立つイメージ。
屋根を支える組物が柱と柱の間にもあるので軒下の木組みのボリュームが大きくて複雑。
軒の垂木が扇垂木といって放射線状に配置されているので、軒のコーナー部が強調されるなどなど・・・。
ちょうど木と木の間に屋根のラインが納まるベストショットを発見。さっそくスケッチブックを広げました。
しかし、狙ったアングルはいすに座ることを許さず、午後の暑さとまだまだ十分にしつこい薮蚊の襲来が僕の体力を奪います。
30分経って、なんとか完成。
腕は蚊に刺されて腫れ、手首も腰もしびれたようなダメージが・・・京都の「残暑」を体で知ることになりました。「日本の四季」は奥が深い!

2009年9月27日日曜日

二条城 本丸御殿

突然の雨。
二の丸御殿を描こうと庭を散策していましたが、あわてて近くの門へ雨宿りしました。
ふと見ると、ここから本丸御殿の一部が覗けます。
雨が降って水分を吸ったせいでしょうか、少し湿った石垣のきれいな肌合いと赤味を帯びた建物の木肌がよくなじんでいます。
風景を光と影で色分けしてしまう夏の陽射しに慣れすぎたのかもしれません。僕の眼にこのしっとりとした光景はとても心地よいものに映ります。
そう、季節は確かに、少しづつ変わっているのです。

2009年9月20日日曜日

二条城 唐門

夏の終わりに二条城を訪れました。小学生のころ、修学旅行で来て以来です。
記憶に残っているのは「うぐいすばり」の廊下のみ。あとはきれいさっぱり忘れてしまいました。
さすがにこの年になると、この建物が江戸時代の将軍の住まいであったこと、家光が訪れてから幕末までなんと200年以上将軍が入城することはなかったことなどを知ると、少し違った目でこの建物を見るようになります。
まず入り口の唐門の前でその豪華さに見とれてしまいます。巨大な柱と優美な屋根、軒下の金や銅、木彫細工の見事なこと!
・・・どうやら「行ったことがある」という修学旅行の確信は全部洗いなおす必要がありそうです。
このブログにまた新しいテーマができてしまいました。

2009年9月13日日曜日

御影公会堂と火垂るの墓

毎年、終戦記念日のころになると野坂昭如原作「火垂るの墓」がTVで公開されます。
空襲で両親を失った幼い兄妹が二人だけで生きてゆこうとするストーリーで、結末は言うまでも無く悲しいものです。
そして実はそのドラマの舞台がここ石屋川で、まさにこの絵を描いている僕の足元にその記念碑があります。

この日は8月12日。いつもの様に散歩に出かけました。
見慣れたはずの「御影公会堂」もこの映画の痛ましい記憶と重ねると、その存在感が際立ちます。二人の心に映った公会堂はどんな風景だったのだろうかと・・・・。

2009年9月6日日曜日

鹿児島市中央公民館

この一風変わった建物の設計者は片岡安。
設計者を調べると色々面白いことがわかってきます。このブログにやはり何度も登場する辰野金吾が関西で開設した設計事務所が「辰野片岡建築事務所」。つまり彼は辰野金吾の弟子だったのです。
そして 実は以前「水都大阪」の項で取り上げた中之島の中央公会堂の設計者がその「辰野片岡建築事務所」でした。しかし中之島の公会堂とこの鹿児島の公民館では随分デザインのイメージが違っていて、何故?という素朴な疑問が湧いて来ます。


中之島公会堂の竣工が大正7年、この建物の竣工が昭和2年です。この9年の間にきっと彼は独立したのでしょう。そしてもはや親分に頼らない、自分だけのデザインを工夫したに違いありません。まさに「独立」の気負いがこの公民館に現れている気がします。
当然、「煉瓦と石のストライプ」に代表される「辰野調」のモチーフは姿を消します。そして建物の頂部や正面の窓周りに独自の装飾を施す一方、全体としてはシンプルな壁面に恣意的な窓を設ける独創的で斬新な意匠を生み出したのです。

建物が古ければ古いほど、こんなデザインの謎解きも面白くなります。
推理の結末が正しいかどうかは別として、「何故?」を問う「建築ミステリー」の魅力をあなたも味わってください。

2009年8月30日日曜日

旧鹿児島県庁本館


3月に鹿児島に旅行した時、桜島ばかりを描いていたわけではありません。
当然、有名な建物をいくつか図書館で事前に調べ、勇んでスケッチをしています。そのうちのひとつがこの「鹿児島県庁本館」。

しかし現地に着くと、どうも手元資料と外観イメージが違います。なにより県庁というのは、機能上、もっと大きいはず・・・そう、実は元の建物は1996年に解体され、玄関部分のみここに移築されたのです。従って現在は「旧」鹿児島県庁本館と呼ばれています。

大正14年の竣工で設計者はすでに何度も登場した會禰達蔵。鹿児島まで仕事の手を広げているのを見ると当時の彼の影響力の大きさが伺われます。

大部分が解体されてしまったとは言え、今に残るこの「旧」庁舎を見る限り、濃密なデザインと白一色の存在感は、周りの現代的な建物に比べ、群を抜いています。玄関だけでなく、もっと本格的に保存して欲しかったと思うのは私だけではないでしょう・・・・残念でなりません。

2009年8月23日日曜日

神戸の夏


まだまだ暑い夏。早朝の神戸を散歩しました。
今日はいつもの石屋川でなく、ずっと西の都賀川沿いを海辺へ向かいます。
このあたりは、湾岸の高速道路が上空を横切り、お世辞にも風光明媚な場所とは言えません。それでも潮の香りに誘われて海辺へ出ると、意外な光景が現れました。

神戸製鋼の原料を運んできたタンカーでしょうか?巨大な鉄の塊が岸壁に浮かんでいます。船に取り付くコンベアやクレーンが縦横無尽に空中を走り回り、朝日が輝く空を豪快に切り取っています。面白い!と散歩を中断し、早速スケッチ開始。

昨年ならきっと暑さを理由にパスしたところですが、今日はまったく苦にならず・・・。
そう、上海で経験した40度は伊達じゃない!。

2009年8月16日日曜日

上海その3


残りはあと20分!
あせる気持ちを押さえ「 せっかく上海に来たのだから、中国の古い建物を・・・」と、ここ「上海古代民族娯楽村」にきました。幸か不幸か、工事中で中には入れず題材を悩む余裕はまったく無く、残り時間であわただしく門だけスケッチしました。(色付けは帰ってきてからのCGです)

特徴はその屋根。
以前「大陸風の屋根は反りがきつく、和風の屋根は優しい」と大雑把なコメントをしましたが、本家大陸風の屋根を見てびっくり。これでもかと言わんばかりに空に向けて反り返っています。「反り返る」のが威厳の象徴なのでしょうか?人間と同じですね。
そう言えば、中国4000年の歴史とは「威厳」を守ることだったのかも・・・一人納得して帰国の途につきました。

2009年8月9日日曜日

上海その2

帰りの飛行機の時間が迫るなか、あわただしく早朝の上海を歩きました。
目指すは、ビジネス街の裏側、昔ながらの路地と町並みです。

思ったとおり、上海らしい光景にぶつかりました。たぶんこれから仕事に出かけるのでしょう。若者達が中華饅頭のモーニングセットを立ったまま食べています。一方で早くも30度になろうという路上の木陰では、ランニングシャツ一枚で、おじさんたちがテーブルを囲んで陽気におしゃべりを始めました。

街はけっしてきれいとは言いがたく、はでな看板、ひしめく小さな店、喧騒などなど・・・・。
そしてそんな路地を照らすのは輝く太陽と広い空・・・この対比がこの街をさらに魅力的にしています。

2009年8月2日日曜日

上海

生まれて始めての中国、上海。
こんな街があるなんて・・・そう、文化大激震(?)つまり「カルチャーショック」なるものを始めて体験しました。
広い大地、どこまでも続くビル街、高密度な街、エネルギッシュな人、人、人・・・・。
国の意思、世界の資本、あふれる人の熱気、この3つが集中投下されると、こんなにも効率的に街が生産されてゆくのだということを思い知りました。

この絵はホテルの窓から眺めた、早朝の上海。河でも路地でも人々はもう動き出しています。灼熱の太陽が川に反射し、霞んだ空気をじりじりとあぶり始めました。
この日の気温は40℃。・・・・上海の夏は熱い。

2009年7月26日日曜日

鶴林寺その2

「日本建築史」の教科書を紐解くと、以下のような記述があります。

寺院建築には日本独特の優美な「和様」、大陸的で豪快な「大仏様」、同じく大陸的ではあるけれどちょっと繊細で女性的な「禅宗様」という3つの流れがあり、それらを混ぜ合わせたものを「折衷様」と呼ぶ

そしてこの本堂(1937年建立)は「折衷様」の代表的な建物とされており、「国宝」たる所以もここにあります。
しかし細かな理屈はさておき、屋根は中国の寺院ほど反り返っておらず、かといって屋根の勾配はきつく、そびえ立つイメージは「優美な」日本の寺とも少し違うような・・・・僕にとっての「折衷様」はこれで十分・・・とにかく「格好いい」建物でした。

2009年7月19日日曜日

鶴林寺

明石と姫路の間に加古川という町があります。
観光都市としてはあまり有名ではありませんが、この「鶴林寺」は別格。
聖徳太子が建てたといわれるだけあり、国宝や重要文化財がずらりと並んでいます。
手前の鐘楼は1407年、その後ろの太子堂はなんと1112年の建立。よくもまあ、こんな田舎にこんな由緒ある建物が残っていたものだと、感心してしまいます。

この日、法話があったようで、金堂にはおじいちゃん、おばあちゃんが大勢押しかけていました。境内では学校の宿題でしょうか、何人もの学生が僕と同じようにスケッチをしていました。よく見ると、みんな気楽な装いで、どうも近所の人達のようです。このお寺が、遠来の観光客を当てにせず文化財を守ってこられた秘密は、こんな気取らないお寺のコミュニケーションにあるのかもしれません。

2009年7月12日日曜日

生意気な娘

久々に人物画です。
このモデルさんは、その服装でわかるとおり、如何にも現代的で、伝統的な女性美を求める僕にとって、最初は、いささか物足りませんでした。

ところがポーズをとり、視線をきりっと定めると、なにやら不思議な魅力が現れるのです。

特に凝ったポーズでもなし、人物画で重要な指先は後ろに隠れたまま・・・この雰囲気はそう、「生意気な娘」そのもの。
僕にとって新たな美意識の発見です。

2009年7月5日日曜日

琵琶湖疏水

三井寺から駅に向かう途中で面白い風景を見つけました。
豊かな樹木が川の両岸を覆い、如何にも涼しげです。
枝葉の下を覗き込むようにして、水の流れを追うと、古そうな石造りのアーチの中に吸い込まれていきます。

立て札を読むと、これが有名な「琵琶湖疏水」・・・でした。
川沿いの木はみな、桜。そして梢の間から透けて見えるのは三井寺の屋根・・・

4月が待ち遠しい!

2009年6月28日日曜日

三井寺

滋賀県大津市の三井寺に来ました。ここに来るのは2回目です。
以前は不勉強のせいで山の上から琵琶湖を眺めただけ。
この日は事前に予習をし、書院造りの代表である光浄院客殿と勧学院客殿を見るつもりでした。・・・しかし訪れてみると、一般公開はしていないとのこと・・・がっかりです。
徒労感にめげず、次に目指したのがこの金堂です。
パンフレットによれば、桃山時代を代表するを名建築とのこと。さっそくスケッチしました。
ふつう、茅葺の屋根は急勾配でずんぐりしたプロポーションのものが多いのですが、これはシャープに軽やかに反り返っていて、ある意味現代的で面白いバランスをしています。
周りの観光客も僕と同じ事を感じたに違いありません。下から見上げたり、横から撮ってみたり、いわゆる「記念撮影」でなく、向けるカメラに屋根を意識した工夫がありそうです。

最近読んだ、五木寛之著「百寺巡礼」の中に「昨今のお寺人気は現代建築のデザインが物足りないからである」という一節がありましたが、まさにその通り。
「かっこいい!」と思うものは時代を超えて受け継がれてゆく気がします。

2009年6月21日日曜日

みなと元町駅

この建物は旧第一銀行神戸支店。
明治41年竣工で設計者はこのブログに度々登場する「辰野金吾」です。
阪神大震災で壊れてしまったのですが、移築され地下鉄の駅として再利用されています。

実は、この建物を実際に見るのは今日が初めて。
地下鉄を降り、いつあの重厚なディテールが現れるのかと期待して階段を昇りました。
でも地上にあったのは、華麗な装飾ではなく、コンクリートがむき出しの壁とそのパネルをつなぐ金具だけ。

そう、この建物は内部がなく、外観だけの看板建築になってしまっていたのです。
いかに保存のためとは言え、生皮を剥いで見せるような、不快感・・・憤りを感じつつも、この日の暑さをものともせず、結局、連続する窓のアーチを最後まで描き終えました。
たぶん、「それでも壊れて無くなるよりはいい」と思い込んだ・・・かもしれません。

2009年6月14日日曜日

保津川

大河内山荘の北側に美しい川が流れています。
これが有名な保津川で、山裾からちょうど、清流下りの船がやってきました。
山の中腹には形の良いお堂の屋根があり、渓流の崖の上にはこれまた有名なトロッコ列車の線路が走っています。

自然と人工物の見事なマッチング!・・・こちらも間違いなく、世界遺産級です。

2009年6月7日日曜日

大河内山荘

京都嵐山にやってきました。 目的は世界遺産「天龍寺庭園」です。
いかし残念ながらこの日のスケッチはボツ・・・と言うのは眺める場所とコースが指定されているためか、何となく見るものすべてが作られすぎている気がして、これぞという面白い構図が発見できなかったからです。
「きれいすぎると絵にならない」・・・誰かが言ったこの言葉、真実です。
そこで、今度は和風現代建築である「大河内山荘」へ。ガイドブックによれば「無声映画時代の名優・大河内伝次郎が私財を投じて作った山荘」だとか。
こちらの庭園は、個人の普請道楽。堅苦しい形式に縛られること無く、好きなことをやっています。
この「大乗閣」も屋根のデザインが独特で面白く、しかも背景は新緑の嵐山という贅沢さ・・・今度は迷うことなくスケッチ張を開き、描き始めました。

ちなみにここの入場料は1,000円。
少し高い気もしますが、絵を描いた後の抹茶のおいしさも含まれていると考えれば、お得かも・・・。

2009年5月31日日曜日

神戸でもっとも古い近代建築

前々回、神戸ハーバーランドの歴史的な建物の話をしました。今回の「旧三菱銀行神戸支店」は同じJR神戸駅から東へ5分ほど歩いたオフィス街にあり、現在は子供服で有名なファミリアが使用しています。
設計者は以前に紹介した「神戸郵船ビル」の設計者と同じ曾禰達蔵 。アーチや柱の凝ったデザインは同じ作者であることを感じさせます。この建物が出来たのは明治33年。あの兵庫県公館が明治35年ですから、これが神戸で最も古い近代建築と言うことになります。

周りは現代的な高層建築ばかり。ビルの谷間にあって、狭いはずの空にここだけぽっかりと青空が広がります。そしてふりそそぐ直射日光が作り出す様々な装飾の陰影がこの建物が刻んだ時間をいっそう強調してくれます。109年の歴史・・・ここまで生き抜いた建物はそれだけで十分、今の時代でも「エコ」と言えるのではないでしょうか?

2009年5月24日日曜日

望闕楼(ぼうけつろう)

今年は桜の絵を一枚も描きませんでした。
というのは4月のこの日、「田渕俊夫展」の智積院襖絵「春」を見てしまったからです。
白と黒しかない水墨画で「桜」を描きる技と感性には完全に脱帽です。もはやため息しか出ませんでした。
帰りの鴨川沿いの桜は満開でしたが、プロの技を見た後では、桜を描く勇気が出ず、歩いて建仁寺まで来てしまいました。
このお寺には桜はほとんどありません。その代わり美しい苔と松、そしてこの望闕楼(ぼうけつろう)が見事です。
春の魅力は桜だけではない・・・悔しまぎれに描いたスケッチです。

2009年5月17日日曜日

5月の神戸港

ここ数回、春の風景ばかり描いていましたが、気がつくと季節はもう初夏。
さわやかな潮風を求めて神戸港に来ました。

ここはJR神戸駅から南へ10分ほど歩いた「神戸ハーバーランド」。
最近、大規模な開発が進み遊園地やショッピングセンターが立ち並ぶ一大行楽地です。

街の喧騒は、都会である神戸には必須のもの。でも僕のお勧めは、港の先にある煉瓦倉庫やこの「神戸港信号所」などの歴史的な建造物群です。
この日はやや曇りがちとは言え、広い空と青い海をバックに古びた信号塔と現代的なポートアイランド大橋が並ぶ様はいかにも神戸らしい風景です。

そして何より、爽快な潮風・・・残念ながら絵では表現できません。あなたもぜひ5月の神戸港を訪れてみてください。

2009年5月10日日曜日

浄瑠璃寺

古建築を見るのに奈良ほど魅力的な街はありません。にもかかわらず、このブログでほとんど取り上げたことがないのは、僕が住む神戸から奈良へは交通機関のつながりが悪く、非常に行きにくいからです。
ところが今春、神戸と奈良を結ぶ直通電車が開通しました。さっそくそれを利用し、久しぶりに奈良を訪れました。奈良市内を散策した後、バスで浄瑠璃寺へ。

実はこの寺へは学生時代来たことがあります。山門前の店で食べたとろろそばがおいしかった記憶があります。
しかし、あれから30年以上経っています。
きっとすっかり変わっているだろうと思いきや、蕎麦屋も山門へのあぜ道も、静かな池もお堂も昔のまま・・・。
もちろん確かな記憶があるわけではなく、断片的なイメージが自分の中で繋がっただけなのでしょうが、午後遅い時間のオレンジ色の光が寺院全体を覆っている風景を見ていると、時間が止まっているような、不思議な感覚にとらわれてしまいます。

悠々の時を描く・・・これが奈良を描く秘訣かもしれません。

2009年5月3日日曜日

またまた桜島


しつこい!としかられそうですが、桜島の魅力はまだ描き足りません。それならばと言うわけで、今度は海辺から桜島だけを見つめました。
仙厳院では午前中の逆光のためか、その異様な形と大きさに圧倒されたのですが、午後の光の下でじっくり観察すると、この山の複雑な表情に驚かされます。
金華山と長良川に囲まれる岐阜で育った僕にとって、山と言えば、一面、緑に覆われているという固定観念があるのですが、桜島のような活火山はまったく違います。
山裾こそ林の緑をまとっていますが、山頂に行くにつれ荒々しい岩肌を露出するようになります。しかもその変わり行く様が海面から直接立ち上がって見えるのは、海を知らずに育った僕には実に新鮮です。

どんなにマスメディアが発達して、色々な風景をTVや雑誌で見たとしても、それはやはり知識でしかありません。その場所の感動は実際にそこに立ち、自分の生まれ育った故郷の原風景と重ね合わせることによって初めて意識できるのではないか・・・・そんなことを考えさせられた有意義な旅でした。

2009年4月26日日曜日

仙厳院と桜島

桜島という魅力的なテーマに創作意欲を刺激され、園内を歩き回って見つけたベストショットがこのシーンです。
モノトーンの瓦屋根。輝く海。そして青白く浮かびあがる桜島。
空を切り取るような大胆な島の輪郭は水平に広がる小さな屋根のリズムを包み込むようです。
まさに薩摩の歴史と自然が見事に調和した造形です。

2009年4月19日日曜日

仙厳院 武家の門

仙厳院に薩摩家の正門が残されています。
鬼瓦にあの十文字の紋章が入っていて、由緒正しき造りであることを教えてくれます。
本来なら門の全体をきちんと描くべきなのですが、どうも桜島が気になってしょうがありません。
何とか両方絵にしたい・・・とあっちこっちを歩き回り、やっと気に入る構図を見つけました。
正門の背後に桜島を置きます。すると屋根の形と桜島の稜線が呼応するように重なります。
その勇壮な姿、何度も噴火した激しさは武家の門の背景として最高です。
かの朝鮮征伐で敵を畏怖させたという「シーマンズ」のルーツはこんなところにあったのでしょうか。

2009年4月12日日曜日

仙厳院 武家の庭

鹿児島市の北端にある旧薩摩藩島津家別邸「仙厳院」に来ました。
邸内のあちこちに庭園があり、敷地の広さを生かした豪快な作りが、見る人の気持ちをおおらかにしてくれます。
NHKの大河ドラマの撮影にも使われたという石段を登ってゆくと高台の庭園に出ます。
ここから海の方を見ると、ご存知の桜島が圧倒的な迫力で目に飛び込んできます。
借景に山を使うのは庭園造りの定石ですが、これほどの存在感があると、完全に主客が逆転してしまいます。美しく手入れされた庭木も、単なる背景としてしか映りません。
でも、これぞ「薩摩の風景」・・・京の庭園には無い豪快さに感激しました。

2009年4月4日土曜日

矢びつ橋


めったに来ることの無い知覧。もったいないので先週に続きもう一枚ご紹介します。
武家屋敷街の入り口にとてもおいしい蕎麦の店があり、そこにあるパンフレットでこの魅力的な橋を知りました。
いかにも古そうないわくありげな、石造りの橋で、しかもめずらしい2連のアーチでできています。
風はまだ冷たく肌寒いのですが、この場所はとても陽当たりが良く、橋の周りの草むらが黄緑色に輝いて実にのどかです。こんなところでスケッチをしていると、本当に日常の忙しさを忘れてしまいます。
しかし、気がつくと帰りのバスの時間が迫ってきていて、あたふたとスケッチ張を閉じ、知覧でもうひとつ有名な「特攻隊」の博物館を駆け足で回りました。
のんびりと楽しむ旅行のはずでしたが、やはり最後は時間に追われる一日となってしまいました。
いつかそのうち、時計の針を気にせず、絵を描きたいものです・・・。

2009年3月29日日曜日

知覧の武家屋敷

生まれて初めて鹿児島を訪れました。まずは武家屋敷で有名な知覧です。
鹿児島市内からバスで一時間以上かかるのですが、江戸時代の昔、よくもこんな山奥に屋敷を構えたものだと感心してしまいます。
武家屋敷の町並みは重要伝統的建造物郡保存地区に指定されていて、メインストリート沿いに立派な石積みと生垣が並んでいます。

さて絵を描こうと歩き回りましたが、生垣が立派過ぎて、奥の建物がさっぱり見えず、僕好みの構図が取れません。
そこで正面から描くのをあきらめ、隣の空き地を覘いてみると見事な光景が現れました。
隣地の茅葺屋根だけでも十分に絵になりますが、何よりも僕の目を惹いたのは咲き乱れる菜の花です。

なんという鮮やかな「黄色」・・・・刺激的なはずの都会のパレットにもこんな色はありません。

2009年3月21日土曜日

立姿の婦人像

人物画を描く時、いつも悩むことがあります。
多少のデッサンの狂いは無視して筆の勢いで描くか?あるいは、じっくり見て正確に描くか?
見る方にもそれが伝わるのか、このブログを見て、「あなたの絵は酔っぱらって描いたほうが良い」などと失礼な(正直な)コメントをよこす人もいるくらいです。

そういう意味では、今回は、立ちポーズの線を大切に、色は印象的な部分だけをさっと塗ってみました。
横からのアングルですが、その分しなやかに、魅力的に描けたのではないかと、満足しています。

えっ、まだまだ?
・・・そう、だから人を描くのは面白いのです。

2009年3月14日土曜日

梅林公園

僕の故郷である岐阜に地元ではちょっと有名な「梅林公園」があります。
訳あって、実に三十数年ぶりに訪れました。
記憶に残っているのは「とても大きかった」こと、「写生大会で絵を描いた」ことです。もちろん梅が「美しかった」などという大人びた想い出はありません。

あの時絵を描いた場所を探そうと、歩いてみると広いはずの公園は意外と狭く、お目当ての場所はあっさりと見つかりました。
記憶が教える目印は池と橋。三十数年の時を経ても変わらぬ見事な造形・・・・と期待しましたが、残念ながら今眺めると、どちらも人工的でわざとらしく、それほど魅力は感じません。
僕が成長したのか、はたまた子供の頃の純粋さを失ってしまったのか?

しかし、昔は気づかなかったこの公園の魅力に気づきました。
それはもちろん「梅林」そのもの。
桃色に染まる視界はどこまでも幻想的です。
昔と今。夢と現実。梅の花が全てを包み込んでしまったようです。

2009年3月8日日曜日

竹原 その3

この町を訪れた時、駅前の観光案内所で地図をもらいました。
僕が建物に興味があることを伝えると、係りの女性がどの建物がどんな価値があるとか、あの有名人が住んでいたとか・・・見所を丁寧に教えてくれました。
その教えに従って描いたのがこの「小笹屋」です。

歴史的な町並みには大抵、そこの風土にあった屋根の形や勾配があり、軒先もきれいに揃うのが普通です。ところが竹原の町並みは、各々の家が結構勝手に屋根をデザインしています。
この小笹屋は由緒ある酒蔵で、周囲が平入りであるのに対してここだけ、妻入りの棟を3つ並べて存在感を誇示しています。
内部は酒造資料館として公開されていて、黒光りする太い柱や梁が酒造りの長い営みを物語っています。

絵を描き終えたところで、帰りの列車の時刻が迫ってきました。
あわてて買ったお土産はもちろんお酒。「この町のお土産は?」という問いへの、係りの女性のお勧めがやはりお酒だったからです。

2009年3月1日日曜日

竹原 その2

街道を行くと裏山に通じる路地があり、さらに階段を登ると前回僕が想像した「子供達が遊んだに違いないお寺」・・・西方寺があります。
門前の階段から町を振り返ると格子と漆喰でお化粧されたきれいな観光地とは違った、別の顔を見ることができます。

この視線にあるのは連続する屋根瓦と路地の土。
瓦は美しい銀色というよりはくすんだねずみ色で、建物が風雪にさらされてきた時間の名残を感じさせてくれます。
そして都会のアスファルトに慣れた僕に何より新鮮だったのはその土の複雑な表情。
地面は雨を吸って濃い土色になり、道の真ん中は陽に干されて堅くひび割れます。
そして風の日には土ほこりとなって舞い上がる一方、いつも日陰の湿ったところは雑草がしっかり根を張って自分の領土を守っています。
この瓦屋根の軒下を鉢植えで飾り、竹箒を手に女達がおしゃべり・・・・。
またまたこの町の楽しい空想が広がってゆきそうです。

2009年2月22日日曜日

竹原にて


「重要伝統的建造物群保存地区 」という言葉をご存知でしょうか?
簡単に言うと建物ひとつひとつはそれほど文化的な価値は無いけれど、町並みとしてみると貴重な地区であるということでしょうか。
今回はそのうちのひとつ製塩の町「竹原」を訪れました。

広島駅から呉線という単線のローカル列車で東へ約2時間の小旅行です。
せっかちな僕にはちょっとつらい時間ですが、この日は1月だと言うのに春のように暖かく、朝日に照らされた穏やかな瀬戸内海の風景を楽しむうちにあっと言う間に到着。
たまにはこんな時間もあってよいか・・・・。

さて、駅前の観光案内所で地図をもらい早速散策開始。期待を裏切らない本格的な江戸時代の街並みです。
赤褐色の格子と白いしっくい壁のコントラストがとても美しい。しかも裏手の山がすぐそこにあって季節にふさわしい背景を作ってくれます。
山道を登るとお寺があり、境内で子供達が陽が落ちるまで遊んでいたに違いありません。
自然にとけこんだ町並み・・・これがここ「安芸の小京都」の魅力でしょう。

2009年2月15日日曜日

吉田神社

京都大学のすぐ東側に吉田神社があります。
観光地としてはあまり有名ではありませんが、某ガイドブックに依ればそこの「斎場所大元宮は大胆なデザインで一見の価値あり」とのこと。

さっそくスケッチしようとやって来ましたが、お目当ては拝殿の向こう。賽銭箱の前に立って覗き見るだけ。とても絵を描ける状態ではありません。
がっかりして、帰ろうとふと別の参道を見上げると、いかにも古びた階段を上った先に鳥居が建っています。
薄暗い森の中で浮かび上がる姿は神々しく、信仰心の薄い僕でさえ思わず目を見張ってしまいました。

鳥居とは神々の世界への門だそうです。
輝く光に引き寄せられて、階段を上って、そこをくぐったら・・・・その素朴な想いに本殿はいりません。
重要文化財のスケッチが出来なくても、そんな連想が、僕を十分に満足させてくれました。

2009年2月8日日曜日

長楽館

先週描いた東華菜館から真っすぐ東に歩くと、有名な八坂神社があります。
まわりの観光客についてゆくとそのまま境内に入ってしまいますが、あえて逆らってその南の道に迂回するとこのシーンが現れます。

正面に見えるのは「長楽館」。
設計者はヴォーリズほど多くの作品は残していませんが、やはりアメリカ人でジェームズ・ガーディナーという人です。
当初迎賓館として建てられたらしく、豪華な造りで、命名は伊藤博文とか。
べんがら色の板塀に石造りの洋館の取り合わせがいかにも京都らしい趣を見せてくれています。

スケッチしてると、人力車がやって来て目の前に止まりました。車夫のおにいさんが観光客に得意げに説明しています。
いつもなら、「わざとらしい・・・」としか思わない僕ですが、今日は別です。
走り行くその後姿は、この風景が熱き明治時代のものであったことを改めて思い起こしてくれました。

2009年2月1日日曜日

東華菜館


以前、京都鴨川の河原からレストラン菊水と南座が並ぶ様をスケッチしました。その対岸にこの「東華菜館」があります。
設計者はヴォーリズという人で、明治末期にアメリカからやって来て、日本に帰化した建築家です。
特に関西に数多くの作品を残しており、個人の設計者として登録された重要文化財の数はNO.1を誇るそうです。

鴨川の河原から見上げると、周りのありふれた建物と一味違うその存在感に圧倒されます。
用途は当時(大正15年)大流行していたビアホール。
外壁テラコッタの濃密な装飾とその華麗で重厚な表現は、ビールを飲みながら語る「大正ロマン」の熱気を伝えてくれているようです。

2009年1月25日日曜日

中仙道 深谷

埼玉県に「深谷」という町があります。
「渋沢栄一」の生家があることで有名で、先日訪れる機会があり、地元の方から色々と話を聞かせていただきました。
すると実はこの町は中山道の宿場町でもあったそうで、歴史好きの僕は、さっそくその名残を求めて街道沿いを歩いてみました。
道路はアスファルトで狭い道を車がすごい勢いで走り抜けます。正直言って、情緒があるとは言いがたいのですが、そんな中で唯一「らしい」風景を見つけました。
漆喰の蔵と古めかしい木の門、レンガの煙突がセットになったちょっと面白い建物です。
ただ周りはどこにでもある普通の地方都市で、保存されていると言うより、取り残されていると言ったほうが似合います。この先どうなるのか、気にかかるところです。

ところで、この町のもうひとつの名物は「ねぎぼうとう」。そのうどんと葱で暖まって出かけようとした僕が神戸から来たことを知ると、お店の人がわざわざこの中山道まで車で送ってくれました。
冷たい北風にめげず、このスケッチを描けたのは、町を愛する人達の温かさのおかげです。
この元宿場町の未来はきっと明るい・・・に違いありません。

2009年1月18日日曜日

ながはま御坊表参道

北国街道を描いた後、門前町としての長浜を描こうと大通寺にやってきました。
縁台を張り出した店、しっくいの土蔵など江戸時代のような街並みの正面に、がっしりした山門が構えます。「表参道」の名にふさわしいその姿は、当時のにぎやかさを想い出させてくれます。

山門をくぐると・・・・残念ながら、寺院の各所とも損傷がひどく、文化財としての感動よりも痛ましさの印象が強かったことを覚えています。
改めて、インターネットで調べてみると、町おこしの成功に伴ってその後色々と修復工事が行われたとか。

今は「山門をくぐると・・・桃山文化の世界」と記されています。その変貌をこの目で確かめるべく、またいずれこの場所を訪れたいと思っています。